翌日 俺は、瞬には知らせずに、城戸沙織の用意してくれたジェットヘリで瞬の修行地であるアンドロメダ島に飛んだ。
レーダーに感知できるものが長くこの付近に留まっているのは危険だとかで、2日後に迎えに来ると言い置いて、ヘリは慌しく島から飛び去っていった。

俺がアンドロメダ島に着いたのは真昼。
ここで瞬が6年の時を過ごしたのだと感慨にふけることは、俺にはできなかった。――暑くて。
俺が修行のために送り込まれた東シベリアも、冬には雪と氷以外何もないところだったが、アンドロメダ島は冬場の東シベリアに輪をかけて何もないところだった。
あるのは砂と岩だけ。
海と空の青だけが、唯一この島を彩るものだった。
太陽は白熱していて、色自体を持っていない。
こんな心まですさんでしまいそうな場所で6年間を過ごし、子供の頃の感受性や優しさを失うことがなかったんだから、瞬の精神力はすさまじく強靭なものだということになる。
だからこそ、アンドロメダの聖衣は瞬を選んだんだろう。

瞬は、瞬の師匠や先輩が優しい人たちだったから自分は生き延びることができたんだと言っていたが、彼等はいったいどこにいるのか――。
俺が乗ってきたヘリのエンジン音が聞こえなかったはずはないのに、砂浜に姿を現わす者は一人としていなかった。
何か不吉を感じさせる静寂と無人。
俺は嫌な感じ・・に襲われた。
この島に人はいる。
だが、彼等はあえて俺の前に姿を現わそうとしていない――ように、俺には思えた。
俺を、聖闘士の存在を知らない一般人と思って警戒しているんだろうか?
まあ、俺も、瞬の師匠や同僚に挨拶するためにここに来たわけじゃないから、それならそれで構わないんだが。

それにしても暑い。
サクリファイスに挑む前に(今ここにはアンドロメダ聖衣のチェーンがないんだから、似非サクリファイスということになるが)、俺の身体が溶けてしまいそうだ。
――そんなことを考えながら沖合いに視線を転じると、海面に不自然に突き出している小さな岩場が見えた。
それが、瞬がサクリファイスの儀式に挑んだ犠牲の岩場のようだった。
浜からは1キロほどの距離があるだろうか。
照り返しの強い砂浜にいるよりは水の中の方がましだろうと、俺は赤道直下の海に、深く考えもせずに飛び込んだ。
それが間違いだったかもしれない。

アンドロメダ島周辺の海は、俺が慣れ親しんだ東シベリア海とは全く様相が違っていた。
俺は、身を切るように冷たい水には慣れていたが、ここの海は――何というか、沸騰しかけた巨大な鍋の中を泳いでいるようだ。
海面で太陽に熱せられた水と 海底近くの比較的低温の水の対流が、すさまじい勢いで海中に嵐を生んでいる。
まるで海底火山が噴火しているような、まさに噴流だ。
この中を泳いで犠牲の岩場に辿り着くだけでも、常人には至難のわざだろう。

言い訳をするわけじゃないが、暑さは俺の天敵だ。
俺が海に飛び込んだ時、俺は既に相当ぐったりしていた。
聖闘士としての意地もあったから、それでも俺は その噴流に逆らえるだけ逆らってみたんだが……。
結局俺は、問題の岩場に辿り着くことはできず、最後には強い波に抵抗できないトドかアザラシみたいに浜に打ち上げられてしまった。

「夜を待つしかないか……」
アンドロメダ島の気温は夜には氷点下数十度にまで下がると、瞬は言っていた。
その温度の中でなら、俺も本来の力を取り戻し発揮することもできるだろう。
今は無理だ。
今は――とにかく、体力の温存を図ることだけを考えていた方がいい。

だが、影を作る樹木や建物のないこの島のどこでなら、俺は陽光を避けることができるんだ?
何か策を講じなければならないと思いはしたが、俺にできることはただ 砂浜に仰向けに倒れていることだけだった。
身体中の細胞が沸騰している。
筋道立った思考を組み立てることができない。
へたをしたら、このままここで死んでしまいかねない状態にあるというのに、俺は死への恐怖を感じることさえできなかった。
瞬の名と瞬の瞳、そして早く夜になってくれという思いだけが、俺の中にあるすべてだった。






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