だから僕は耐えられたんだ。
どんなにつらい修行にも、兄さんやみんなと遠く離れた場所にいることにも。
同じ空を氷河が見ている。
星矢も紫龍も、兄さんもきっと。
そう信じることで、そう信じていられることで、僕は僕の中に生きるための力を生むことができた。
それに――。
兄さんが送られたデスクィーン島と大差ない地獄の島。
そう言われていたアンドロメダ島で、僕は思いがけず素晴らしい先生と友人に恵まれた。

アルビオレ先生とジュネさん。
二人は優しいだけの人たちじゃなかったし、その言動はいつも厳しいものだったけど、どんな厳しい言葉を口にしても、僕にどんなに過酷な修行を課する時でも、その眼差しには優しさだけがたたえられている人たちだった。
二人は、氷河に似ていた。
言葉や行動はぶっきらぼうでつっけんどんにも見えるけど、それは全部優しさから出ていることで――。
うん、氷河に似ていた。
アルビオレ先生もジュネさんも、とても綺麗な人たちだったし。

あれはいつのことだったか――。
アンドロメダ島に行って1年ほどが経っていたと思う。
僕は、自分の無力や未熟や寂しさに打ちのめされると、よく浜辺に行っていたんだけど、そこで僕が見ているのは海じゃなく空だということを二人に話す機会があったんだ。
そうしたらアルビオレ先生は少し意外そうな顔をして、それから深く頷いて、言った。

「そういえば、日本に、『二度と来ない場所に寝転がって空を見上げていたら、空に心が吸い込まれてしまった』という詩があったぞ。日本人は海よりも空に、回帰の思いを抱くようにできているのかもしれないな」
「え?」
「英訳されたものしか読んだことがないから、ニュアンスは少し違うのかもしれないが」
「空に心が吸い込まれる――」

僕は、詩なんて、そんな高尚なものを読めるような境遇にあったことがなかったから、もちろん その詩が誰の書いたものか、何を表現しようとして書かれたものなのかを知らなかったし、見当もつかなかった。
でも、そういう気持ちになるのは僕だけじゃないんだってわかって、嬉しかった。
氷河も兄さんも紫龍も、いつも前しか見ていないようなあの星矢だって、きっと空を見上げることがあったら、僕と同じように心を空に飛ばしてくれいるだろうって思うことができたから。

でも――『二度と来ない場所』って何だろう――どこのことだろう?
それは、二度と訪れることがないかもしれない旅先で経験したことを詠った詩なんだろうか。
二度と来ない場所――二度と行けない場所――帰れない場所。
それがもし氷河と一緒に空を見上げた城戸邸のあの庭のことだったなら――。
それは僕の知らない詩人の書いた詩で、僕の未来を予言した詩ではなかったんだけど、僕は少し不安になった。

僕を不安にした空の詩。
でも、僕の胸の上からその不安を取り除いてくれたのも、やっぱり青い空だった。
空を見上げれば、そこには氷河がいる。兄さんがいる。みんながいる。
僕が見上げる青い空の上では、みんなが元気に駆けまわっている。
僕の想像の中のみんなは幼い頃の姿のまま、歳をとることはなかったけど――その想像は、僕の心を軽くした。


アンドロメダの聖衣を手に入れ、僕が日本に帰ることになった日、アルビオレ先生は肩の重荷をおろすことができたみたいな笑顔で、僕に言った。
「二度と帰れない場所ではなかったな。あんな詩を教えてしまったことを後悔していたんだ。本当によかった。――元気で」

アルビオレ先生も僕と同じことを考えて、そして、僕の心を気遣ってくれていたんだ。
その不吉な予言じみた詩を ただの詩にすることができるのは、僕の努力と意思の力だけだってことがわかっていたから、先生はその詩のことを気にかけつつ、これまで黙って僕を見守ってくれていたんだろう。
――そんなところも、先生は氷河に似てる。

「はい。ありがとうございました」
僕は僕の先生に心からの感謝と敬意を込めて、深々と頭を下げた。
そして、日本に帰ったら、先生に教えてもらった詩が誰によって書かれたものか探してみようと思った。
その時の僕は、まさかこのアンドロメダ島が、僕にとって“二度と来ない場所”――二度と訪れることのできない場所になるなんて考えてもいなかったんだ。






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