俺は瞬の瞳に見入って、相当長い時間 無言でいたらしい。 「あの……」 不躾としか言いようのない俺の凝視に困惑したように、瞬がその目を伏せる。 瞬は、なぜ俺がそんな真似をしてしまうのかがわかっていないらしかった。 それは、つまり、これまでこんなふうに瞬を見詰めた男がいなかったということだろう。 瞬の美しさに目をとめた男が、俺の他にいなかったということ。 もしそうなら、こんな嬉しいことはない、 俺は、自分の気持ちが浮き立つのを抑えることができなかった(だが、なぜそんな気持ちになるんだ?)。 浮かれる気持ちを、かろうじて表情に出さずにいられたのは、他の誰でもない俺自身にとって 幸運なことだったろう。 俺の凝視に困惑しているようだった瞬が、一度唇をきつく引き結んでから語り始めた話は、にやついた顔で聞くような事柄ではなかったから。 「兄は昨晩、ある事件に巻き込まれ、現在利き腕である右腕が使えない状態にあります」 言うべきか言わずにいるべきかを、瞬は迷ったらしい。 そして、迷った末に、その事実を兄の敵に知らせることにしたらしい。 敵にあえて弱点を知らせることの意味を、慎重に考えた上で。 「それは……御前試合を辞退するということか?」 その事態は、俺にとってはあまり嬉しいことではない。 貴族側は代理の対戦相手など出せないだろうから、御前試合自体がお流れになる可能性がある。 俺にとっては幸いなことに、瞬は首を横に振った。 「兄は左手で戦うと言っています」 「……」 俺も随分見くびられたもんだ。 もっとも、“国いちばんの使い手”が平民たちの、いわば予選会の見学に来たという話は聞いていないから、見くびられるも何も、瞬の兄は俺の腕がどれほどのものなのかを知らないんだろうが。 しかし、聞かなければよかった。 怪我人相手の試合なんて、たとえ俺が勝っても、それは文句なしの栄誉にはならない。 「事情を話して延期にはできないのか」 中止よりは延期の方がはるかにいい。 明日に向かって高まっている緊張感は殺がれることになるだろうが、それは新たな開催日に向けて一から調整すればいいだけのことだ。 が、瞬は『延期』という俺の提案にも、首を横に振った。 「それはできません。延期を申し入れたところで王は聞き入れないでしょうし、兄は、その……怪我を負った事情を公にはできないので」 「いかがわしい店で、女相手に勇ましい立ち合いでもしたのか」 それまで気を張っているところはあったが敵意のない眼差しを俺に向けていた瞬が、急に俺をきつい目で睨みつけてくる。 その様子の可愛いこと。 俺の対戦相手の弟君は、本当に綺麗な瞳をしている。 「フォワの若き公爵殿の女嫌いは有名だ。本当にそんなことがあったなんて思っているわけじゃない。どんな事情があったのか話してみろと言っているんだ。話によっては、君の『お願い』を聞いてやろうという気になるかもしれない」 そう言いながら、俺は、自分がまだ瞬の『お願い』の内容を聞いていなかったことを思い出した。 「事情というのはつまり――兄は、自分はフェミニストではないと公言しているのですが、それは兄に心に決めた女性がいるからなんです」 「初耳だ。どこの貴族の令嬢だ。国王よりも富裕な公爵家の未来の奥方は」 この瞬の実兄なら相当の美貌の持ち主だろうし、女はよりどりみどりといったところだろう。 巨万の富を持っている男は、その富を更に増やすことのできる妻を選ぶのか、自身が富んでいるからこそ妻の持参金には頓着しないのか、大いに興味のある話だ。 俺のいかにも興味本位の言葉に、瞬の表情が曇る。 俺は、瞬がその女性を兄の妻にふさわしくないと考えているのかと思ったんだが、そういうことではないようだった。 「彼女は反逆者の娘――なんです。彼女の父は前王の治世下に王室への反逆を企てて露見、処刑されました。その反逆の追跡から逃れた者たちが、兄と彼女のことを知り、彼女を利用して兄を反逆の頭目に仕立てあげようとしたんです。その姑息な者たちの手から彼女を奪い返そうとした際、兄は銃で右肩を撃たれました」 「ああ、そういうことか」 美貌と富を兼ね備えているからといって、その男に 幸福な恋と結婚が約束されているとは限らない。 濡れ衣だったとはいえ、瞬と瞬の兄の父は国家と国王への反逆者として5年間の追放刑を受けていた。 その息子の恋の相手が、これまた反逆者の娘。 反逆者同士が結託しようとしていると王に思われるのはまずい――というわけだ。 「僕たちの父が都を追われ、政治犯の流刑地である島に退去を命じられたのは10年前のことです。そこには、僕たち親子の他にも、前王の不興を買った者や、処刑された反逆者の家族たちがいて――都に帰ることを許されるまでの5年間を、僕たちはその島で過ごしました。島にいるのは、争乱を企てたとはいえ、その罪を犯させたのは国王その人だと考えている者たちばかりでしたから、その理不尽を憎み、彼等の心はすさんでいた。兄も、そこで彼女に会うことがなかったら、人生や神を憎むようになっていたと思います。彼女はとても清らかな心を持った人で、あのすさんだ土地で失意の内に父が亡くなった時も、彼女がいたから、兄は人としての優しさを失わずに済んだのだと思います」 瞬の兄は、まるで貴族のご婦人方が好んで読むロマンス小説のような恋をしているらしい。 持参金より、清らかな心。 大変結構なことだ。 「5年前、前王崩御・新王即位に伴って、フォワ公爵家は都に呼び戻され、元の地位と王家に没収されていた城や領地を返還されました。その時、兄は、天涯孤独になっていた彼女を、こっそり小間使いとして都に連れ帰ってきたんです。そのことに気付いた彼女の父の反逆にくみした残党たちが悪巧みを企てたようで――兄はその者たちを逮捕させ、その件に関しては心配はなくなったのですが――」 その際、瞬の兄は愛しい恋人のために名誉の負傷をしたというわけだ。 |