「女嫌いの公爵殿の心を射止めるとは相当の美女だろう。ぜひお目にかかりたいものだ」
「……」
公爵殿の恋は美しいが、多難な恋でもある。
瞬が暗い表情でいるのも当然のことだが、所詮俺には他人事だ。
心清らかな美女より、瞬の瞳が明るく輝いているかいないかということの方が、俺にはよほど重要なことだった。
だから、その場を明るくするために俺は軽口をたたいた。
瞬が、なにやら神妙な顔をして黙りこくる。
『相当の美女』という推察が見当外れだったのかと、俺は僅かに眉をしかめることになった。

「それとも、美しいのは心だけなのか?」
「姿も美しい――らしいのですが……その……」
それまで いかにも聡明そうな発音と抑揚で言葉を紡いでいた瞬が気まずそうに口ごもり、肩を縮こませる。
『美しいらしい・・・』とはどういうことだ。
そういう経緯で知り合った女性なら、瞬が兄の恋人に会ったことがないはずもないだろうに。

「まあ、君に比べたら、どんな美女でもカボチャ同然だろうが」
「そんなことありません! エスメラルダさんはとても素敵な女性です!」
エスメラルダというのが、その幸運な女性の名前らしい。
エスメラルダというのはエメラルドを意味するスペイン語だ。
その名は、瞬の瞳にこそふさわしい名前だと、俺は思った。

「そうじゃなくて……あの、彼女は、髪の色と瞳の色を除けば僕そっくりで、だから、あの――彼女を美しいと褒めるのは自分を褒めることのようで――」
それが、瞬の言葉が淀んだ理由だったらしい。
少々特異な慎みの美徳というやつか。
にしても、この美貌の持ち主が二人もいるなんて、俺には信じ難いことだ。
「弟そっくりの女に惚れるとは、君の兄君も危ない男だな」
俺はわざとらしく肩をすくめてみせたんだが、そうなった事情は理解できないでもなかった。
これだけ美形の弟がいると、そういう特性を持った女性にでも巡り会わない限り、瞬の兄は恋に落ちることもできないだろう。

「しかし、そう聞かされると、ますます見てみたい。君にそう言わしめるとは本当に素晴らしい女性なんだろう?」
「え?」
「大抵の人間は、自分が血縁でもない人間に似ていると言われたら、本当に似ていても認めたがらないものだぞ。自分の個性が否定されると思うのかもしれないが、まず反発する。まして、君くらい美しかったら――」
「あの」
瞬が困惑したような目を俺に向けてきたが、俺は委細構わなかった。
俺は瞬に似ても似つかぬ顔をしているから、瞬を褒めるにも、瞬の兄の恋人を褒めるにも、遠慮を覚える必要はない。

「君がその女性に反発心を覚えていないのだとしたら、その女性が心から敬愛できる相手だということになる」
「え……ええ。僕は彼女が大好きで、必ず義姉になってほしいと思っています。ですが――」
「爵位を持った貴族の結婚には王の許可がいる」
「そうです」
瞬は、項垂れるように頷いた。
王の許可さえあれば、貴族の男が平民の女性と結婚することは可能だが、相手が反逆者の娘となると、瞬の兄の望みは容易には成就されないだろう。

「陛下の心証を悪くしたくないんです。前王と違って今の国王陛下は基本的にはよい人なのですが、少々気まぐれで、ご自分の計画した事が思い通りに運ばないと、すぐに拗ねる癖があって――」
すぐ拗ねる癖とは何なんだ、いったい。
他人の関心を自分にだけ引きつけておきたい4、5歳のガキじゃあるまいし。
今のウルジェイの国王は、確か40を過ぎているはずだぞ。

が、まあ、ともかく これで大体の事情は飲み込めた。
愛する女性のために、瞬の兄は俺以上に王の御前試合での勝利を望んでいるというわけだ。
国王に彼の臣下に剛の者がいることを示し、あわよくば結婚の許可をとりつけたい。
試合の延期を言い出すことは王の機嫌を損ねる可能性がある。
結婚を望む相手が相手なだけに、そうなった本当の事情を話すことは、王に猜疑心を生ませかねない危険な行為――ということか。

「怪我の理由など、いくらでも捏造できるだろう。適当な嘘をつけばいい。俺に恐れをなしたと言って辞退するのでも、俺は一向に構わないぞ」
本当は大いに構う。
御前試合の勝敗はともかく試合が流れることは、俺には絶対に避けたい最悪の事態だった。
幸い、俺の挑発に、瞬はかぶりを横に振ってくれた。
「兄は名誉を何よりも重んじる人で、嘘をつくのが嫌いなんです。そういう小細工をすることはできない。僕はそれらしい理由をつけて延期を申し出ることを勧めたんですが、兄は、褒美目当ての平民の相手など左手で十分だと言って……ごめんなさい」

瞬はすまなそうに謝罪してきたが、その謝罪は無用のものだったろう。
俺も、瞬の兄と似たりよったりのことを考えていたから。
「謝らなくてもいい。君の兄君が国いちばんの剣士と呼ばれていても、そんなのは貴族のお遊びの上での話だと、俺も思っている」
「兄をみくびらないでください」
兄に対する俺の評価が気にいらなかったのか、瞬の口調が少し険しいものになる。
事実は立ち合ってみなければわからないんだから、俺もそれ以上俺の推察を言い募ることはしなかった。

「なら、それでいいじゃないか。君の兄君は左手で俺と戦い、俺に勝つ。君はそう信じているんだろう」
「……」
瞬は沈黙した。
当然だろう。
瞬の兄の剣の強さがどの程度のものなのかは知らないが、利き腕でない手に剣を持って、どれほどのことができるというんだ。

「まさか、俺に負けてほしいというんじゃないだろうな。君の『お願い』というのは」
「……」
そうに違いないと決めつけていたことを、俺はわざと『まさか』の部分を強調して、瞬に尋ねてみた。
瞬は、俺の言を否定しなかった。
肯定もしなかったが。

「負けてほしい。辞退してほしい。手加減してほしい――どう頼むべきか、迷っています」
「迷う? なぜ」
「あなたの腕によると思うのです」
「俺が、君の兄君が左手で勝てる程度の相手なら、何も頼む必要はないしな」
「そういうことです」

言ってくれるもんだ。
瞬の兄は、この小さな国の貴族の間では最強かもしれないが、俺は確実に この国でいちばん強い剣士だ。
瞬の兄への挑戦権を得るための勝ち抜き試合には、もちろん雑魚も多く混じっていたが、残り20人になった時、その半数は俺と同じように剣術サロンを開いて多くの生徒を指導している剣士たちだったし、あとの半分も他国で傭兵として実戦を経験してきた奴等たちだった。
瞬が兄の力をどの程度のものと考えているのかは知らないが、俺は瞬の誤った考え――というより、根拠のない考えか――を正す気にもならなかった。
馬鹿らしくて。

「なので」
それまで どちらかという伏せ気味だった顔をふいにあげて、瞬が俺を見詰めてくる。
そして、瞬は驚くべきことを俺に求めてきた。
「どう頼むかを判断するために、あなたに僕と立ち合っていただきたいんです」
「なに?」
俺は最初、何を言われたのかわからなかった。
数瞬後、その言葉の意味を理解して、瞬には悪いが俺は盛大に吹き出してしまった。

「残念ながら、君と立ち合っても、君に俺の腕前を見極められるほどの力があるとは思えないな。こんな細い腕で剣を持てるとは――」
俺は瞬の腕に手を伸ばし、その細さを、他でもない その腕の持ち主に示してやろうとした。
平民に触れられるのが嫌なのか、瞬が素早く身を引く。
本音を言えば、瞬のその仕草に俺は少なからず憤った――いや、傷付いた。
が、その気持ちはすぐに消し飛んでしまった。
「剣は持参しました」
可愛い顔を緊張させて、瞬が俺を睨みつけてくる。
本当に可愛い――と、俺は思った。
これは、やっと自分の足で走ることを覚えたばかりの幼い子供が、大の大人に小さな拳をぶつけてくるようなものだ。
本気で腹を立てたりしたら、それこそ大人げない。

「正気で言っているのか。俺と立ち合いたいと」
「はい」
「俺に 兄と同じハンデを負わせることを企んでいるのなら、無駄なことだぞ。怪我をするのは君の方だ。俺の剣術は貴族のお遊びとは違う、食うための剣だ。俺は本当に・・・強いんだ」
脅すように、俺は瞬に言った。
この国の平民の中で一番というだけじゃない。
生まれた国を出て この国に落ち着くまで、俺は各国の有名な剣士たちと剣を合わせてきた。
だが、俺に勝てる奴など一人もいなかった。

「では、あなたのご自慢の剣術を僕にご指南ください。授業料は払います」
俺の脅しに、瞬はひるまなかった。
見れば本当に試合用のサーブルを持参している。
それは、本来なら、その剣の持ち主が腰をおろすべき あの椅子の上に置かれていた。
瞬は本当に・・・本気らしかった。






【next】