俺が紫龍の酒甕をカラにして奴の部屋を出たのは、既に深夜と言っていい時刻だった。
だから、俺は、なぜ瞬がそこにいたのかを知らない。
なぜ瞬が、そんな時刻 そんなところにいたのかは知らないが、俺がふらつく足で紫龍の部屋を出た時、そこには瞬が気遣わしげな目をして立っていた。

瞬の姿を認めた時、だが、やはり俺は酔ってなどいなかったと思う。
酒の匂いを瞬に隠し通すことができないことに、俺はちゃんと狼狽もした。
瞬は酒の匂いを好まないから、少し眉をしかめはしたが、それは酒の匂いをぷんぷんさせている俺を咎める表情ではなかった。
むしろ俺の身を案じてくれているような眼差しを 俺に向け、瞬は、
「駄目だよ、お酒なんか」
と言った。

小さな声――聞き取るのもやっとの、小さな声。
それは、俺を諭すために発せられた声というより、むしろ聞かれたくない独り言を口にするような――本当に小さく微かな声だった。
俺が、聴力、視力、握力、背筋力、すべてが常人の3、4倍の値を出せる聖闘士だから聞き逃さずに済んだくらいの。

「誰のせいだ!」
瞬に、俺は吐き出すように、棘のある言葉を瞬に投げつけた。
俺は、おそらく酔っていたんだ。
酔っていないつもりで、やはり俺は酔っていたらしい。
「誰のせいで、俺が――」
右の手を伸ばし、瞬の首を掴みあげる。
子供のそれのように細く白い瞬の首。
そのまま ほんの少し力を加えれば、俺は瞬を殺すことができていただろう。
そうすれば、俺のものにはできなくても、俺は他の誰かに瞬を奪い取られるかもしれないという不安からは解放される。
俺は、聴力、視力、握力、背筋力すべて、常人の3、4倍の値を出せる聖闘士だ。
瞬の命を奪う――それは、俺にとっては、常人が桃の実を握り潰すより簡単にできてしまう作業・・だった。

俺に喉を掴みあげられた瞬が、びくりと身体を震わせる。
瞬は、だが、俺の手から逃げようとはしなかった。
瞳は、その瞳に微かに戸惑いの色をたたえてはいたが、それでも俺の手から逃げようとはしなかった。
自分の命を他人に鷲掴みにされているというのに、それでも瞬は仲間を信じているということか――。

瞬らしい。
俺がこの指先に渾身の力をこめても――瞬は最後まで俺を信じて――どんな小さな抵抗も示さずに死んでいくだろう。
瞬は、そういう奴だ。

――瞬のせいじゃない。
瞬のせいじゃないことは、俺にだってわかっていた。
人間は、悲しいかな、自分に愛を向けてくる相手に、必ず同じだけの愛を返すことのできる生き物じゃない。
愛されれば愛されるだけ反発し、逆に自分を愛してくれる相手を憎むような輩だって、この世には五万といる。
反抗期の子供なんか、その最たるものだろう。

与えられる好意と同じだけの好意を返すことのできない相手に対して『嫌いだ』と言ってしまうことは、瞬にはできないだろう。
瞬は馬鹿じゃないから、『お友だちでいましょう』だの『氷河はきっといつか、もっといい人に会えるよ』だのという言葉にいかなる意味もないことも、ちゃんとわかっている。

それ以前に、俺自身が、瞬にそんな言葉を告げられても納得しない。
どう言われても、俺は納得しない。
そう。
どこから生まれた自信なのか自惚れなのか、瞬に一世一代の告白をした時、俺は必ず瞬からOKの返事をもらえるものと信じていたんだ。
瞬が俺を拒むはずがないと、心のどこかで固く信じていた。

それほどに――瞬は俺の命の半分だった。
その瞬をくびり殺すことが、俺にできるはずがない。
俺は、瞬の首を掴みあげていた腕を解いて、すぐ脇にあった自室のドアの向こうに逃げ込んだ。
そして、瞬が追ってこれないように鍵をかけた。
服をつけたまま顔からベッドに倒れ込み、そうして俺はそのまま寝入ってしまったんだ。






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