せっかく氷河がもたらしてくれた忘我と法悦の時、その界。 そこには、あの不親切な死神が待ち構えていた。 この品性に欠けた神は、氷河と瞬の秘事を覗き見るのが好きで、時折、そんなふうに瞬の意識の中に盗人のように忍び込んでくるのだ。 その品性下劣な神が、蔑むように、瞬に言う。 『おまえは、そのカミュとやらが嫌いなんだろう?』 銀色の光の前で、瞬はびくりと身体を震わせたのである。 『 「でも、氷河がそれを望んでいる。僕は氷河を喜ばせてあげたいの」 『綺麗事を言うのはやめろ。おまえは、カミュとやらが生きている方が、おまえの恋人の心を自分に向けるのに都合がいいと思っている。人間は死ねば美化される。生きているおまえは、それが気に入らない。だから、わざわざカミュとかいう奴を生き返らせて、おまえの氷河がその男に幻滅を覚えるように仕向けようとしているんだ』 「そんなことない」 その短い答えを言い終える前に、瞬の胸中には『そうなのかもしれない』という思いが生まれてきていた。 だが、すぐに、それも違うと思い直す。 そうではないのだ。 カミュを生き返らせたいのではなく、自分こそが死んでしまいたいのだ。 客観的に見れば、カミュは愛情深い人間ではあったかもしれないが、愚かな人間でもある。 その愚かな人間が、今 生きていないというだけのことで、氷河にあれほど深く慕われることができるのだ。 氷河にあれほど深く思ってもらえるのなら、死とは何と魅惑的なものなのかと、瞬は思わずにはいられなかった。 「僕には死ぬ権利があるはずだ。なのに、あなたがいるせいで死ねない」 瞬は、銀色の死神を責めた。 『本当に死にたいのか? 銀色の死神が、意地悪く瞬を問い質してくる。 その時ふいに、瞬は あの夢を思い出したのである。 すべての命が消え去った世界、その光景を。 人が生きていることに価値はあるのか――意味はあるのか。 その命題を考え始めると、瞬は気が遠くなるような感覚に襲われるのが常だった。 氷河が生きているのなら、自分も生きていたい――と思う。 だが、その氷河が死んでしまったら――兄が、星矢が、紫龍が、そして、アテナの聖闘士が守るべき人間たちがすべて死に絶えてしまったら――そこに“瞬”という個人が生きていることに意味はあるだろうか。 氷河が永遠の愛と憧憬を抱くような存在になれるのなら、今ある命を失い死者になってもいい――と思う。 だが、氷河がもし、彼のために死んだ者を その死と共に忘れてしまったら――兄や星矢や紫龍たちが“瞬”という人間の存在を忘れてしまったら――“瞬”の死は無意味なものになってしまうだろう。 瞬の心と身体は、生への渇望と空しさ、死への憧れと恐怖に 引き裂かれてしまいそうだった。 実際に瞬は、己れの心と身体が引き裂かれたような気がしたのである。 しかし、そう感じた次の瞬間、瞬の視界に飛び込んできたものは、瞬が生も死も共にしたい人の 明るい色の瞳だった。 |