翌日、城戸邸にジュネから電話があった。 瞬ではなく氷河宛に。 「瞬でも沙織さんでもなく、俺にか?」 怪訝に思ったのは、瞬よりも氷河だった。 そして、氷河の奇異の念は、実際にジュネと電話ごしに話をしてみても消えることはなかったのである。 そもそもジュネは氷河に用件を語らなかったのだ。 ただ、京都に行く前に会って話しておきたいことがあるとしか。 「氷河とジュネさんだけで? 僕は?」 ジュネが氷河にだけ、いったいどんな用があるというのか。 まさか波乱なく終わってしまった昨日の会見に、今頃になって腹が立ってきたということもあるまいに――。 受話器を置いてから何やら考え込んでいる様子の氷河に、瞬は不安な目を向けることになった。 瞬の心配そうな眼差しに気付いた氷河が、すぐにその顔に微笑を浮かべる。 「おまえの前では言えない話なんだろう。おまえのことを本当に心配してるようだったから、何か特別な注意事項でも垂れてくれるのかもしれない。おまえに聞かれると、子供扱いしているとおまえが怒るようなこと――かもしれないな」 「うん……」 それでも不安の気持ちを消しきれずにいるらしい瞬に、 「絶対 喧嘩はしないから」 と約束して、氷河は一人、ジュネに指定された場所に赴いたのである。 氷河が帰宅したのは、彼が心配顔の瞬に見送られて城戸邸を出てから3時間後。 移動時間を考慮すれば、二人の会談は1時間強というところだったのだろう。 帰宅した氷河は上機嫌だった。 どんな話だったのかと瞬が尋ねると、氷河はひどく意味ありげな目を瞬に向け、 「ムカデとトカゲとサソリとウミヘビの話」 と答えた。 「……!」 瞬が絶句することになったのは他でもない。 ムカデとトカゲとサソリとウミヘビ――それらは、かのアンドロメダ島で、ヤモリとトンボの次に瞬を泣かせたものたちの名前(?)だったのだ。 瞳を見開いたきり 瞬が何の言葉も発しようとしない様を見て、氷河が軽く頷くような仕草を見せる。 「――ということは、ジュネの言ったことは事実――というわけか」 否とも応とも瞬は答えなかった。 もとい、瞬は、その通りだと答えたくなく、また、答えにくかったのである。 アテナの聖闘士になる前のことだったとはいえ、害意も悪意もない動物たちに自分が泣かされ続けていたという事実は、少なくとも自慢になることではない。 何より、そんなことを教えるために、わざわざ氷河を呼び出したジュネの意図が、瞬には理解できなかったのだ。 地上の平和にも アテナの聖闘士としての勤めにも全く益のない情報を、氷河は、言ってみれば一方的に押しつけられたことになる。 にもかかわらず、氷河は、ジュネの行為を迷惑とは思わなかったらしい。 「あの女、実に面白い女だな」 言葉もなく その場に立ち尽くしている瞬の前で、氷河は そう言って大笑いしてみせたのだった。 もちろん、氷河は、ジュネから仕入れたネタで瞬をからかうようなことはしなかった。 が、ジュネと知り合ってから、氷河の生活に変化が生じたのは事実である。 変化と言っても、大したことではない。 氷河の外出の頻度が増えたこと。 そして、外出する際にはいつも瞬を伴いたがっていた氷河が、一人で出掛けることを好むようになったこと。 氷河の上に現われた変化は、それだけだった。 氷河の変化はそれだけだったので――瞬を一人で外出させたがらないのは これまで通りだったので――瞬は、今になって氷河は自分の都合で恋人の時間を奪い拘束することに遠慮を覚えるようになったのかと、訝ることになったのである。 瞬自身はそれを迷惑と思ったことは一度もなかったので、少し寂しくもあった。 それにしても氷河はいったいどんな用があって外出を重ねているのか。 事情を全く説明してくれない氷河を奇異に感じた瞬は、当然、その理由を知りたいと思った。 が、氷河が瞬を彼の外出に伴わず、外出の用件がどういったものであるのかを知らせてもくれないということは、彼がそれを瞬に知らせる必要はないと考えているか、あるいは、知らせたくないと思っているということである。 だから、瞬は、氷河に彼の外出の訳を尋ねることはできなかった。 無理に氷河からその訳を聞き出そうとして彼に嫌われてしまうことを、瞬は避けたかったのだ。 氷河に外出を繰り返させる用が何なのかを瞬が知ることになったのは、瞬が氷河をジュネに引き合わせた日から半月が経った頃。 いつものように一人で城戸邸を出ていった氷河が、帰宅後、瞬に小さな紙袋を手渡して、 「ジュネから預かってきた。あの女、日本の観光地全国制覇でもするつもりなのか? 今度は、北海道土産だそうだ。『氷点下-41℃』――クッキーか何かのようだが」 と言ってきた時だった。 氷河にそう言われて初めて、瞬は、氷河がジュネに会うために外出を繰り返していたのだということを知ったのである。 「ジュネさんと会ってきたの? 二人だけで?」 氷河の“用”がジュネと会うことだというのなら、なぜ彼は自分を同伴しないのか。 なぜ、彼女と最も親しい者を仲間外れにするようなことをするのか。 瞬は、つい、責めるような口調になってしまったのである。 しかし、氷河は、自分が恋人に責められるようなことをしていたという自覚を全く抱いていなかったらしい。 氷河は 悪びれた様子もなく――むしろ、いつもより優しげな口調で、 「おまえにはおまえの今の暮らしがあるんだし、アンドロメダ島のことは思い出させない方がいいだろうと、ジュネが言っていた」 「そ……う……」 気遣いから出たことと言われると、瞬もそれ以上 食い下がることはできなくなる。 瞬は、氷河とジュネの優しい心遣いを黙って受け入れることしかできなかった。 |