自分に都合の・・・悪いこと・・・・が起きると熱を出し体調を崩すのは、瞬の子供の頃からの癖だった。
運動の苦手な子供が運動会の当日になると具合いが悪くなるように、瞬の身体は瞬の心に支配される。
そんな病気はとうの昔に治ったと思っていたのに、またぶりかえしてしまった――らしい。

精神が未発達な子供のヒステリーと同じなのだとわかってはいるのだが、どうしようもない。
意思の力では、熱を下げることも、気持ちを落ち着かせることも、瞬にはできなかった。
それは逃避にすぎない。
そんなことをしていても問題は解決しない。
それは瞬にもわかっていた。
不幸なことに、瞬は、それがわからないような子供でもなかったので。

だが、少なくとも身体の不調が続く限り、氷河は瞬に房事を強いることはできない。
瞬の体調不良は、もしかしたら、そのためだけに引き起こされた病だったのかもしれなかった。
それでも瞬は、完全に氷河を遮断することはできなかったのだが。
偽りの病では、瞬の身を案じた氷河が瞬の部屋を訪れることまでは止めることができなかったのだ。

「ケーキを食べに行って、風邪を拾ってくるとは――」
ベッドに横になり、半分以上顔を隠している瞬に からかうように そう告げる氷河の声は、これまでと何も変わらずに優しく、瞬に向けられる氷河の微笑も、以前と少しも変わらず――むしろ、以前より優しいものだった。

変わってしまったのは、氷河ではなく瞬の方だったのかもしれない。
同じ声、同じ微笑がジュネにも向けられているのだと思うだけで、瞬は、氷河の声を聞くことにも、その微笑を受けとめることにも、以前と同じ幸福感を覚えることができなくなってしまっていたのだ。

氷河はなぜ、彼の心変わりを打ち明けてくれないのか。
氷河はこのまま永遠に偽りの恋を演じ続けるつもりなのか。
そんなことが可能なのか――。
瞬には、氷河の気持ちがわからなかった。
偽りの恋の当事者でいることは、氷河には耐えられても、自分には耐えられないことだ――と思う。
だが、氷河を失うことには、なおさら耐えられない。
だから、瞬は、氷河には何も告げず、何も尋ねず、3日間――3日間も、熱を出して氷河に心配される恋人の役を演じ続けたのである。
――3日が限度だった。

3日目の午前。
長引く瞬の発熱を、氷河はさすがに本気で心配するようになったようだった。
「まだ熱は下がらないのか? 医者を呼んだ方がよくないか?」
この優しい声がジュネにも向けられているのだと思うと、瞬の具合いは更に悪くなるばかりだったのだが。

声だけではない。
氷河は、毎夜 瞬を抱きしめていた腕でジュネを抱き、瞬に口付けていた唇でジュネの唇に触れる。
氷河の手がジュネの肢体を愛撫し、氷河の鼓動はジュネのそれと共に速さを増し、そして――。
考えたくないと、瞬がどれほど願っても、何かひどく残酷な力が、瞬にそれを考えさせ続ける。
瞬は気がおかしくなってしまいそうだった。

身体のどこに触れられても平気だった氷河の手――むしろ、触れてもらえない方が苦しく感じられるほどに心地良かった氷河の手が、今は、不潔で不気味で醜悪な汚穢の塊りにしか見えない。
「熱は――少しは下がったのか?」
氷河の手が瞬の額にのびてきた時、瞬の心身はその手を拒絶した。
恐怖のあまり自分の身体がすくんで動かないことに気付いた瞬の喉と唇が、懸命に その手を遠ざけるための声を作ろうとする。
瞬の努力は、ぎりぎりのところで――氷河の手が瞬の額に触れる直前に、報われた。

「いや……」
かすれた小さな声が、喉の奥から絞り出される。
「ん?」
そして、一度 声にしてしまうと、それはもう止められなかった。
「僕に触らないで。いや……いやだ」
「瞬? いったいどうしたんだ……?」
「いやーっ!」
すっかり力を失ってしまっていると思っていた自分の身体のどこに そんな力が残っていたのか。
瞬自身が我が身を疑わずにいられないほどの声が、今は病室になっている瞬の部屋に響き渡る。
それは、ほとんど絶叫といっていいものだった。






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