瞬に諦観を要求することは許されない。
氷河からは、まともな手応えを得られない。
こうなると、星矢が説得可能な人物は瞬の兄しかいなかった。
一輝は、瞬よりは現実を見ることができている人間で、氷河よりはオトナなはずの男である。
そう自分を励ましつつ、氷河の部屋を追い出された星矢は、藁にもすがる思いで、一輝の許に向かったのである。


一輝が城戸邸に帰ってくる目的は、基本的に二つある。
一つは、瞬の無事を確かめるため。
もう一つは、数日間 瞬に自分の無事な姿を見せて、瞬の心を安んじさせるため――である。
用が済んだら すぐにこの家から退散するつもりでいるのか、一輝の部屋には、彼の私物が広げられた気配もなかった。
またどこぞにふらりと出ていくのは構わないが、その前に瞬に苦悩を解消してからにしろと、全く定住感のない彼の部屋を見まわして、星矢は軽い憤りを覚えたのである。

「あのさ。瞬が、おまえと氷河の不仲を心配してるんだけど」
「……馬鹿が。そんな心配をする必要はないのに」
「馬鹿はねーだろ、馬鹿は。瞬は、自分と氷河がナカヨクなったせいで、おまえと氷河が反目し合うようになるなんて あっちゃいけないことだって考えて、ココロを痛めてるわけ。だから、おまえ、振りでいいから、瞬の前で氷河と仲良くしてやって見せろよ」

こうなったら、“振り”でいいのだと、星矢はすっかり開き直っていた。
一輝と氷河は好きで反目し合っているのだから、それこそ好きにすればいい。
氷河と一輝の反目を消し去るという根本的解決は もう望まない。
ただ瞬の懸念と不安を消してくれるだけでいい――と。

だが、一輝の返答はにべもなく、同時にまた実に奇妙なものだった。
「それは謹んで断る。――が、俺は別に氷河を嫌っているわけではないぞ。馬鹿でこずるい男だとは思っているが」
と、彼は言ったのだ。

「馬鹿で……こずるい?」
星矢が引っかかったのは、一輝が氷河を『嫌っているわけではない』と言ったことではなく、彼の氷河評の方だった。
『嫌っているわけではない』は『わざわざ嫌うほど(氷河を)意識していない』という意味に解することができ、それは得心できないことではない。
だが、『こずるい』とはどういう意味なのか。

『馬鹿』の方はわかるのである。
感情のまま瞬の兄と衝突し合って 瞬を悲しませているのだから、氷河は確かに見事なまでに馬鹿な男だった。
しかし、『こずるい』とは。
星矢の目には、氷河は正真正銘の馬鹿であり、馬鹿以外の何ものでもないものとして映っていた。
だから、星矢は、一輝の言う『こずるい』の意味が全く理解できなかったのである。
先程の氷河の北叟笑みといい、一輝の『こずるい』発言といい、瞬の周囲の男たちは どこか何かが奇妙である。

いずれにしても、一輝は―― 一輝も氷河同様――たとえ“振り”でも、瞬の前で氷河とナカヨクしてみせる気はないらしい。
本当にこの男たちは瞬をアイシテいるのかと、星矢は やり場のない苛立ちを覚えたのである。
こんな訳のわからない男たちのせいで心を痛めている瞬が不憫だとさえ、星矢は思った。

取りつく島のない氷河や一輝のことは諦めて、瞬の気を紛らせる方策を練った方が生産的かもしれない――。
八方塞がりの状況に追い込まれた星矢は、そんなふうに方向転換を考え始めていたのだが。

星矢を更に混乱させる事件が起こったのは、翌日のことだった。






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