俺たちがティーラウンジの席に戻ったのは、ラウンジの支配人とウェイターが、廊下に出た三人の客を心配そうに見ていたから。
人目のある場所の方が金髪男も暴力沙汰を控えるだろうと、瞬も判断したようだった。

瞬の向かい側の席に着いた俺に、瞬が溜め息のような声で尋ねてくる。
「あなたは――自分の人生もお金で計るんですか?」
「見掛けの美醜で計るよりましだ」
吐き出し投げ出すような口調で、俺は答えた。
俺は本当にいらついていたんだ。
瞬の隣りにいる男の綺麗なツラに。

いや、俺はむしろ不安で焦っていたのかもしれない。
もしかしたら、この男は、この綺麗な顔だけで瞬の心を捉えたのではないのかもしれない――という不安のせいで。
だから、俺は、殊更 忌々しい男の顔だけをあげつらうことをしたんだ。
俺がそう言った次の瞬間、驚くべきことが起こった。
俺の目の前で、その綺麗な顔を歪めたのは、金髪男ではなく瞬の方だった。
そして、瞬は、テーブルにあったケーキを皿から取り上げて、金髪男の顔の真ん中にぶつけた。
そんな真似をしでかしてから、瞬は涼しい顔で、
「僕は、こんな顔になっても氷河が好きだけど」
と言ったんだ。
眼前で、ほんの数秒の間に起こった出来事に、俺は唖然とした。
金髪男の綺麗な顔は、クリームとチョコレートのパウダーで厚化粧が施され、重力に負けて顔に貼りついていられなかったクリームや果実やらがぼろぼろとテーブルの上に落ちてくる。

「瞬。食い物を粗末にするな」
この異常事態に、金髪男はあまり動じた様子もなく そう言い、
「あとで舐めてあげるから我慢して」
瞬は金髪男以上に動じた様子を見せずに、金髪男をなだめることをした。
「ならいい」
その一言で金髪男はなだめられてしまった(のか?)んだから、俺は呆れるしかなかった。
リアリズム皆無のドラマでも滅多に見られない この惨事(?)に、フロアにいる他の客たちもあっけにとられている。
たとえ瞬にされたのだとしても、俺なら耐えられないぞ、こんな辱めには。
だというのに、金髪男は平然としたもので――どうやら、この派手な金髪男はスタイリストではないらしい。

「お金でも、他の何かでも、何に価値があると思っても、それはあなたの自由です。でも、あなたの価値観で僕の氷河を計るのはやめてください。いいえ、氷河だけでなく、他の人のことも、もちろん僕のことも」
金髪男が平然としている分、瞬の声が震えている。
といっても、その震えは、自分がしでかした大胆な行為を悔いているからではなく――俺への怒りのせいのようだった。
否、俺への怒りを抑えようとして、瞬の声は震えていたんだ。

「俺は君が好きなんだ。君がいてくれれば、俺の人生は――」
俺は、すっかり瞬に気圧けおされてしまっていた。
「あなたの人生がどうなるというんです」
「それは……」
まともに働いてくれない頭を懸命に稼働させて、俺が導き出した答え――それは、
「君が俺の側にいてくれれば、俺は何かをしようという気になる」
というものだった。
頭がまともに働いていない状態だったからこそ、それは正直な答えだったろう。

俺の正直な答えを聞いた途端、瞬が肩から力を抜く。
それから、瞬は少し、俺の見知っている瞬のやわらかさを取り戻してくれた――ように、俺には見えた。
「そういう気持ちはとても大切なものだと思うんでけすけど――」
溜め息混じりに、瞬が呟く。
そう呟いてから、瞬は困ったように、だが明瞭な発音と声で、きっぱり断言した。
「僕は僕の人生を、氷河と地上の平和のために捧げているんです。ごめんなさい」

「……」
また、『地上の平和』だ。
こう何度も繰り返されると、瞬は本気でそんなことを考えているんじゃないかと心配になってくる。
そんな突拍子もない言葉で俺を拒むくらいなら、いっそ『あなたなんか好みじゃない』とはっきり言ってくれた方が、ずっとましだ。

「瞬。なぜ、おまえが謝るんだ。馬鹿なのはこいつだろう」
横から、金髪男が瞬の謝罪にクレームをつけてくる。
クリームを貼りつけた顔で、この男は何を言ってるんだか――。
「お客様」
20年に一度遭遇するかしないかレベルの椿事の驚愕から何とか脱却することができたらしいウエイターが差し出してきたタオルも、この派手な厚化粧男は右手で制して受け取ろうとしなかった。
「ああ、いいんだ。あとで瞬が舐めてくれるそうだから」

いったい この男には、『自分がみっともないありさまでいる』という自覚はないのか?
その頃には既に、二人を見る俺の目は、言葉の通じない宇宙人を見る者のそれに変わってしまっていた――かもしれない。
異様すぎて、綺麗すぎて、不可解すぎて、地球人には手の出せない宇宙人だ、この二人は。

そんな宇宙人の片割れを見やって、瞬が小さく呟く。
「生きることの目的を否応なしに与えられている僕たちは、それを探さなくていい分、恵まれているのかもしれないね」
瞬の呟きに、金髪の宇宙人が僅かに眉をひそめる。
宇宙人なら、歳の取り方も地球人とは違うだろう。
俺の目には中学生か高校生に見える瞬も、実は百年の時を生き抜いてきた“大人”なのかもしれない。

「僕は、氷河が好きなんです。同じ目的のために共に戦ってくれる人だから」
俺の目には中学生か高校生に見える子供が、まるで50年の長きに渡って金髪男に恋し続けてきた大人のように、俺に言う。
「自分のために何かをする気になれなくて、誰かのために何かをしたくて、でも、その誰かが今は見付からないというのなら、すべての人のために何かしようと考えてみるのはどうでしょう?」
その“誰か”は瞬だと言ってるのに――俺の言葉は地球語だから、瞬には通じないんだ。
宇宙人で大人の瞬には。
そう思うと悔しくて悲しくて、俺は、どう足掻いても敵わない大人の前に引き出された子供のように、駄々をこね始めていた。

「俺が誰かのために? なぜそんなことをしなきゃならないんだ、馬鹿馬鹿しい。他人のことなんか知るか! 人は誰だって自分のことだけ考えている。俺だけじゃなく、俺以外の奴等もみんなだ。なのに、なんで俺だけが人のために何かしてやらなきゃならないんだ? 人は誰も自分の幸福追求にだけ いそしんでいればいいんだ。それでみんなが幸せになれるだろう。俺だってそうするさ!」
「あなたの理屈でいうのなら――あなたの幸福追求に付き合う義務を、僕は負っていません」
「……」
“大人”がきっぱりと“子供”の駄々を切って捨てる。
俺は言葉を失った。

「誰かのために何かをしたい、誰かのためになら何かができるっていう気持ちは、とても大事なことだと思います。そうでなかったら、人は絶対に幸せにはなれないもの。人は、一人では――人は自分を完全に幸福にすることはできないんですよ。そんなことは無理なんです。誰かのために何かをした時にだけ、誰かの幸せを心から願う時にだけ、人は本当に幸せになれるんです」
「……」

俺の幸せに、なぜ他人の存在が必要なんだ。
俺には、瞬の言っている言葉の意味がわからなかった。
いや、わかっていた。
わかっていることを、だが、俺は認めたくなかったんだ。俺には誰もいなかったから。
もう誰もいなかったから。
こんな馬鹿な息子を決して見捨てずに叱り 守ってくれた父さんと母さんを、俺は永遠に失ってしまった。
心から俺の幸せを願ってくれる人は、俺にはもう誰もいない――。

「その誰かが見付からないことは苦しいことだとも思う。でも、そんな人を見付けたいのなら、あなたは、もう少し自分以外の人間の心を思い遣って、人がどんなものを大切に思っているのか考えて行動すべきだと思います。あなたの価値観ですべての人を計るなんて、無意味どころか有害。自分以外の人の価値観を認め尊重する。それができて初めて、人は人に出会ったと言えるんです。それができない人は、自分から仕合わせを遠ざけている、ただの馬鹿だ」
「――」
善良で、あらゆる物事に優しく好意的な目を向けている瞬。
口調も言葉も厳しいが、それは、瞬が、俺をおざなりにではなく本気で心配してくれているからだ。
母さんがそうだったように。

「瞬。馬鹿には優しく言ってやれ。今のおまえは全くクールじゃないぞ」
忌々しい金髪男が、呆れ投げ出すような声音で そう言うのも、もしかしたら俺のためなのかもしれない。
俺の父さんがそうだった。
ああ、この金髪男は、本当に、クリームを貼りつけた顔でそんなことを偉そうによく言えるもんだ。
この無様な顔に比べたら、父さんの くたびれた長いエプロンの方が、まだカッコ悪くなかった。
瞬の言っている言葉の意味は、俺にだってちゃんとわかってる。
瞬にとって価値あるものは、顔の造作の出来でもなければ金でもないってことも、俺はちゃんとわかっているんだ。

「まあ、俺を顔だけの男と言われて腹が立つ気持ちはわかるが、落ち着け」
瞬が誰を好きなのかも、ちゃんとわかってる。
「ご……ごめんなさい。すみません。でも、僕は氷河と生きてくって決めているから」
俺が失恋したことも、俺が振られて当然の男だってことも、ちゃんと俺はわかっていた――。






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