膠着状態に陥っていた事態が新しい局面を迎えたのは、それから3日後のこと。
それは、幸福がもたらす悲しさを、瞬に忘れさせてくれる出来事だったかもしれない。
聖域に敵の宣戦布告があり、アテナがアテナの聖闘士たちを聖域に招集。
つまり、戦いが始まったのだ。

瞬は決して新たな敵の出現を喜んでいたわけではなかったろうが、自分が地上の平和のために戦えるということ自体には喜びを禁じ得ずにいたのだろう。
おそらく瞬は、胸の中にある罪悪感を消そうとするかのように気負って敵に対峙した。
そして、それは、いつもの瞬の戦い方とは違っていたのである。
戦いに臨む時、瞬を最も強く支配しているものは、平生であれば『人を傷付けたくない』という ためらいに似た思いであり、そのためらいこそが、瞬の戦い方を慎重なものにしていた。

だが、その日、瞬の胸には いつものためらいがなかった。
そして、その日の敵たちは、それぞれの手にそれぞれの武器を持っていた。
つまり、彼等は小宇宙よりは小手先の技や武器で戦うタイプの戦闘員であり、そのため瞬は 小宇宙の力で彼等を圧倒することができなかったのである。
小宇宙の力が弱いものは、対峙する相手の小宇宙の力を感じる力も微弱である。
弱い者は、強い者の真の力を見極める力も弱い。
そして、敵の力を読みきれない者は自分の力も読みきれず、ゆえに無謀である。

そういう敵の弱さが瞬の気負いを空回りさせ、それは敵に無謀を行なわせる機会を与えてしまった。
「瞬っ、右っ!」
「えっ」
星矢の声を聞いた瞬が敵の気配を認め、ほとんど反射的にチェーンを放つのと、瞬を庇った氷河がその肩で敵の得物を受けとめたのが、ほぼ同時。
瞬のチェーンに仕留められた敵が瞬めがけて投じた得物は、刃の長いトルコのシャムシールに似た片刃刀だった。
武器を持っていることを除けば 凡百の戦闘員にすぎない男が、瞬のチェーンの攻撃をまともに受けて、その場にどさりと崩れ落ちる。
命までは落としていないようだったが、どう考えても彼は聖闘士に倒されるに値するほどの力の持ち主ではなかった。

それは平生の瞬であれば考えられない醜態だった。
声もなく倒れてしまった敵と、低く短い呻き声を洩らしてアンドロメダ座の聖闘士の前に片膝をついた氷河を、瞬はしばらく呆然と見おろすことになってしまったのである。
「氷河っ! 氷河!」
呆然としていた瞬を我にかえらせたものは、氷河が肩からしたたらせている赤い血だった。
「氷河……氷河、大丈夫 !? ごめんなさい、僕、なんてことを――」
「おまえが苦しんでいると俺も苦しいと言ったろう。俺のために――頼むから、おまえらしくない戦い方はしないでくれ」
「氷河……」
瞬のために――氷河はすぐに立ち上がってみせたのだが、その時にはもう瞬の瞳はすっかり涙に覆われていて、瞬は聖闘士として使いものにならない状態になってしまっていた。

戦場に 誰より張り切って乗り込んできたのは瞬だったのだが、戦場で 敵を最も多く打ち倒したのは、瞬の気負いを懸念していた星矢と紫龍だった。
氷河が負った傷は左肩から背中にかけて30センチほどのもので、2、3日ではふさがらない程度に傷口が開いたが――つまり、それは2、3日でふさがった。
地上の平和を守るための戦いで、自らの幸福の鬱憤晴らしをしようとしていた自分に気付いた瞬は、星矢たちに幾度も謝罪し、もう二度とこんなことはしないと誓うことになったのである。

そういうハプニングはあったが、結局 今回の敵は、長くアテナの聖闘士たちの手を煩わせるほどの者たちではなかった。
元の平穏が戻ったら、瞬はまた落ち込み始めるのかと、星矢と紫龍は懸念することになったのである。
だが、どういうわけか、彼等の懸念は現実のものにはならなかった。
表面上は、その戦いの前後で特に何が変わったわけでもないのだが、氷河は仲間たちに例の憂い顔を見せることはなくなり、瞬も以前の落ち着きを取り戻した。
その平穏が真実のものなのか、あるいはやはり『一見して』のものなのかの判断は 星矢たちにはできなかったのだが、その小さな戦いの終結以降、確かに、アテナの聖闘士たちの許には以前の平穏が戻ってきたのである。






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