結局 瞬は、逃げ出そうとしていた屋敷の中に再び連れ戻されてしまった。 ラウンジの長椅子の中央に掛けるように言われた瞬は、そこに両の肩を丸めるようにして腰をおろした。 星矢と紫龍がテーブルを挟んで向かい側の席につき、星矢に呼びつけられたらしい一輝と氷河が星矢たちの後ろに互いに不自然なほどの距離を置いて立っている。 瞬は自分を、まるで4対1で尋問を受ける罪人のようだと思ったのである。 瞬が その場から逃げ出したい気持ちを かろうじて抑えることができていたのは、神妙な顔をした星矢に、「おまえが記憶を失った事情を説明する」と言われたからだった。 その経緯を知っていたのなら、なぜそれを最初に教えてくれなかったのかと疑いながら、瞬は その被告人席に着いたのである。 検察官が氷河だったなら、それでも瞬は逃げ出してしまっていたかもしれなかった。 が、この公判でその役を任されることになったのは、この家の住人の中で最も検察官役にふさわしくないと思われる星矢だったので、瞬はなんとかその場に留まることができていた。 その検察官が、どうにも頼りない口調で、冒頭陳述を始める。 「どこから話せばいいんだ……。んーと……まず、あのな。俺たちとおまえはアテナの聖闘士っていう物騒な商売してんの。アテナの聖闘士ってのは、主に、人類滅亡だの 人類の粛清だのを企む悪い神様たちをやっつける正義の味方のこと」 「……」 口調が頼りないのはやむを得ないとしても、語る内容が馬鹿げた作り話なのでは、それこそ話にならない。 星矢の冒頭陳述の荒唐無稽振りに ぽかんとすることになった瞬は、気を取り直すのにかなりの時間を要したのである。 「本気で――ううん、正気で言っているんですか? 人類滅亡だの神様をやっつけるだの、そんな馬鹿げたこと……。だいいち、僕にはそんな力はありません。誰かをやっつけるだなんて」 「そんな力はないって言われても……。おまえは、へたすりゃ、アテナの聖闘士の中でも最強の聖闘士だったんだぜ」 星矢は(おそらくは本気で)そう言った。 瞬は、更に彼の正気を疑うことになった。 彼は何を言っているのか――。 瞬はこれまで、自分自身の記憶を持たない自分こそがおかしい人間なのだと思っていたのだが、実はそうではなかったのか――。 たとえ作り話でも、誰かを“やっつける”ことなど自分には絶対にできない。 そう確信して、瞬は首を横に振り、星矢はそんな瞬を見て小さく吐息した。 「信じられないのは仕方ねーかもしれねーけど……。うん、まあ、そんで、おまえには、超ブラコンの兄貴と、おまえにべた惚れの阿呆な男が一人ついててさ、それが、この一輝とそっちの氷河」 「こちらの一輝さんが僕の兄……僕と兄弟なんですか? それで、あの……氷河さんが僕を……?」 信じられない思いで、星矢の言を繰り返しながら、瞬は自分の頬が我知らず熱くなるのを自覚しないわけにはいかなかったのである。 先ほどのキスは、ではそういうことだったのか。彼と自分は これまでにも幾度もあんなキスを交わしていたのか――。 そんなことを考えただけで、瞬の胸は早鐘を打ち始めた。 あれほど情熱的なキスを――先程のそれは むしろ暴力的だったが――当たりまえのように交わしていた恋人に忘れられてしまったら、彼が憤るのも無理からぬこと――と、瞬は思った。 一輝が、弟のそんな様子を見て、ぴくりとこめかみを引きつらせる。 「そう。で、こいつらはおまえを溺愛してて、当然 犬猿の仲なわけ」 「どうして犬猿の仲なんですか?」 瞬が口にした素朴な疑問に、氷河と一輝が一瞬 虚を衝かれたような顔になる。 二人にとって、それは、それほど思いがけない質問だったらしい。 星矢もなぜそれが当然のことなのかの説明が思いつかなかったらしく、瞬の素朴な質問は、 「それはあとで二人に訊いてくれよ。そこまでは俺も知らないから」 の一言で流されることになった。 「うん。そんで、おまえの兄貴は鳳凰幻魔拳っていう拳を撃つことができる。その幻魔拳ってのが、拳を受けた相手に最悪の悪夢を見せるっていう、 「人に悪夢を見せるなんて、そんなことできるわけが――」 「できんの!」 瞬の素朴な疑問や常識的な質問をいちいち真面目に受け付けていたのでは、話が一向に先に進まない。 そう判断したらしい星矢が、彼らしくない厳しい口調で瞬の言葉を遮る。 「はい……」 びくりと身体を震わせて、瞬は星矢の断言に項垂れるように頷いた。 顔を伏せた瞬の耳に、星矢の幾度目かの溜め息の音が届けられる。 その溜め息をすべて吐き出したあとで、星矢は、 「ここまでが前置きだ」 と、気を取り直したように宣言した。 本題は、先の荒唐無稽な前置きを前提事実として語られることになるらしい。 瞬はキツネにつままれた思いで、星矢の語る本題を拝聴することになったのである。 「それで、昨日さ――」 星矢の語る本題は、彼が提示した前置き以上に奇天烈で非現実的なものだった。 |