そうして。
冥界に来て、瞬は初めて知ったのである。
瞬に闇の中から小宇宙を貸し与えていた者。
あの力の持ち主が、冥界の王ハーデスだったことを。
彼は、偽のアンドロメダ座の聖闘士の肉体を 彼の魂の器とするために、本当は何の力も持たない無力な人間の心身を守り続けていたのだという事実を。

「そうだったの……。僕はこれまで、アテナの敵の力を借りて戦っていたの」
皮肉な事実。
おそらく それは、嘆き悲しんでいい事実だったろう。
瞬が本当にアンドロメダ座の聖闘士であったならば。
だが、瞬は ただの非力な一人の人間でしかなかった。
その命が失われたとしても、アテナと瞬の仲間たちは 実は何の損害も被らない。
だから、冥府の王に その事実を知らされた時、瞬はむしろ歓喜したのである。
ハーデスの残酷な所業に、瞬は感謝の念さえ抱いた。
彼は、偽のアンドロメダ座の聖闘士のために 何という素晴らしい最後の舞台を用意してくれたのかと。

「あなたがアテナの敵、氷河たちの敵だというのなら、今 ここで僕と一緒に死んで。――よかった。これで僕、最後まで氷河たちの仲間でいられる――仲間のまま死ぬことができる……」
偽のアンドロメダ座の聖闘士とハーデスの死で、地上の平和とそこに生きる者たちの命が守られ、瞬の唯一の願いもまた成就されるのだ。
これで、永遠に“瞬”は氷河たちの仲間でいることができる。
もう彼等を騙し続けなくてもいい――。
瞬が持つ唯一の力――瞬の心は高揚していた――否応なく高揚した。
もちろん、ハーデスは瞬の心に抵抗してきたが、彼の力が瞬の心の力に敵わないことは 既に天秤宮での戦いで実証済み。

あるいはハーデスは、アテナの結界の外、冥府の王が支配する場所でなら、瞬の心の力を捻じ伏せることができると たかをくくっていたのかもしれなかった。
しかし、どこにでも自由に飛翔していける人間の心のあり様に、肉体の置かれている場所の変化が いったいどれほどの影響力を持つだろう。
まして、今の瞬の心の力は、仲間たちとの間に結ばれた絆という力が加わって、以前より更に強大なものになっていたのだ。
どんな特別な力も持たず、無力な一個の人間にしかすぎない自分でも 神と刺し違えることは可能だろうと確信できるほどに。

その確信に従って、瞬は自らの内にある小宇宙を燃やしたのである。
これまでの戦いの時とは異なり、自分の内に向けて。
その小宇宙を完全に燃やし尽くすために。

――大抵の人間は死を恐れる。
中には、どんな人間にも回避できない死こそが 人間にとっての最大の不幸なのだと考える者もいる。
だが、今 現に死に直面している瞬には そう思うことができなかった。
生が 天によって人に与えられた最高の恩寵なら、死もまた、天によって人に与えられた最高の祝福だろう。
自分の生と死が 共に幸福に満たされ幸福に彩られたものになり得たのは、すべて仲間たちの存在があったからだと、瞬は思っていた。
最初から最後まで彼等を騙していた自分を、彼等は最初から最後まで信じていてくれた。
そういう存在があったから、そういう仲間たちを持つことができたから、瞬の生と死は誰よりも幸福なものだった。

大切な仲間たちをずっと騙し続けてはきたが、幸運にも最後まで彼等を裏切ることはせずに済んだ――。
その思いが、瞬の瞳の中に温かい涙を生む。
その涙は一粒の雫となって瞬の頬を転がり落ち――そうして、その時、瞬は目を覚ました。






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