もはや真実を告げるしかないと 瞬が決意したのは、アテナとアテナの聖闘士たちが冥界からの生還を果たした数日後。 もともと聖闘士としての力を持たず、聖闘士の振りをするための借り物の力さえ失った今、瞬の良心は、これ以上 仲間たちに優しくされることに耐えられなかったのである。 「僕は本当は聖闘士じゃないの。その資格が、最初からなかった」 世界が最も明るく生気に満ちている時刻。 その資格を有しない偽の聖闘士には まもなく見納めになるだろう聖域を一望できる場所で、瞬は仲間たちに告白した。 「なに?」 「これまで僕はずっとハーデスに守られていた。ハーデスの力を借りて戦ってきた。僕自身は無力なのに、みんなを騙してきたんだ」 瞬の告白を聞いた瞬の仲間たちは、一様に沈黙という反応を瞬に返してきた。 偽の聖闘士を責める言葉も、彼等の口からは すぐには出てこなかった。 それも無理からぬことだと、瞬は思ったのである。 偽の聖闘士が、アテナの聖闘士たちの戦いに紛れ込むなど、聖域の歴史始まって以来の大椿事に違いないのだ。 「でも、もうその力は失われた。僕、これからはみんなの足手まといにしかなれないと思う」 「瞬。おまえ いったい何 言ってるんだ? 真昼間から寝ぼけてんのか?」 星矢こそが おそらく彼は、これまで彼と共に戦ってきた仲間が仲間でなかった可能性など考えたこともなかったのだろう。 その事実が悲しく苦しくて、瞬は唇を噛み、その顔を伏せることになった。 「これまで僕がみんなと一緒に戦ってこれたのは、ハーデスの力があったからだったんだ。僕の力じゃなかった。僕には最初から小宇宙なんてなかった。なのに、僕は みんなと一緒にいたかったから、みんなを騙して――」 叶うなら、たった今、偽の聖闘士の心と身体を 跡形もなく消し去ってしまいたい。 瞬は、心からそう願った。 “死”などという贅沢は望まない。 瞬の望みは“死”ではなく“無”だった。 仲間を騙し続けてきた卑怯者には、それこそが最もふさわしい罰だと、瞬は思ったのである。 ――奇妙に長い沈黙。 その沈黙を破って、最初に気を取り直したように口を開いたのは、偽の聖闘士に命を救われたことのある白鳥座の聖闘士だった。 「天秤宮で俺を生き返らせた小宇宙は――」 「あれもハーデスの力だよ」 「……」 瞬の答えを聞いた氷河がその端正な貌を歪め、星矢と紫龍が顔を見合わせる。 何事かを考え込むように眉根を寄せ、唇を引き結んでいた氷河は、ややあってから再度口を開いた。 「おまえは何か勘違いをしている――と、俺は思うぞ」 「え?」 「あの時――天秤宮で俺を生き返らせた小宇宙は、おまえの心だけでできていた。おまえに命を救われた俺だから――自分の命をおまえの小宇宙に預けたことのある俺だからわかるんたが、あの小宇宙にはおまえ以外の者の力など――ましてハーデスの力や意思など ひとかけらも混じっていなかった。あれは混じり気のない純粋なおまえの心だけでできた力だった」 「……」 氷河の言葉を、瞬は嘘だと思った。 氷河はおそらく 嘘つきの仲間のために、優しい嘘をついてくれているのだと。 その優しさを受けとめる資格も持たない卑劣漢のために、彼は彼らしい不器用な嘘をついてくれている。 だが、瞬はもう、その優しさに応える術を持っていなかったのだ。 「それは、僕がずるく立ち回って、氷河たちを騙してたから……。僕は、みんなの仲間でいたかったから、そのために嘘をついていたんだ。ひとりぽっちにならないために、僕はみんなを利用してたんだよ……」 「俺を生き返らせてくれた あの小宇宙は おまえの心だけでできていた。でなかったら、俺がおまえに――」 「惚れたりなんかするわけないよなー」 星矢に横から口を挟まれたのが不快だったのか、氷河が天馬座の聖闘士を睨みつける。 その言葉に 瞬は大きく瞳を見開き、だが、やがて再び力なく瞼を伏せた。 「あれは僕の力じゃなかったの……」 氷河を死の淵から蘇らせた あの力――あの力が本当に自分の力だったなら どんなによかっただろうと、瞬は思った。 そうであったなら、自分は、氷河が不器用に示してくれる優しさに、罪悪感など覚えることなく、ただ幸福な思いだけで浸っていられたに違いないのだ。 だが、その幸福は偽の聖闘士には許されない。 その苦しみと悲しみは、卑劣な偽の聖闘士が自ら招いた苦しみと悲しさで、瞬は今は その苦しみと悲しさに一人で耐えるしかなかった。 瞬の瞳に涙が盛り上がってくる。 仲間と共に在る時には、死に匹敵する試練にも容易に耐えることができたのに、一人になった途端、瞬はどんな小さな切なさにも耐えられない、真に非力なものになってしまっていた。 「あー……つまり――氷河を救った本当の人魚姫はハーデスで、おまえは、そのあとで偶然通りかかり、氷河の感謝を横から掠め取った隣国の姫君にすぎないと主張するわけか」 それはいったいどういう例えだと紫龍に食ってかかる力を生むこともできず、瞬は項垂れるように龍座の聖闘士に頷いた。 「……そうだよ」 「だとしても、ハーデスは氷河の好みじゃないだろう」 気色の悪いジョークを聞かされた氷河が、紫龍を睨む。 紫龍は両の肩をすくめた。 そして、彼は、今度は真顔で瞬に向き直った。 「あの時の小宇宙がどんなものだったかは、俺たちもよく憶えている。あれはおまえだけの力だ。俺たちにはわかる。氷河の命と心を救ったのはおまえだ」 「どうしてみんな……」 どうして、アンドロメダ座の聖闘士の仲間たちは皆、これほどまでに優しいのか。 自分がアンドロメダ座の聖闘士でないことを、今ほど悲しく思ったことはない。 紫龍の優しい嘘に、瞬は首を横に振った。 偽の聖闘士には、その優しさを受けとめる資格がないのだ。 「ハーデスが封印されて、僕はもう彼の威を借ることはできなくなった。僕はもうみんなと一緒に戦うことはできなくなる」 「詰まらん冗談はやめろ。笑えない」 『無力』『みんなを騙して』『嘘をついて利用して』『もう一緒にいられない』 瞬が繰り返す それらの言葉に、さしもの“優しい氷河”も不快の念を隠せなくなってきたらしい。 彼の声には苛立ちの響きが混じり始めていた。 だが、今の瞬には、彼を不快にする言葉を繰り返すこと以外に、できることがなかったのである。 「僕は冗談なんか言ってないよ……」 「んなこと言われてもなぁ……。俺たち、今もおまえの小宇宙を感じてるし」 「え……?」 星矢の、まるで ぼやきのような声が、それまでずっと伏せられていた瞬の顔を上げさせる。 初めて仲間たちの顔をまともに見ることになった瞬は、その時になってやっと気付いたのである。 瞬の告白の深刻な内容にもかかわらず、瞬の仲間たちが全く深刻な目をしていないことに。 その事実に、瞬は戸惑った。 「そ……そんなはずないよ」 瞬に力を貸していたハーデスは その力を失った。力を封印されてしまったのだ。 瞬が小宇宙を有しているなどということはあり得ない。 だというのに、氷河は言い募るのだ。 「優しい小宇宙だ。ハーデスのものじゃない」 「……」 瞬は、半ば呆然として、 「確かに、出会った頃のおまえの小宇宙は ひどく不安定だったが、あれは おまえが本心では戦いを望んでいないからなのだと思っていた。だから俺が支えてやらなければならないのだと思いあがっていたが、おまえは戦いを重ねるごとにどんどん強くなっていって――」 「逆に氷河の方が助けられるようになっちまったんだよなー。かっこわりー」 「でも、あれはハーデスの――」 瞬の反駁を、氷河が遮る。 「もし、あの頃のおまえの小宇宙がおまえ自身のものでなく、本当はおまえが聖闘士の資格を有していなかったのだとしても、それは おまえに力がなかったのではなく、おまえが本心では戦いたくないと思っていたからだったのだと思うぞ。おまえの本当の戦い方を見付けた天秤宮で、おまえはおまえの小宇宙を手に入れたのだと思う」 「あ……」 これまで瞬は、氷河に優しくされることに いつも罪悪感を抱いてきた。 その不器用な優しさの示し方に、高慢にも微笑ましさを覚えたこともあった。 だが、今、瞬が彼の優しさに感じるのは 恐れだけだった。 優しすぎて、氷河が恐い。 瞬は身体を震わせた。 「氷河は優しすぎるの。みんな、優しすぎるの。僕は本当はアテナの聖闘士じゃなくて、みんなの仲間じゃなくて、だから、みんなにこんなふうに優しくしてもらう資格はないんだよ……!」 「優しく 「ぼ……僕が聖闘士でなくても……?」 その反問に、星矢が大きく頷く。 星矢の隣りで 星矢と同じように頷いた紫龍は、その首肯にすぐに別の言葉を付け足してきた。 「だが、誤解のないよう もう一度繰り返すが、俺たちはたった今もおまえの小宇宙を感じているぞ」 「僕の小宇宙……?」 そんなものが本当にあるのだろうか。 紫龍は――紫龍もまた――無力な仲間のために優しい嘘をついてくれているのではないのか。 瞬はどうしても自分に自信が持てず、その身体と心を臆病に縮こまらせることしかできなかった。 そんな瞬の臆病に呆れたように、紫龍が長い吐息を洩らす。 「本当に感じていないのか」 「まあ、俺も、おまえたちの小宇宙は感じ取れるけど、自分の小宇宙はよくわかんねーからなー。技を放てるから、自分にも小宇宙があるんだろうって思うし、その技の威力で自分の小宇宙のレベルがわかるみたいなもんだからな」 「……おまえの小宇宙は優しい。俺にはわかるぞ」 「氷河……星矢……紫龍……」 |