「さっちゃん。これから 小人さん捜しをしてみようよ。さっちゃんも、小人さんに『ありがとう』って言いたいでしょう?」 氷河を従えて星の子学園に向かった瞬は、図書室で他の女の子たちと『シンデレラひめ』の絵本を読んでいたさっちゃんに、とんでもない話をもちかけた。 いったい どういうつもりなのかと、氷河は瞬に尋ねようとしたのだが、彼は結局 その疑念を声にすることはできなかった。 あんなことをしてしまった男は、瞬に声をかける権利など有していないだろうという思いのせいで。 「うん!」 当惑している氷河とは反対に、さっちゃんには瞬の提案が なかなか楽しい計画に思えたらしい。 彼女は元気な声で返事をすると、勢いよく掛けていた椅子から腰をあげた。 さっちゃんの周りで本を読んでいた女の子たちも、花冠の謎には興味津々らしく、さっちゃんに倣う。 「どうやって見付けるの? どこから捜す?」 意気込んで尋ねてくるさっちゃんに、瞬は軽く小首をかしげた。 「そうだね。あの花冠はどこにあったの?」 「お遊戯室のテーブルの上。今もあるよ。もう少ししたら枯れてくるから、お陽様の当たるところにぶら下げてドライ花冠にしようって、美穂ねえちゃんが言ってた」 「ドライ花冠? それならもっといい方法があるよ。氷河」 さっちゃんやそのお仲間たちと、隣りの遊戯室に移動した瞬が、テーブルの上にあった花冠を手に取り、それを氷河の前に差し出してくる。 瞬に名を呼ばれた。 それだけのことに、氷河の心臓は跳ね上がった。 「この花冠、プリザーブドフラワーみたいにできる? 凍らせて水分を抜くんじゃなく、酸素と水素の結合を換えて」 そんな真似はしたことがなかったが、瞬がそうしろと言っているのである。 氷河は、もちろん それをした。 おそらく、二度と同じことはできないだろうと確信しながら。 当人もどういう方法で作ったのか理解できていないプリザーブドフラワーの花冠を、瞬がさっちゃんに手渡す。 「これで、この花冠は永遠に枯れないよ」 「ほんと? 氷河おにーちゃん、すごいー!」 さっちゃんと彼女の仲間たちは一様に氷河に尊敬の眼差しを向けてきたのだが、氷河はそこで得意顔をすることもできず、引きつった顔で浅く頷くことだけをした。 そんな氷河をちらりと横目で見やってから、瞬が再びさっちゃんの方に向き直る。 「さっちゃん。この花冠、萩の茎のところにススキの穂みたいなのが絡まってるね。さっちゃんが 萩の花を探した空き地にススキは生えてた?」 「ううん。この辺にススキが生えてるところはないの。お月見の時に飾るススキも、美穂ねーちゃんたちが河原まで取りにいって――あ」 「どうしたの?」 何か気になることがあったのか短い声を洩らしたさっちゃんに、瞬が尋ねる。 さっちゃんは一度 微かに唇をとがらせてから、彼女の意識に引っかかった ある事実を瞬に語ってくれた。 「おとといの夜、アキラちゃんたちが暗くなってから泥だらけの傷だらけで帰ってきて、美穂ねーちゃんたちに叱られてたの。喧嘩したんじゃなく、ススキの葉っぱで切ったんだって言い訳してた」 「アキラくんたちが? じゃあ、アキラくんたちが何か知ってるかもしれないね。聞いてみようか」 「えーっ !? 」 不満げな声を響かせたさっちゃんを無視して、瞬は、運動場でボールを蹴っていた腕白坊主たちを窓の側に呼び寄せた。 そうして、瞬は、さっちゃんには思いもよらなかっただろうことを、彼等に尋ねたのである。 「さっちゃんの花冠を直してくれたのはアキラくんたち?」 瞬の陰に隠れていたさっちゃんは、その問いかけを聞くと 瞳を大きく見開いて、瞬を見上げることになった。 「それは――俺たちみたいな、俺たちでないみたいな……」 瞬の横にいるさっちゃんに気付いた腕白坊主たちは、きまりが悪そうな顔をして、互いに視線を見交わしたのである。 そして、やはり きまりが悪そうに彼等のしたことを白状した。 「……だって、泣かせちまったしさ。みんなで相談して、あの花を探しに行くことにしたんだ。隣り町の河原まで行ったら、枯れずにいるのが何とか見付かったんだけど、俺たち、肝心の花輪がうまく作れなくて、それで諦めたんだよ。遊戯室のテーブルの上に、集めてきた花を放っぽって、俺たち、そのまま寝ちまったんだ」 「だから、次の朝、ここに来て、花冠ができてるの見てびっくりしたんだよな」 「だから言ったろ。あれは絶対 小人さんが作ってくれたんだって!」 さっちゃんよりも年上の腕白坊主たちは、意外なほどの純真を その胸に隠し持っていたらしい。 あの花冠は小人が作ったものだと主張するマコトの目と口調は、氷河には、かなり本気のものに見え、また聞こえたのである。 あるいはそれは、そう信じるしかないものを、彼等が現に見てしまったからだったのかもしれないが。 彼等がどんなに頑張っても作ることのできなかった花冠が、一夜 明けたら完成品となって忽然と彼等の前にその姿を現わしたのだ。 それは、彼等には、小人の仕業としか思えないほどの奇跡だったのだろう。 「さっちゃん。ここに さっちゃん以外に花冠を作れそうな人はいる?」 「あ……私は、美穂ねーちゃんに作り方を教えてもらったの、でも美穂ねーちゃんはいつも忙しくしてるから……」 腕白坊主たちがまさかそんな親切をしてくれていたとは。 さっちゃんには、それは想定外のことだったらしい。 まだ半信半疑の 「じゃあ、他の小人さんたちも捜しに行ってみよう」 「小人さん捜ししてんのか? 俺たちも行くー!」 それは腕白坊主たちにも大いに興味のあることだったらしく、彼等は手にしていたボールを放り出すと、脱兎のごとく玄関に回り、その30秒後には小人さん捜しの一団に加わっていた。 先頭に瞬とさっちゃん、その後ろにさっちゃんの友だちの女の子たち、更に腕白坊主たちが加わって、最後尾が氷河。 奇妙な一団が次に向かったのは、星の子学園のリネン室だった。 そこで子供たちの衣服のボタンつけをしていた美穂と絵梨衣が、奇妙な一団の到来に驚いて顔をあげる。 彼女たちは最初は何かまたトラブルが起きたのかと、それを心配したようだった。 さっちゃんが大切そうに胸に抱いている花冠を見て、怪訝そうに首をかしげる。 そんな美穂たちに、瞬は、自分たちの来訪の理由を、微笑んで告げた。 「さっちゃんは、小人さんにお礼を言いたいんだそうです」 瞬にそう言われると、美穂と絵梨衣は互いに その顔を見合わせた。 それから彼女等は、手にしていた針と糸を裁縫箱に戻し、さっちゃんも腕白坊主たちも知らない深夜の出来事を語ってくれたのである。 「おとといの夜、アキラくんたちが疲れきった様子で帰ってきて、訳を聞いたら――。最初は訳を言いたがらなかったんだけど、アキラくんたちはさっちゃんのために随分遠くまで萩の花を探しに行ってきたそうなの。アキラくんたちがさっちゃんのために こんなに疲れきるくらい頑張ったんだって思ったら、その努力を無にすることはできないでしょう? それで私と絵梨衣ちゃんとで、一日の仕事が終わってから、夜中にこっそり花冠を作ったの。さっちゃんには内緒にしておいた方が――小人さんたちからのプレゼントだってことにしておいた方が夢があっていいかなって思って、言わずにいたんだけど……」 「そんなことはないと思いますけど。ね、さっちゃん」 おそらく それを小人からのプレゼントと信じていたのだろうさっちゃんは、瞬に問われるとすぐに大きく深く頷いた。 彼女には、その花冠が小人からのプレゼントでなかったことを落胆している様子はなかった。 むしろ、彼女の瞳は明るい輝きを増している。 それを確かめてから、瞬はさっちゃんの肩にそっと手を置いた。 「本物の小人さんたちより、ずっと素敵な小人さんたちでしょ。アキラくんたちはさっちゃんのために、美穂ちゃんたちは、アキラくんたちとさっちゃんのために、みんなが力を合わせて さっちゃんの花冠を作ってくれたんだよ。みんな、さっちゃんが大好きだから」 「でも、私はアキラちゃんたちを許さなかったのよ。私、優しくなかったのに……」 「花冠のことがあるまでは、さっちゃんは優しい子だったでしょ。アキラくんたちは、優しいさっちゃんを意地悪にしちゃったのは自分たちだって思ったんだろうね」 「……」 さっちゃんが腕白坊主たちを見ると、彼等は気まずそうに その視線をあらぬ方向に逸らしてしまった。 そんな腕白坊主たちを見て、瞬が苦笑する。 「本物の小人さんより素敵でしょう? さっちゃんの周りには優しい人がいっぱいいるんだ」 「うん! びっくりしたけど……びっくりしたけど嬉しい!」 「さっちゃんの花冠は、小人さんたちの魔法じゃなく、普通の人間の優しい気持ちが作った素敵な花冠なんだよ」 「うん」 「僕は、あのお話の小人さんたちも、本当は大きかったんだろうと思ってる。貧しいけど優しい女の子のために、何かしてあげたいって思った女の子の友だちや家族が――小人さんじゃなく普通の人間が、優しい女の子のために、きっといろんな苦労をして、あのお洋服を用意したんだろうって思ってるんだ」 「え……」 瞬が告げた言葉は、さっちゃんを驚かせたようだった。 さっちゃんは、瞬が語った物語は何かの絵本で語られている物語だと思っていたのだろう。 そして、その絵本には、綺麗なドレスを縫う小人たちの挿絵がついているのだろうと、おそらく さっちゃんは思っていた。 本に“嘘”が描かれている可能性に、さっちゃんは考え及んでいなかったに違いない。 さっちゃんは、まだ5歳の子供なのだ。 それも当然のことである。 まだたった5歳のさっちゃんは、瞬の告げた言葉を聞いて何ごとかを考え込む素振りを見せ、やがて、 「そっか……そうだったんだ」 と、独り言のように呟いた。 瞬が、そんなさっちゃんにゆっくり頷く。 「さっちゃんには優しい小人さんがたくさんついてる。でも、小人さんたちは本当は魔法を使えるわけじゃないから、いつもさっちゃんを助けてあげられるとは限らないの。もし、アキラくんたちがどんなに頑張っても、あのお花を見付けられなかったら、さっちゃんの花冠はできなかった。お花が見付かっても、美穂ちゃんたちが風邪をひいて寝込んでいたりしたら、その花冠は完成しなかった。でも、それを責めちゃいけないんだよ」 「そんなことしない。アキラちゃんたちがお花を見付けられずに帰ってきても、私はきっと『ありがとう』って言うし、美穂ねーちゃんたちが風邪をひいてたら、私が看病してあげるの」 「うん。小人さんに何かしてもらうのも嬉しいけど、自分が誰かの小人さんになるのはもっと素敵なことだと思うよ。何かしてあげたい人がいるのって、とても素敵な――幸せなことなんだ。さっちゃんがしたことで、誰かが喜んでくれたら、さっちゃんも嬉しいでしょう?」 「うん!」 弾んだ声で元気よく頷くさっちゃんに、瞬は相好を崩し、その場に居合わせた者たちも一様にほっと安堵したような表情を浮かべた。 「瞬ちゃん。瞬ちゃんにも小人さんがたくさんいる?」 「え?」 まだたった5歳のさっちゃんが そんなことを尋ねてくるのに、瞬は少し――否、大いに驚いたようだった。 すぐに、さっちゃんにも負けないほど大きく頷く。 「もちろん、いるよ」 「瞬ちゃんの小人さんは病気してない?」 「多分、元気だと思うけど、今 少し落ち込んでるかも」 「じゃあ、瞬ちゃんが小人さんになって、助けにいく番ね」 「うん、そうだね」 瞬が再び頷くと、さっちゃんは嬉しそうに笑った。 それから、彼女は、腕白坊主と美穂たち一人一人に『ありがとう』を言い、かくして、今年最後の花冠を巡って勃発した騒動は めでたく大団円を迎えることになった。 美穂たちは その場で 仲直りのお祝いのケーキを焼くことを決定し、その決定を聞いた子供たちは大きな歓声をリネン室に響かせたのだった。 美穂は瞬たちも お茶に誘ってくれたのだが、瞬は、 「僕は、僕の小人さんを助けに行かなきゃならないから」 と言って、その誘いを辞退した。 「頑張ってね!」 さっちゃんの激励を受けて、瞬と氷河は星の子学園をあとにしたのである。 「さっちゃんて、かなり頭のいい子だね。理解が早くて、想像力にも応用力にも優れている。彼女はきっと大物になるよ」 星の子学園の門を出ると、瞬は、すべての問題は解決したと言わんばかりに清々しい声で氷河に話しかけてきた。 だが、氷河は、瞬の見解に賛同することも異議を唱えることもできなかったのである。 花冠騒動は大団円を見たかもしれないが、彼の問題は何ひとつ解決していなかったのだ。 今の氷河は、 『しかし、彼女は少々気が強すぎるところがあるようだ』 などということを偉そうに言える立場には なかったのである。 かといって、 『なぜ おまえは俺を責めないんだ』 と、瞬を問い質すことは、なおさらできない。 結果として氷河は、ひたすら沈黙を守ることしかできなかったのである。 氷河自身は気付いていなかったが、彼は今日一度も声を発していなかった。 |