ヒョウガが勝手に宿として使うことにしたハインシュタイン城は、建物の造り自体は200年も昔の流行りに沿った古めかしいものだったが、時折 領主が立ち寄ることもあるせいか、居間や寝室、食堂等、日常生活の場には今風の家具や調度が置かれていた。 本当は野宿でも一向に構わなかったのだが、ハインシュタイン伯の使いという偽の身分に信憑性を持たせるためだけに その城に入ったヒョウガには、そこは過剰なほど豪奢な宿だった。 空気の淀みと埃っぽさが気になったが、換気のために窓や扉を開け放つと、それらの不快はすぐに解消された。 麓の村の人口は500弱。 年齢資質等を考慮すれば、聖闘士たり得る者の数は多く見積もっても100人いるかどうか。 村を1週間もふらついていれば、その100人と接することは可能。 それで、アテナに命じられた仕事は容易かつ速やかに完了するだろう――。 彼が聖域で使っているものの3倍は幅がありそうなベッドで そんなことを考えながら、その夜 ヒョウガは眠りに就いたのである。 が、それは、ヒョウガの楽観的希望的観測にすぎなかった。 翌朝、他人の城で一晩を過ごしたヒョウガが山を下りていくと、山道を出たところにある麓の広場では、早速(?)ヒョウガの任務を妨げる第一の障害が待ち構えていたのである。 ヒョウガを襲った第一の障害。 それは、ガサツで詰まらない男しかいない(らしい)村の、無作法で かしましい若い娘たちの一群だった。 『明日から、あなた、この村の女の子たちに取り囲まれることになるわよ、きっと』 昨日 村長の娘が予言したことが、現実のものとなって、ヒョウガを待ち構えていたのだ。 ヒョウガの姿を認めるなり、色めきたって 歓声をあげ始めた娘たちに、ヒョウガは、村に入る道をふさがれてしまった。 娘たちの周囲には、悲惨な戦争の影も、陰惨な魔女狩りの空気も全くない。 自分の行く手をふさぐ想定外の障害物に、ヒョウガはあっけにとられてしまったのである。 彼女等をその場に連れてきたのは、村長の娘――もちろん姉娘の方――だったらしい。 娘たちの中央最前列に立っていた彼女は、彼女の友人たち(?)に、 「どう? 言った通りでしょう」 と、得意顔をしてみせた。 「うんうん、ほんとだ。王子様みたいに綺麗!」 彼女の後ろに控えていた娘たちが、一斉に賛同の声をあげる。 村長の娘は、そこにヒョウガがいることを、まるで自分の手柄だとでも言うように鼻高々。 とはいえ、娘たちは、彼女等が見物にきた珍獣が 鋭い牙と爪を持つ猛獣である可能性を全く考慮していないわけでもないようだった。 甲高い声をあげて騒ぎはしても、彼女等は積極的にヒョウガに近寄ろうとはしない。 その程度の分別は彼女等も備えている――ということのようだった。 静かな村に響き渡る嬌声に滅入りかけていたヒョウガを救ってくれたのは、またしても あの小さな少女――村長の妹娘――だった。 「お姉ちゃん! 父さんが、領主様のお使いに迷惑をかけるなって。父さんがそう言ってこいって」 ヒョウガの行く手を遮っている娘たちの後ろから響いてきた幼い子供の声が、ヒョウガには神の差しのべる救いの手にも思えたのである。 礼儀を知らない我儘娘も、一家の長である父には逆らえないのか、あるいは、村の外からやってきた珍獣を仲間に披露して得意がるという目的を果たして満足したからか――おそらく後者だろう――彼女は、意外なほど素直に、妹から もたらされた父の命令に従った。 「わかったわよ! はい、今日はこれで解散ー! あんたたち、もう家に帰って。私が父さんに怒られるから」 突然 手の平を返したように、村長の姉娘が女たちに帰宅を促す。 彼女のそういう気まぐれな態度に慣れているのか、娘たちは至極素直に彼女の命令に従った。 その様子は、娘たちが友人の気まぐれに慣れているからというより、むしろ、彼女たちが 村長の娘の我儘に従うことが自分たちの義務で仕事だと思っているからのように、ヒョウガには見えた。 「俺が見世物になれるくらい、この村にはろくな男がいないのか」 ヒョウガが我知らず、うんざりした口調でぼやく。 自慢ではないが、ヒョウガには、自分は女に好かれるタイプでないという自覚があった。 村長の姉娘が村の娘たちを扇動しているだけなのはわかったが――わかっているからこそ――ヒョウガはなおさら辟易したのである。 彼女の傍迷惑なほど素晴らしい指導力と統率力に。 「しょぼくれて詰まんない男しかしないわよ。あとは年寄りと子供だけ」 村の娘たちが それぞれの家に帰っていくと、妹娘が姉の側に駆け寄ってくる。 本当に詰まらなさそうに そう告げる姉に、だが、妹は真っ向から異議を唱えた。 「みんな親切でいい人たちだってば。それに、綺麗な男の子ならいるでしょ」 「あれは子供じゃない。14か15じゃ、男の内に入らないわよ。まあ、確かに綺麗な子ではあるけど。不気味なくらい」 「綺麗な子……?」 その“綺麗な子”に、姉娘は好意を持っていないようだった。 それでも『綺麗』と言うところを見ると、噂の“男の子”は、彼を嫌っている者も認めざるを得ないほどの美しさを有した少年だということになる。 ヒョウガが多少なりとも その少年に興味を抱いたのは、その少年が綺麗だと聞いたからではなく、その少年が この高慢で我儘な娘に そう言わせるほどのものを持つ人物なのだと思えたからだったかもしれない。 「父さんが、家に戻れって。なんか お説教があるみたい。お姉ちゃん、どっかの軍隊の司令官みたいに 村の女の子たちを引き連れて歩くのはやめた方がいいよ。みんなだって、しなきゃならない仕事があるんだから、迷惑だよ」 「わかったわよ、戻るわよっ!」 10になるやならずの妹に正論で諭され、姉は大いに気分を害したらしい。 それでも 彼女がヒョウガに背を向け家の方に歩き出したのは、妹の正論に反駁できる理屈を彼女には見付けられなかったからのようだった。 気の強い姉の苛立った後ろ姿を見詰めながら、分別のある妹が、まるで疲れきった大人のような溜め息を洩らす。 分別のある妹は、我儘で怖いもの知らずの姉に、日々 苦労させられているらしい。 ヒョウガは、苦労人の妹娘に心から同情し、また感心もしたのである。 「お姉ちゃんは、この村を出たい、この村には詰まらない男しかいないって、いつも そればっかりなの。この村を出たら、お姉ちゃん、今みたいにみんなに威張っていられなくなるってことがわかってないみたい」 へたな大人以上の分別を備えた賢い妹の呟きに、ヒョウガは思わず苦笑することになった。 「君は家に帰らなくていいのか? えーと……」 この少女なら名前を覚える価値もあるだろうと、ヒョウガは賢い妹娘の顔を覗き込んだ。 察しのいい少女が、ヒョウガに自分の名を名乗る。 「アンナだよ。私は、お姉ちゃんが ご領主様のお使いの邪魔をしないように注意してこいって、父さんに言われてきたんだもん。家に帰って 父さんに叱られるのはお姉ちゃんだけだよ」 「俺はヒョウガだ。助かった。ありがとう、アンナ」 ヒョウガに礼を言われて嬉しそうに笑う笑顔は、年相応に見えないこともない。 だが、返ってくる言葉は、子供のそれではなかった。 「ううん。迷惑かけてるのはウチのお姉ちゃんだから。そんなことより、ヒョウガは不思議な力を持ってる人を捜してるんでしょ? 一緒にシュンちゃんとこに行こうよ」 「シュンちゃん? シュンちゃんというのは、君の友だちか? そのシュンちゃんは不思議な力を持っているのか?」 「シュンちゃんは この村でいちばん綺麗なの。お姉ちゃんの百倍も綺麗だよ。私、シュンちゃんにお人形の治療を頼んでるの。お迎えに行かなくちゃ」 「人形の治療?」 「うん。シュンちゃんに頼むと、元気がなくなっていた お人形も元気になるの。お洋服も綺麗になるし、シュンちゃん、新しいおリボンつけてくれるって言ってた」 くたびれた人形を元気にする力。 “シュンちゃん”の持つ不思議な力というのは、どうやら 裁縫の巧みさであるらしい。 幼い子供には、それは確かに不思議な力なのかもしれない。 ヒョウガは、アンナの話を聞いて、微笑ましい気分になった。 もちろん ヒョウガは、決して 綺麗な男の子や裁縫の得意な少年を捜しに ギリシャから はるばるこんな辺鄙な村まで来たわけではない。 だが、もともと当てのない人捜し。 まずは この村の住人に片端から会ってみるのがアテナの命令を遂行するための唯一の方法である。 なにより、好意を持たれていない人間にも“綺麗”なことを否定されない少年というものに興味をそそられて、ヒョウガはアンナのお供をすることにしたのだった。 |