「瞬のオトコ嫌いに そういう事情があったとは……。ありそうな話すぎて、逆に思い浮かばなかった」
「ありそうな話……って、そんなヘンタイがあっちにもこっちにも転がってるみたいな言い方すんなよ!」
紫龍の呟きを聞いて、星矢が心底 嫌そうな顔になる。
絶対にありえない話と断じるつもりはなかったが、よくある話とも思いたくない。
それが星矢の本音だった。
オトコの氷河がオトコの瞬に惚れているという一事だけでも 収拾のつけようがなくて、青銅聖闘士たちはお手上げ状態なのである。
星矢は、氷河の恋をややこしくする障害は これ以上は ただの一つも欲しくなかった。

「これじゃあ、氷河は、どうやったって告白もできないだろ」
「氷河は女の代わりに瞬を好きなわけではないのだろうが……。難しいな。瞬の恐怖が氷河には わからないように、氷河の気持ちも瞬にはわからない……のかもしれん」
「瞬が生身の拳を使わずに長ったらしいチェーンを振りまわして戦うのって、実は案外オトコの側に近寄りたくないだけのことだったりしてな」
「瞬の話が事実なら、瞬は聖衣を授かるまでの数年間、自分の小宇宙だけで己が身を守っていたことになる。アンドロメダ聖衣のチェーンを用いない瞬の生身の拳の力がどれほどのものなのか、想像するだけで空恐ろしいものがあるな」
「聖衣を脱いだ方が強いってか。瞬はあのチェーンで自分の力を抑えてるわけだ」
考えれば考えるほど、語れば語るほど、氷河に不利な条件ばかりが湧き出てくる。
星矢は、渋い顔にならないわけにはいかなかった。

「俺は、別に ほも奨励するわけじゃねーけどさ。氷河のあれは、もう6年越しで、その6年間、氷河は、二度と瞬に会えないかもしれないって不安に耐えてきたわけだろ。なのに、せっかく再会できたのに、告白もできないまま失恋決定ってのは、さすがに氷河が哀れだと思うんだよな、俺」
「同感だ。せめて、ちゃんと告白して、ちゃんと振ってもらわないことには、氷河も諦めがつかないだろう」
「だよなー……」

世は春真っ只中。
城戸邸の庭に咲く花たちは、次代に命を繋ぐべく、受粉の仲介者を誘って 懸命かつ あでやかに、その美しさを誇示している。
花々の恋の仲介者である蝶たちも、そのほとんどが二頭ずつのカップルで、絡み合うように花畑の上を飛びまわっている。
世界中が恋に浮かれている この季節に、何が嬉しくて、万物の霊長(ということになっている)人間様が失恋前提の恋を暗い面持ちで語っているのか――。
実に不毛で嘆かわしいことだと、うららかな春の日の中で 星矢は――おそらく紫龍も――思っていた。

「こうなったら、いっそ女装して迫ってみるってのはどうかなー」
「いくら打つ手がないからといって、仮にも日本男児がそんな恥知らずなことは――」
「それはいい手かもしれない」
「へっ」
突然 頭の上から降ってきた氷河の声に、星矢は、心臓が口から飛び出してしまいそうなほど驚くことになった。
自分たちは決して盗み聞きをするつもりなどはなく、庭を散策していたら二人の会話が勝手に聞こえてきたのだ――と、窓から顔を覗かせた氷河に、星矢は一応弁解をしようと思ったのである。
そう考えた僅か3秒後に、そんな弁解をしたところで何の益も生まれないという事実を悟り、星矢は結局無意味な弁解をやめることにしたのであるが。
コンビニエンスストアの前に座り込んで雑誌の回し読みをしている中高生よろしく、ラウンジの窓の下にしゃがみこみ、オトコ同士の恋の行方を語り合っていた者たちが、今更『盗み聞きをするつもりはなかった』も何もあったものではない。

用心深く 立ち上がり ラウンジの中を窺い見ると、そこに瞬の姿は既になかった。
ほっと安堵の息を洩らして、星矢は、それまで窮屈に折り曲げていた腰と膝とを立て直したのだった。
「あんな話 聞いちまって、おまえ、これからどーすんだよ。瞬のこと、諦めるのか?」
もしかしたら告白すらできないまま終わってしまうかもしれない恋に、氷河はさぞや気落ちしているに違いないと案じて、星矢は彼なりに気遣わしげな声で白鳥座の聖闘士に尋ねたのである。
だが、氷河は、星矢たちが恐れていたほどには、落ち込んでも絶望してもいないようだった。

「諦めは愚か者の結論だ」
この恋を諦めるつもりはないと言い切る氷河は、決して明るく笑ってはいなかったが、かといって、暗く打ち沈んでいるようにも見えなかった。
氷河は全く本気で 彼の恋を諦めるつもりはないらしい。
氷河の その不屈の闘志には、星矢も紫龍も ある種の安心を覚えたのである。
瞬ならともかく、氷河に暗く落ち込まれても、今ひとつ適切な慰撫の言葉を思いつけそうにない自分たちを、星矢と紫龍は自覚していたから。

だが、氷河は、いったいどうやって この困難な恋を実らせるつもりでいるのか。
そんなことが、はたして可能なのか。
その答えは、星矢にも紫龍にも全く見えてこなかった。






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