「星矢、氷河は純粋な日本人じゃないみたいだけど、ハーフなの? だから、その……人との間に壁を作っているように見える――のかな?」
「あいつは、4分の3がロシア人で――クォーターっていうのか? ガキの頃に船の事故で母親を亡くしてさ。氷河は、母ひとり子ひとりの すごいママっ子だったらしくて、それでまあ、人生をいろいろ拗ねてんだよ」
「あ……」
星矢の説明を聞いて、瞬は頬を青ざめさせることになった。
幸い その場に氷河はいなかったのだが――彼がその場にいなかったからこそ、瞬は星矢にそんなことを訊くこともできていたのだが。
「てのは、冗談だけどさ、奴の無愛想の理由としては、そこいらへんが妥当だろ」
星矢が、すかさず笑ってフォロー(?)を入れてくる。
しかし、青ざめた瞬の頬は、星矢の冗談めいた口調のフォローを受けても元には戻らなかった。

「氷河のお母さんなら、きっと綺麗な人だよね……」
「みたいだな。早くに母親を失くしたせいもあって、理想化に拍車がかかってるみたいだし」
「氷河は理想が高くて大変かも……」
あの青い瞳が凍っているように見えるのは、母を失った悲しみゆえで、あの青い瞳が燃えているように見えるのは、母を求める情熱ゆえなのかもしれない。
ほぼ無表情であるにもかかわらず、物言いたげな様子は、母が側にいないことを嘆いているからなのかもしれない。
氷河の事情を知らされた瞬は、せめて彼の母親に代わって、彼の心を慰めてやれる人が側にいたらいいのに――と思った。
そうしたら、彼の綺麗な青い瞳は もっと明るさをたたえたものになるに違いないのに――と。

「理想が高いというか、贅沢なのは その通りだけど――」
それまで 極めて気軽かつ気楽に瞬の質問に答えてくれていた星矢の言葉の語尾が、初めて僅かに淀む。
そうしてから、しみじみした様子で仲間の顔を見詰めてきた星矢に、瞬は少しばかりどぎまぎすることになった。
「な……なに?」
「ん……。俺たち、長い付き合いの幼馴染みなんだぜ。なのに、おまえ、ほんとに何もかも忘れちまってるんだなー……って思ってさ」
幸福とは言い難い仲間の過去の事情をすっかり忘れている瞬に、星矢が どこか寂しげな目を向けてくる。
瞬は、いたたまれない気持ちになって、両の肩と身体を縮こまらせた。

「ご……ごめんなさい……」
「こればっかりは仕方ねーけどさ」
星矢は おそらく、人に どんなひどいことをされても、相手に悪気がなければ簡単に許してしまう寛大な少年である。
彼は、身の置きどころをなくしてしまったような瞬の様子を見ると、すぐに笑って首を横に振ってくれた。

「あ、じゃあ、僕、仲がよかったんだね。星矢とも、紫龍とも、氷河とも――」
「仲がいいっていうか――俺たちは、互いのために、逡巡することなく命をかけられるくらいの信頼で結ばれた仲間同士だった――と思うぜ」
「え……っ !? 」

そう告げる星矢の口調が あまりに軽快だったので――深刻な響きを帯びていなかったので――瞬は、逆に尋常でなく大きな驚きに囚われてしまったのである。
星矢が嘘をつけない人間だということは、ここ数日間の交流だけでも、瞬には しっかり感じとれていた。
星矢が『俺たちは、互いのために、逡巡することなく命をかけられるくらいの信頼で結ばれた仲間同士だった』と言えば、それは、綺麗事の建前や 自身を飾るための麗句ではなく、単なる事実なのだ。
その事実を、星矢は、他愛のない世間話をするような口調で語る。
それは、つまり、星矢にとって その事実は、改めて深刻ぶる必要もないくらい当たりまえのことである――ということだった。

“家族のようなもの”とは聞いていたが、“家族のようなもの”とは、言い換えれば“他人”という意味なのだと、瞬は思っていた。
それが『互いのために、逡巡することなく命をかけられるくらいの信頼で結ばれた仲間』のことだと知らされ、瞬は胸を突かれるような気持ちになったのである。
「あの……氷河さん……氷河も……?」
「当然だろ。仲間なんだから」
「……」

率直で一本気な星矢や、親切で誠実な紫龍だけでなく、あの無愛想で可愛い人までが “瞬”のために命をかけることをし、“瞬”も彼のために命をかけることができた。
それほどの信頼が自分たちの間にはあった――。
それが事実なのだとしたら。
それが事実なのだとしたら――その事実を見失ってしまった自分という人間が、瞬は悲しくてならなかった。
そして、その事実を見失ってしまった今の自分ほど哀れな人間は この世に存在しないだろう――とも思った。
忘れたことが悲しい。
記憶を失って不安になったことはあったが、それを悲しいと思ったのは、瞬は これが初めてだった。
「なんで忘れちゃったんだろう……。忘れたくなかった……」
瞬が、しょんぼりして肩を落とす。

“瞬”の仲間たちは、そんな瞬を慰め、励ましてくれた。
「なに、そう落胆することはない。信頼というものは、一朝一夕で培われるものではないが、いつでも、いくらでも養えるものだ。人に誠意をもって接していればいいだけのこと。記憶が戻らなくても、おまえは俺たちの仲間だぞ。記憶を失う前の おまえの誠実、おまえが俺たちのためにしてくれたことを、俺たちは憶えているからな。おまえはすべてを失ったわけではない」
「そうそう。何があったって、俺たちは仲間だぜ。少なくとも俺は おまえが俺のおやつを横取りしない限り、おまえを仲間だって信じてるからな」
「あ……ありがとう……」

冗談混じりに、“瞬”の“仲間”たちが示してくれる優しさ。
確かに自分は すべてを失ったわけではない。
そう思えること、そう信じられることが、瞬は嬉しくてならなかった。
そして、瞬は、彼等を仲間だと信じられるからこそ、彼等の優しさに甘えてしまうことができたのである。
彼等の優しさに甘えながら、それでも恐る恐る、
「あの……氷河もそうなのかな……?」
と、彼等に尋ねる。

窺うような上目使いで 仲間たちの目を覗き込んだ瞬の前で、星矢と紫龍は、まるで示し合わせでもしたかのように互いの顔を見合わせた。
それから、星矢が、目だけで笑って、瞬に助言を垂れてくる。
「直接 訊いてみたらどうだ?」
「そ……そんなことできないよ……!」
「なんでだよ。俺たちには訊けたのに」
「なんで……って……」

改めて問われると、確かに それは奇妙なことである。
瞬はもう、氷河が無愛想なだけの人間ではないことを――恐い人間ではないことを――知っていた。それどころか、瞬は彼を『可愛い』とさえ感じていたのに。
「なんでなのかな……」
理屈に合わない自分の心を理解できず、瞬は独り言めいた呟きを呟くことになったのである。

「なんでだろーなー」
星矢が、瞬の独り言を反復して、楽しそうに笑う。
「そろそろ沙織さんに お出ましを願った方がいいかもしれないな」
やはり独り言のように そう呟く紫龍の目は、星矢以上に楽しそうに笑っていた。






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