そうして、二人の暮らしが始まった。
瞬は、冥界と、生きている人間の住む世界とを自由に行き来することができるらしく、氷河が用のある時にだけ“こちら”に来るようにしようと言ってきたのだが、氷河は、ずっと“こちら”にいることを瞬に求めた。
突然 目の前に現われられたり消えられたりするのは 心臓に悪いからと、適当な理由をつけて。
瞬は、“簡単に希望を抱くことができる人間”たちのいる“こちら”にいることが嬉しいらしく――冥界よりは人間界の方が好きらしく――素直に氷河の求めに応じてくれた。
あるいは、瞬は、できるだけ 瞬の“希望”を叶えられる男の側にいて、その男の心を人類存続の方向に向けたいと考えていたのかもしれなかった。

瞬が、『この地上に生きている人間たちを滅ぼすのをやめろ』と氷河が願うことを“希望”していることが、氷河にはわかっていた。
だが、氷河は、瞬の“希望”を自分の願いとして言葉にする気には なれなかったのである。
瞬は、氷河に『氷河自身が心から こうなってほしいと望むことを望んでください』と言った。
しかし、氷河は、瞬が言うように、“心から”人類に滅んでほしくないと思うことができなかったのだ。
そして、そう望むことのできない自分に出会って初めて、氷河は、自分が本当に 人類が滅んでも滅びなくても構わないと思っているわけではないことに気付かされたのだった。

「氷河は毎日をどんなふうに過ごしているの?」
1ヶ月間 瞬が“こちら”にいるという話が決まると、瞬はまず最初に 氷河の日常生活について尋ねてきた。
同じ家で暮らすとなれば、それは当然にして自然な質問である。
瞬に、到底 “素敵”とも“楽しい”とも言い難い答えをしか返してやれない自分に、氷河は少々 苦いものを感じることになった。
だが、嘘はつけないし、ついても無駄無意味。
氷河は、退屈な事実を瞬に告げるしかなかった。

「基本的には引きこもりだ。今はパソコンがあれば、生活の糧は得られる ご時世だからな。食事は温めればいいだけのものが毎日配達されてくるし、掃除は週に二度、通いのハウスキーパーがきてやっていく」
「外に出ることはないの」
「せいぜいジョギングする時くらいだな。ウエイトトレーニングの器具はここにあるし」
「そういうんじゃなく、お散歩とか、お友だちに会うとか」
「友だちには――いや、知り合いにはネット上で会う」

氷河の答えを聞いた瞬が、がっかりしたように肩を落とす。
それは、瞬が、かくあるべきと思い描く人間の生活とはかけ離れたものだったに違いなかった。
「で……でも、こ……恋人はネット上でとはいかないでしょう!」
少しばかりの時間を置いてから、瞬が 気を取り直したように、そして、問い詰めるように、再び氷河に尋ねてくる。
瞬の声には、氷河に――というより、氷河の日常生活に――挑むような響きがにじんでいた。
人が幸福になるためには“愛する人”が必要――というのが持論の瞬には、人と接することのない氷河の生活は受け入れ難いものだったのかもしれない。

「なぜだ」
向きになっている瞬をからかうような口調で、氷河は瞬に問い返した。
「だ……だって……!」
問われた瞬が、一瞬 声を詰まらせる。
それから、瞬は、自分が言い出したことだというのに(自分が言い出したことだからこそ?)、頬を真っ赤に染めて、『恋人はネット上でとはいかない』という主張の論拠を提示してきた。
「だ……だって、直接会わなかったら、キ……キスもできないでしょう」
死者の国からやってきた“普通の人間”は、その手のことを全く知らないでもないらしい。
氷河は、どういうわけか、その事実に安心することになった。

「そういうのが面倒だからやめたんだ」
「面倒だからって!」
「だが、おまえと一緒なら、お散歩・・・とやらに行ってみてもいい」
どう面倒なのかの説明を求められると、それこそ面倒なことになりそうだったので、氷河は瞬の反駁を遮った。
途端に、瞬の顔が ぱっと明るく輝く。
「はい……!」
そして瞬は、恋人がどう面倒なのかという問題を 即座に すっかり忘れてしまったように、素直な良い子の返事を返してきた。

要するに、“お散歩”に行きたかったのは、瞬自身だったらしい。
氷河の提案を聞くなり、瞬は氷河が面食らうほど嬉しそうな笑顔を、その顔に貼りつけてみせた。
現金と言っていいほどの瞬の豹変振りに、氷河は、含み笑いを 含んだままにしておくことができず、表情に出して はっきりと笑うことをしたのだった。






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