「おまえは素晴らしく綺麗だし、極上の肌と唇の持ち主でもあるが、確かに普通の人間で驚いた」
これほど優れた性感・有機感覚を有し、快楽を生み与えることのできる肉体を“普通”と評していいのかどうかということについては、氷河もあまり自信を持てなかったのだが、刺激を与えれば反応し、快感が極まれば理性が感性を凌駕するという点で、瞬は確かに 普通の生きている人間だった。

その素晴らしい身体と感覚の持ち主は、あと3センチ動くと落ちてしまいそうなところまで――ベッドの端に逃げ込んでいる。
それが天上の神の垂れた恩寵なのか、地下の国の神の計算違いによるものなのかは定かではないが、ともかく 素晴らしい僥倖によって手に入れた恋人の肌と その感触を確かめ堪能したかった氷河は、
瞬を引き寄せるために、その腕を瞬の方に のばした。
もともと寝室に移動するのが面倒な時に使っていた狭い簡易のソファベッド、瞬が どれほど自分の壊乱ぶりに恥じ入り、身体を縮こまらせたとしても、二人の間に20センチ以上の距離を作ることは無理な話だったのだが。

瞬は、最初は、氷河の腕から逃げようとした。
が、本当に触れられたくないと思ってそうしているのだと誤解されることを恐れたのか、結局、瞬は氷河の腕に促された通り、もそもそと ぎこちない所作で、氷河の胸の中に戻ってきてくれた。
肌自体は洗いたての木綿のように さらさらしているのに、触れると 人絹の混じっていない純粋な絹のように、触れたものを捉えてくる瞬の肌の感触。
瞬の肌は植物の外見と 動物の性質を備えていて、再度 その肌に触れることができた氷河は、瞬に触れた自分の指や胸が 瞬の中に吸い込まれていくような錯覚に囚われたのである。
そんな稀有な肌の持ち主が、氷河の前で“普通の人間”の振りをする。

「だ……だから、最初に言ったでしょう。僕は普通の人間だって」
「普通の人間は、他人の愛撫を初めて受けた時、あんなふうに喘いだり、喜んだりはしない」
「そ……そうなの…… !? どうして !? だ……だって、あんなに気持ちいいのに!」
氷河の言葉が、瞬には相当意外なものだったらしい。
瞬はベッドの上に勢いよく上体を起こし、ベッドに横になったままの氷河の顔を真正面から見詰めてきた。
あくまでも本気 かつ 至って真面目に『どうして !? 』と思っているらしい瞬に、氷河は思わず声をあげて笑ってしまったのである。

「まあ、この手のことには 向き不向きや、ある程度の才能が必要なんだろう。自分の身体と心を どこまで自分以外の人間に委ねることができるか――。おまえが気持ちよかったのなら、よかった。おまえは、この件に関しては かなりの才能に恵まれているようだ」
そう言って、氷河は、瞬の腕を引き、倒れ込んできた瞬の身体を胸で抱きとめた。
そうしてから、上下を逆転させ、もう一度 瞬の身体を自分の胸の下に敷き込み、瞬の顔を上から覗き込む。
「あ……」
「今日は、散歩は なしにしよう」

気持ちよかったという瞬の言葉は嘘ではなかったらしい。
あるいは、瞬は、光の中にいる時間も甘いパフェを食べることも好きだが、人の温もりはもっと好きだったのかもしれない。
氷河の誘いを受けた瞬は、氷河が面食らうほど 素直に瞳を輝かせた。
その瞳の輝きは、どう考えても、二人が もう一度 身体を交えることへの期待によるもので、瞬はパフェの最初の一口を食べる時よりも嬉しそうだった。

冥府の王が人類を根絶やしにすると決めた日まで、あと半月。
その日から、氷河と瞬は散歩に出なくなった






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