素朴な佇まいのログハウスに思えた氷河の家には、どうやら自家発電の設備があったらしい。 日が落ちると、氷河は部屋の照明のスイッチを入れた。 そして、リビングルーム兼ダイニングルームのテーブルの上に ぶ厚い本を広げて、それを読み始める。 日常のことに関して何とか意思の疎通ができるだけの瞬には 到底読めないロシア語の本。 瞬にわかるのは、それが絵本ではないということくらいのものだった。 瞬は、最初のうちは、この家の主人の機嫌を損ねないように、彼の読書の様子を黙って見詰めていたのである。 生きている氷河の姿を見ていられるのは嬉しかったし、彼は鑑賞に耐え得る美貌の持ち主でもあった。 だが、美しい容貌の持つ力には限度というものがあるらしく――彼の美貌の持つ力は まもなく、瞬の中で 沈黙の圧力と手持ち無沙汰の感に駆逐されてしまった。 せっかく生きている氷河と再会できたのである。 瞬は、どうせ鑑賞するのなら、意思と感情を伴って動いている彼の姿を鑑賞したかった。 「暖炉に火を起こしてもいい?」 『火の起こし方を知っているのか』と氷河が尋ねてくれたなら、知らない振りをして 氷河と二人でその作業にいそしもうという瞬の企みは、 「勝手にしろ」 という素っ気ない氷河の返答で、あえなく 仕方がないので――少なくとも これで手持ち無沙汰からは解放されると、自分で自分を慰めながら――瞬は、その部屋にあった暖炉に一人で火を起こした。 静かだったリビング兼ダイニングに、ぱちぱちと薪が炎で はぜる音が響き始める。 その音に励まされ、瞬は思い切って氷河に話しかけてみた。 「もしかして、氷河の先生はひどい人だったの?」 だから氷河はこんなに素っ気ない青年になってしまったのだろうかと、そんなことを考えながら瞬が発した問いかけに、氷河は、しかし、沈黙の答えしか返してくれなかった――瞬の懸念を消し去ることも肯定することもしてくれなかった。 「あの……兄さんの先生はひどい人だったんだって。憎しみが聖闘士の力の源だなんて滅茶苦茶なことを言って、兄さんの心を荒ませようとしたの。でも、デスクイーン島で、兄さんは優しくて綺麗な心を持った女の子に出会って、それで道を間違わずにいられたって言ってた」 「あの一輝が……おまえ以外の女?」 視線を投じていた本のページから、氷河が初めて その顔をあげる。 なぜ そんなところに反応するのかと訝りつつ、やっと答えを返してくれた氷河に、瞬は僅かに力づけられたのである。 彼は、彼の仲間の話を全く聞いていないわけではないらしい――と。 「うん。ちょっと僕に似てたって」 「相変わらず、病気だな。頭だけでなく目までおかしくなったか」 「じゃあ、氷河の先生は、ひどい先生じゃなかったの?」 「――」 「でなかったら、修行仲間と何かあったの?」 「――」 「僕も……一緒に修行してた仲間と戦って聖衣を手に入れたから……そういうのって、つらいよね」 「――」 仲間の声が聞こえていないわけでも、その話を全く聞いていないわけでもないようなのに、氷河がまた沈黙モードに戻る。 「氷河は聖闘士になったんでしょう? 聖衣を手に入れたんだよね」 「――」 「どうして みんなのところに帰ってきてくれないの? もしかして、お母さんの側にいたいから?」 「――」 彼の師のこと、共に修行した仲間のこと、亡き母親のこと――瞬は、氷河が反応を示さずにいられないような話題を あれこれ探し、氷河に話しかけてみたのだが、氷河は最後まで その沈黙を守り抜いた。 彼は、彼が読んでいる本のページから再び瞬の上に視線を巡らすことはなかった。 「きっと 何か とてもつらいことがあったんだね。詮索して、ごめんなさい……」 瞬の謝罪にすら、彼は無反応。 せめて、もう一度 名を呼んでほしいと願った瞬に、氷河が与えてくれたのは、 「ベッドはそこの部屋のものを使え」 という、味気ない事務通達だけだった。 |