瞬の胸中に植えつけられた不安の種に 水と養分を与えたのは、他ならぬ氷河自身の行動だった。
くだらない話に付き合っていられないと言わんばかりに、一人でさっさとラウンジを出ていってしまった氷河。
その行動がそもそも、いつもの氷河らしくないことだったのだ。
平生の氷河は、その良し悪しは別として、できる限り瞬の姿の見えるところにいようとする男だった。

瞬が その夜 氷河の部屋に赴いた時、瞬の胸の中に植えつけられた種は既に芽を出し、小さな双葉がつくほどにまで成長していた。
「氷河、最近、何かあった?」
「何か、とは?」
「つらいこととか、悲しいこととか、傷付いたこととか」
「特にはないが。おまえは?」
「えっ」

氷河が自発的に言おうとしないことを 言わせることが至難の技だということは、瞬も知っていた。
尋ねたところで、氷河は、彼の気が向かない限り、事実を知らせてはくれない。
それが、自身の弱みを見せることとなったら なおさらで、瞬もそれは十二分に承知していたのである。
だが、まさか、話が自分に振られることになるとは思ってもいなかったので、瞬は氷河の反問に驚くことになった。

「この顔は、何か心配事のある顔だぞ?」
手で、瞬の顔を上向かせ、氷河が重ねて尋ねてくる。
その展開に戸惑いつつ、瞬は小さく首を横に振った。
「僕は元気なの。そうじゃなくて、氷河に悩み事があるんじゃないかって……それが僕の心配事」
「なら、それは杞憂だ」
「でも、今日は氷河、一人で部屋に閉じこもっちゃって、夕食まで出てきてくれなかったし」
「ん? ああ、いや、それは……そういう気分の時もあるさ」

確かに、そういう気分になることは、誰にでもあるだろう。
一人になりたいと思い、実際に他人のいない場所に閉じこもることは。
だが、それは、氷河は滅多にしないことでもあった。
どうしても仲間たち・・と一緒にいたくなくて自室に引きこもる際には、氷河は瞬を伴うのが常だったのだ。

氷河が穏やかな笑顔しか見せてくれないので、瞬の心配顔は ますます心配の色を濃くすることになったのである。
そんな瞬を見やって、氷河が微笑を苦笑に変える。
「俺に放っぽっておかれたことを拗ねているのか? なら、謝るから許してくれ」
「そうじゃなくて、僕が心配なのは――」
「俺か? そんなに心配なら、ベッドで俺を慰めてくれ」
「それはいくらでも……でも、あのね」
「いくらでも?」
それ・・を後まわしにするために 氷河に言質を与えてしまったのが、瞬のミスだった。
嬉しそうに瞬の身体を抱きしめた氷河は、その夜、瞬にそれ以上 口をきかせなかったのである。
より正確に言うならば、喘ぎや歓喜の訴え以外の声や言葉を発することを、瞬の唇に許さなかった。






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