それでもアテナの命令には逆らえず、氷河と瞬は、翌日再び問題の教会を訪ねることになった。
そして、二人は、そこで またしても 聖堂内に響き渡るオルガンの音色に迎えられることになったのである。
曲も、先日と全く同じ、ワーグナーの『婚礼の合唱』。
先日と違うのは、突然鳴り響き出したオルガンの音に 瞬が驚かず、悲しい表情で、
「なんだか悲しい……。僕たち、神の御心に沿った二人じゃないのに」
と呟いたことだけだった。

「誰が弾いているんだ。待っていろ、見てくる」
すっかり消沈してしまった瞬を一瞥した氷河が、肩を怒らせて参列者用のベンチの間を通り抜け、祭壇脇の扉に向かって大股で歩き出す。
その扉の向こうに姿を消した氷河と ほぼ入れ違いに、先日の司祭が反対側の扉から聖堂内に入ってきた。
「また 急にオルガンが鳴り出したので、もしやと思ったのですが、やはりおいででしたか」
「あ、はい。何度も申し訳ありません。あの、今、連れが――誰が弾いているのか確かめてくると言って、そちらのドアから――」
万人を迎え入れる神の家とはいえ、勝手にバックヤードに入り込むのは無作法というものだろう。
瞬は慌てて司祭に謝罪したのだが、彼は今日も至ってにこやかで、氷河の無作法に気を悪くした様子は見せなかった。

「ああ、構いませんよ。あちらのドアは直接音楽室に通じていて、部屋にはオルガンと音響装置しかありませんから。こちらこそ、重ね重ね失礼しました。もしかしたら、お二人を式の下見にいらした婚約者同士なのだと思って、教会の者がサービスで弾き出したのかもしれません。今はまだ早すぎるかもしれませんが、何年後かにでも そうなったら、私も大変嬉しいのですが」
そうなる・・・・時は、永遠にこない。
瞬は、視線を床に落として 話題を変えた。

「こちらには、オルガンを弾ける人は多いんですか」
「難しい音栓ストップの操作技術が必要なパイプオルガンとは訳が違いますから、子供でも弾くことはできますよ。私は『ぶんぶんぶん』も弾けませんが、練習のために一般の方に お貸しすることもあります。もちろん、お式の時には本職のオルガニストに演奏してもらいますが」
「そうですか……」
瞬の声が沈んでいるのを、司祭は怪訝に思ったらしい。
一瞬 言葉をためらってから、彼は、最期の秘蹟を求める信徒をいたわるような声音で、瞬に尋ねてきた。

「お連れの方をお好きなのではないんですか」
「え?」
「私は、あなた方ほど深い神の祝福を受けた二人を見たことがありませんよ。若く、美しく、健康そうで、私が見たところ、お連れの方は あなたを大変 気にかけていらっしゃるようです。いつも、本当に優しい目をして あなたを見詰めている。誰かのいたずらでも、何かの間違いでも――ここのオルガンは鳴ったら嬉しいものでしょう。お二人が恋人同士なのなら。なのに、あなたはとても悲しそうで……」
「あ……いえ、あの……。僕は氷河のことが大好きなんですけど、僕たちは多分、神の御心に沿った二人ではないんです」

瞬の言葉に、司祭が首をかしげる。
彼の目には、二人のアテナの聖闘士が、未婚の若い男女以外の何ものにも見えておらず、だから二人が神の御心に沿わない理由がわからないのだろう。
どう説明したものかと、瞬が迷い始めたところに、折りよく氷河が戻ってくる。
言いたくないことを言わずに済みそうだと、瞬は安堵の胸を撫でおろした。
代わりに、瞬は、
「オルガンのある部屋には、人がいた気配もなかった」
という氷河の報告に困惑することになったのだが。

「あの部屋には、もう一つドアがありますから、おそらく そちらのドアから出て――いえ、もしかしたら、神が遣わした天使が弾いていたのかもしれませんね」
おそらく打ち沈んでいる瞬を慰めるために、司祭が そう言う。
「だとしたら、実に もののわかった天使だ」
司祭の言葉に 平然と氷河が頷くのが、瞬はかえって悲しかった。
伝説のオルガンで瞬を陽気にすることを諦めたのか、一度 小さく吐息してから、司祭は彼の方から不粋な話題を持ち出した。

「先日、お二人が帰られたあと、城戸様からの申し出を皆に伝えましたら、一考の価値があるのではないかと、他の司祭や助祭たちに言われたのです。ですが、実は、その件に関して、私共は私共の一存で決めることができない立場なのですよ。ご存じのこととは思いますが、当教会は、教皇庁の特別許可を得て信徒でない方々のための結婚式を行なう結婚式教会でもありまして、某ブライダルプランニングの会社と契約を結んでいるのです。結婚式の予約も かなり先まで決まっていると思いますし、そちらの責任者の方と話し合わないことには――」
「その責任者とやらには、どこに行けば会えるんだ」
「ちょうど今日の2時に、来月の式のことで こちらにいらっしゃることになっています。もし よろしかったら、今日 直接お話ししてみてはいかがでしょう」

「あと1時間ほどか。じゃあ、隣りのレストランで お茶でも飲んで待っていよう。それで交渉が決裂しても、そこまでしたのだと報告すれば、沙織さんも納得してくれる――かもしれん」
「うん……そうだね……」
氷河の目的は、既に、オルガン購入の話を決めることではなく、沙織にオルガン購入を断念させることになっているようだった。
その件に関しては、瞬も氷河と似たりよったりの心境になっていたので、瞬は彼の提案に力なく同意した。






【next】