「いったい何の用です。マーマも知っての通り、俺はこの時間は授業中だ」 最愛のマーマ女王に呼ばれたというのに、氷河王子は ご機嫌斜めでした。 まあ、マザコン男子というものは 大抵は我儘なものですからね。 マーマ女王は、授業を中断されてご機嫌斜めの氷河王子にすぐに謝りました。 何といっても、常日頃 氷河王子に『お勉強は大事ですよ』と繰り返していたのは、マーマ女王当人でしたから。 「お勉強の邪魔をしてごめんなさいね。今日は何の授業だったの?」 「歴史と修辞学と剣術です。ちょうど、とても綺麗なフレーズを思いついて、瞬に聞かせてやろうとしていたところだったのに」 「まあ、そうだったの。ほんとに ごめんなさい。瞬と先生には、あとで私の方から謝っておきます。でも、これは お勉強より大事なことだから……。氷河、あなたは初めてお会いするわね。こちらは、クールでかっこいい魔法使いカミュ。我が国で最も力のある魔法使いなのよ」 そう言って マーマ女王が指し示した先には、きんきらきんの鎧と長いマントで その身を包んだ二股眉の長髪の男がいました。 その二股眉の男は、偉そうに ふんぞりかえって椅子に腰掛け、まるで値踏みするような目で氷河王子を見詰めています。 普通の人間は、クールでかっこいい魔法使いカミュの普通でない出で立ちに、彼の“普通でなさ”を感じ取るのが常なのですが、氷河王子が注目したのは全く別のこと。 マーマ女王に『クールでかっこいい魔法使いカミュ』と紹介されたクールでかっこいい魔法使いカミュが、その紹介文を特に奇異に感じていないらしいことに、氷河王子は胡乱なものを感じたようでした。 それは氷河王子が ちょうど修辞学を勉強していたところだったせいかもしれません。 「……クールでかっこいい魔法使いカミュ? 何だ、その名前は。“クールでかっこいい”は、苗字なのか?」 「苗字ではないけど、そう お呼びすることになっているのよ」 マーマ女王は、我が子の 胡散臭いものに対するような声と表情に 嫌な予感を覚えながら、氷河王子に そう説明しました。 もちろん、マーマ女王の嫌な予感は現実のものとなります。 クールでかっこいい魔法使いカミュが俗世の権力に遠慮や脅威を覚えないように、氷河王子も また他人の力に恐れ入ったり媚びへつらうことを知らない王子様でした。 他人の力に屈することが嫌いで、嫌いだから、そんなことはしません。 氷河王子は、北の国で最も有力な魔法使いを、鼻で笑ってみせました。 「恥知らずな男だな。自分をクールでかっこいいと呼ばせることを、他人に強要しているのか? それを滑稽なこととは思わないのか? 事実クールでかっこいいのだとしたら、言われるまでもないことを わざわざ人に言わせることの無意味を承知していていいはずだが」 「なに?」 クールでかっこいい魔法使いカミュが、氷河王子の言葉を聞いて、二股が四股になってしまいそうなほど眉をつりあげます。 その様子は、どちらかといえば、感情的――もとい、非常に感情豊か。どう見ても、クールな人間のそれではありませんでした。 氷河王子も そう思ったのでしょう。 氷河王子は 唇の端を微妙に歪めた笑みを作り、 「ああ、失礼。大変愉快な人物だ」 と、自分の発言を訂正しました。 氷河王子は、そんな訂正をするべきではなかったでしょう。 訂正後の評価は、訂正前の評価を打ち消すものではなく、クールでかっこいい魔法使いカミュの怒りを2倍にするだけのものでしたから。 「愉快? この私が?」 クールでかっこいい魔法使いカミュが目指すところは、もちろん“クール”で“かっこいい”魔法使いでした。 ですが、その場でクールになったのは、クールでかっこいい魔法使いカミュ自身ではなく――北の国で最も高貴な人たちと北の国で最も有力な魔法使いがいる貴賓室の中の空気でした。 ひんやりした空気が、神話の一場面を描いた高名な画家の絵や、天才と謳われた職人の手で作られた調度で飾られている貴賓室の中を覆い尽くします。 けれど、氷河王子は、北の国の王子だけあって 寒いのは平気でしたから、室内に漂う凍気に怯んだ様子も見せずに、彼が言いたいことを滔々と言い続けました。 「自分で 自分をクールでかっこいい魔法使いだと標榜し、人に そう呼ばれることをよしとする態度が滑稽でなくて何だというんだ。そんなことをする奴等は、大抵 看板に偽りあり。本当にクールでかっこいいはずがない。そういう行為は人の失笑を買うだけだから やめた方が賢明だ。事実クールでかっこいいのだとしても、自分からそんなことを吹聴していたら、人は『口ほどでもない』と思うだけだろう。謙虚さを知らず 思い上がっている人間が、人から尊敬されることはない。ああ、誤解してもらっては困るぞ。俺は、貴殿が人にクールでかっこいい魔法使いと思われることを滑稽だと言っているわけではない。もし人に そう呼ばれる事態を堂々と甘受している態度が滑稽だと言っているんだ。人にそう言われた時には、本心はどうあれ、『それほどでも』とへりくだってみせるのが賢い大人の対処法だとな」 「氷河……!」 氷河王子の言うことは尤も至極。 ある視点から見れば、非常に常識的な考え方です。 それだけに――我が子の恐れを知らない言いたい放題に、マーマ女王は真っ青になってしまったのです。 マーマ女王は、クールでかっこいい魔法使いカミュが強大な力を持つ魔法使いだということを知っていました。 それより何より、クールでかっこいい魔法使いカミュは、招かれて このお城にやってきた客人です。 人を招いておいて、招いた側の人間が そんな放言を放つのは、明白に礼を欠いた振舞い。 それこそ、常識的な態度ではありません。 クールでかっこいい魔法使いカミュは、氷河王子の言いたい放題を聞いて、ぴくぴくと こめかみを引きつらせました。 二股眉毛も、一緒にぴくぴく引きつりました。 けれど、さすがは偉大な魔法使い。 クールでかっこいい魔法使いカミュは、怒りに震える声を懸命に抑えて、氷河王子に忠告を垂れたのです。 「謙虚さを知らず 礼を欠いているのはどちらなのか、冷静に考えてみることだ。私は、君の母君に頼まれて、甲斐性なしの息子に嫁をあてがってやろうとしているのだぞ。そんなことをしてやる義理も義務もないというのに、親切心で」 「余計なお世話だ」 「余計な世話をしてやらなければならないくらい、おまえは甲斐性なしの王子なのだ」 「余計な世話を焼くのは、まず自分の嫁を見付けてからにした方がいい。確かめなくてもわかるぞ。自分で自分をクールでかっこいいなんて吹聴してまわっているような男に嫁の来てがないことくらい」 「なななななななんだとーっ !! 」 ここまでくると、二人のやりとりは売り言葉に買い言葉。 二人は、二人共が、あとには引けない状況に陥っていました。 「私が独身なのは、単に私がクールでかっこよすぎるからなのだ」 クールでかっこいい魔法使いカミュの駄目押しの自己申告に、氷河王子がぷっと吹き出してしまったのが決定打となりました。 その瞬間、クールでかっこいい魔法使いカミュは、彼の堪忍袋の緒をぷつっと切ってしまったのです。 「力も持っていないのに、思い上がっているのはどちらなのかを思い知るがよい!」 言うなり、クールでかっこいい魔法使いカミュは その強大な魔法の力を、氷河王子の前に披露してみせました。 クールでかっこいい魔法使いカミュの魔法の力は本当に強大強力。 同時に、それは とんでもない魔法でした。 クールでかっこいい魔法使いカミュは なんと、氷河王子ではなく、二人の間で はらはらしていたマーマ女王を氷づけにしてしまったのです。 「マーマ!」 氷河は突然 お城の貴賓室に現われた氷柱に驚愕し、そして、次の瞬間には真っ青になりました。 自分の無思慮な放言が、この事態を招いたことに気付いて。 「この氷の棺は、誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明で、誰よりもおまえを愛している者、もしくは、貴様が誰よりも愛している者の命と引き換えでなければ溶けることはない」 それが、クールでかっこいい魔法使いカミュが親切心で(あるいは、嘲弄愚弄の気持ちから)氷河王子に残した最後の言葉。 彼に無礼を働いた当人ではなく、彼に対して礼を尽くしていたマーマ女王をこんな目に合わせることの理不尽を氷河王子が主張しようとした時、北の国の綺麗なお城の貴賓室には既に クールでかっこいい魔法使いカミュの姿はありませんでした。 |