氷河王子は、国民に向けた おふれで、ちゃんと事実を知らせました。 マーマ女王を見舞った悲劇自体は、国民に不安を与えかねないことなので伏せましたが、「『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な人間』は その命を国に捧げる覚悟で名乗り出てほしい」という一文を、おふれにきっちり明記したのです。 自分の命を奪われることを承知で、我こそはと名乗り出てくれる者などいるはずがない――という大方の予想に反して、我こそは『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な者』という人間が一人、名乗りをあげてきたのは、氷河王子が国民への おふれを出して1週間ほどが過ぎた頃でした。 それは、20歳を少し過ぎたくらいの若い女性でした。 彼女は、実に堂々と、 「この私が、誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な人間です」 と自己申告してきたのです。 「この私の命が必要だとか。謝礼として、前払いで100億円くれたら、私はこの命を提供しますわ」 そう、彼女は言いました。 その女性は、決して醜い女性ではありませんでした。 誰よりも優しいという彼女の主張も、誰よりも清らかな心を持っているという彼女の言葉も、氷河王子には否定することはできませんでした。 けれど、氷河王子には彼女を 誰よりも聡明な人間だと思うことはできなかったのです。 だって、そうでしょう。 『誰よりも優しい』『誰よりも清らか』という判断は、世界中のすべての人間の姿と心を知り尽くしている者にしか言えないはずの言葉。 それを、平気で『私こそが』『誰よりも』と公言するような人間は、氷河王子には 無知で思いあがった人間としか思えなかったのです。 氷河王子は、謙虚な人間が好きでした。 氷河王子自身、(意外なことと思われるかもしれませんが)とても謙虚な人間だったのです。 少なくとも氷河王子は、この北の国の内に限ってさえ、自分は誰よりも偉い男子だなんて思ってはいませんでした。 “偉さ”を量る尺度は色々なものがあるということを、氷河王子はちゃんと知っていたのです。 それに、氷河王子は、つい先頃、北の国の隣りの隣りの国で、たちの悪い詐欺師に“正直者にしか見えない服”なる怪しげなものを法外な値段で売りつけられたあげく、都の大通りでストリップした国王がいた話を聞いていました。 つまり、あろうことか、王室を相手取って詐欺を働く不埒な者共が、昨今 北の国の周辺の国を徘徊しているという噂を。 いつもなら 隣りの椅子にマーマ女王が腰掛けている謁見の間。 氷河王子は、自分のすぐ後ろに ひっそりと控えていた瞬を呼びました。 「瞬、ちょっとこっちに来い」 「はい、どうか?」 「その馬鹿女の横に立ってみろ」 「え……? あの……はい」 いったい氷河は何を考えているのか――。 氷河王子の真意を量りかねながらも、瞬は、氷河王子の命令に従いました。 並んだ二人の姿を見比べて、氷河王子が深く頷きます。 そうしてから、氷河王子は、謁見の間に控えていた家臣たちに尋ねました。 「どちらが可憐で美しい?」 「それはその……瞬殿の方が――」 「どう見ても、瞬殿の方でしょう」 「何といっても、瞬殿は、瞳が尋常でなく澄んでいますから」 「我々が贔屓目に見てしまっているかもしれませんが、しかし、これはやはり――」 居並ぶ家臣たちが口を揃えて、けれど、歯切れ悪く そう答えます。 彼等の歯切れが悪かったのは、『我こそは』と名乗り出てきた詐欺師が本当に『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な者』な人間であってくれたなら、色々な意味で好都合だったのに――という思いが、彼等の胸にあったからだったでしょう。 詐欺師を処刑することでマーマ女王を復活させることができるのなら、それは一石二鳥というものですからね。 けれど、世の中のあれこれは、そう都合よく進むものではありません。 氷河王子は、 「はったりをかますにしても、もう少し信憑性のあるはったりをかませ。おまえは詐欺師として大成するとは思えんから、こんなヤクザな稼業からは、さっさと足を洗った方がいいぞ」 と忠告して、自称 誰よりも優しくて誰よりも清らかな女を、北の国のお城から追い払うしかなかったのです。 そして、再び、『振り出しに戻る』。 いいえ、振り出しには戻りませんでした。 氷河王子も、北の国の家臣たちも、『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な者』を見付け出すことは不可能だということを、この一件で悟ったのです。 『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な者』が誰なのかを知っているのは、世界のすべてを知る神ただ一人。 あるいは、この人こそ『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な者』と感じる個々人の胸の中にしか存在しないものなのだという事実を、氷河王子と北の国の家臣たちは悟ったのでした。 |