誰もがマーマ女王の復活を絶望視し始めていた ある日。 マーマ女王が氷の棺に閉じ込められて1ヶ月が過ぎた頃。 北の国の綺麗なお城に、招かれざる客が一人、どこからともなく現われました。 招かれざる客といっても、彼は、北の国のお城の誰もが、この事態を解決できるのは もはやこの人しかいないと考えていた人物でしたけれどね。 そう、つまり、クールでかっこいい魔法使いカミュです。 氷河王子と北の国の家臣たちが沈痛な面持ちで氷の棺を見守っているところに、クールでかっこいい魔法使いカミュは、得意げな顔をして現われました。 そして、青ざめた頬をした氷河王子を支えるように立っている瞬の姿を認めると、彼は舌打ちをして言ったのです。 「ふん。誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明で、誰よりもおまえを愛している者を見付けたのか。で? おまえは、母の命を取り戻すために、この者の命を犠牲にするのか? それでいいと、この者は承知したのか?」 ――と。 氷河王子は もちろん、大層驚きました。 クールでかっこいい魔法使いカミュの言葉の、『瞬が誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な者である』という部分ではなく、『瞬が誰よりもおまえを愛している者である』という部分に。 けれど、北の国の家臣たちは あまり驚きませんでした。 彼等は皆、薄々そうなのではないかと察していましたから。 ただ、彼等は世界のすべてを知る神ではなかったので、そうなのではないかと言うことができずにいただけでしたから。 「僕は、そんな大層な人間では――でも、あの、もちろん、氷河を他の誰よりも大切に思っていますけど……」 瞬は、クールでかっこいい魔法使いカミュとは違って、大層 謙虚な少年でした。 いいえ、瞬は、自分が捨て子だったことを知っているので、むしろ自己卑下の甚だしい少年だったのです。 それはさておき、ともかく、氷河王子はクールでかっこいい魔法使いカミュの言葉に大層驚いたのです。 本当に、色々な意味で。 「確かに俺は、瞬は誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な子だと思っているが――瞬は一度も、自分が誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な人間だなんて言ったことはないぞ」 普通は言いません。 特に、瞬は、そんなことを言う人間ではなく――自分がそんな大層な人間だなんて考えたこともなかったでしょう。 けれど、クールでかっこいい魔法使いカミュは いとも簡単に言いました。 「おまえが そう思っていることがすべてで真実だ」 「……」 氷河王子は、これが平時に判明した事実だったなら、心から喜んでいたでしょう。 自分の最も親しい友人にして大切な幼馴染みが『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な人間』だったなんて、誇らしいばかりのこと。 その上、瞬が誰よりも自分を愛してくれていたなんて、とてもとても嬉しいことです。 けれど、今は駄目。 今その事実が皆の知るところになるのは――特に瞬の知るところになることは――氷河王子はどうあっても避けたかったのです。 もし 瞬が自分が『誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な人間』だということを自覚してしまったら、 「僕がそんな大層な人間だとは思えませんけど――でも、もし僕がそうなのだとしたら、僕にはお后様を救う力があるんですか?」 と言い出すことが わかっていましたから。 「だ……駄目だ、瞬。そんなことは――おまえが死ぬのは許さん!」 氷河王子はすぐに瞬の考えを否定しました。 氷河王子の怒鳴り声を聞いても、瞬は僅かに微笑むだけでしたけど。 「僕が誰よりも綺麗だとか、誰よりも清らかだとか、そんなことは信じられないけど、僕にお后様を助ける力があるのなら、僕は喜んで――」 「瞬っ」 「お后様は、氷河のためにも、この国のためにも、なくてはならない方。それに比べて、僕は、何の役にも立たない ただの孤児。どうするのが この国のためになるのかは考えるまでもないことだもの」 「おまえが何の役に立たないなんて、そんなことはない!」 苦しげな目をして訴える氷河王子に、瞬は小さく、けれど はっきりと首を横に振りました。 「きっと僕が 氷河のお城の庭に捨てられていたのは、お后様を助けるためだったんだ。きっと、この日のくることを知っていた神様が、僕を氷河の許にお遣わしになったんだ」 「そんなことがあるかっ。おまえは死ぬために俺に出会ったんじゃない! 俺は こんなことのために、おまえを拾ったんじゃない!」 「氷河。僕はずっと、自分は何のために生きているのかって思い続けていたの。どうして氷河に出会ってしまったのかって。その答えがやっとわかった」 「だ……駄目だ。そんなことは絶対に許さん。なくてはならないのはおまえも同じだ」 「僕には何の力もないんだって思ってた。それがいつも悲しかった。でも、僕にも、氷河とお后様のためにできることがあったんだ。……氷河、僕、今とても嬉しいの」 瞬はすっかり 瞬は、自分の死を喜んでいるようでした。 けれど、そんなことは――そんなことは、氷河王子には決して受け入れられないことだったのです。 「駄目だ! 瞬、俺はおまえを愛しているんだ。おまえなしでは生きていけない!」 「氷河……」 氷河王子の告白に、瞬は びっくりしました。 瞬は、(氷河王子を)愛しているのは自分だけだと思っていたのです。 氷河王子は、いつも瞬を大切にしてくれましたが、瞬に『愛している』なんて一度も言ってくれたことはありませんでしたから。 二人の間には身分の差という目に見えない大きな壁があって、氷河王子は その壁を越えることなど考えてもいないのだと、瞬は思っていたのです。 けれど、そうではなかったのです。 身分も親も家もない無力な孤児を、氷河王子も愛してくれていたのです。 瞬は、とても嬉しかった。 嬉しくて、死など少しも恐くなくなりました。 「俺は、卑怯だったんだ。おまえに好きだと告げたら、おまえが俺を恐がるのじゃないかと恐れていた。何も言わなくても、おまえは俺の側にいるしかないんだから、ずっと このまま二人でいられたら、それでいいと思っていたんだ。だが、おまえなしでは俺は生きていられない……!」 『マーマ、大好き』『マーマ命』『マーマ、ナセグダー』 北の国の王子様は 超の字がつくほどのマザコンで、それが北の国の王室の悩みの種。 北の国の誰もが そう信じていました。 多くの国民も、家臣たちも、氷河王子の母君でさえ。 そのマザコン王子の熱烈な恋の告白は、その場にいた すべての人たちを驚かせました。 そして、その告白によって、みんなは知ったのです。 氷河王子が『マーマ、大好き』『マーマ命』『マーマ、ナセグダー』と言い続け、一向にお嫁さんを迎える気配を見せなかった本当の理由を。 氷河王子には、ちゃんと、誰よりも愛している人がいたのです。 ちゃんと恋する人がいて、でも、その人は決して お嫁さんにはできない人。 けれど、『だから代わりの人を』と考えることもできなかった氷河王子は、ひたすらマザコンで女嫌いの振りをしていたのだと。 氷河王子が好きな瞬は男の子でしたから、“女嫌い”は振りではなかったのかもしれませんが、氷河王子は 特に男の子が好きというわけでもなかったでしょう。 氷河王子の目には、瞬が 誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な人に映っていたのですから。 『誰よりも』という言葉は、男女の別を超越して用いられる言葉です。 そして、実は、瞬を知る北の国の家臣たちのほとんどが、やはり瞬は誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明な子だと思っていたのです。 そんなふうに、北の国のお城の家臣たちが、氷河王子のマザコン(の振り)の本当の理由を知った時でした。 クールでかっこいい魔法使いカミュの魔法でできた氷の棺に閉じ込められているマーマ女王の声(おそらく、心の声)が、氷河王子と瞬の恋の行方を案じている者たちの許に届けられたのは。 『氷河。私はいいのよ。氷河は、氷河の愛する人の命を犠牲にする必要はありません』 マーマ女王は そう言いました。 『私は、氷河が肉親以外の人を愛する心を持っていないのではないかと、それが心配だったの。そうでなくて安心したわ。氷河がすべきことは、瞬の命を犠牲にすることではなく、瞬の命を守ることです』 マーマ女王は、そう言ったのです。 そして、その言葉は、一層氷河王子を苦しめることになりました。 氷河王子は、瞬を誰より愛していましたが、母君のことも誰よりも愛していたのです。 誰よりも愛している人が二人もいるなんて変じゃないのか――なんて考えるのは間違いですよ。 それは、愛がどんなものであるのかを知らない人の考え方です。 氷河王子が誰よりも愛している瞬と、誰よりも愛しているマーマ女王。 その二人は、氷河王子を誰よりも愛していて、氷河王子の幸せのために自分の命を投げ出そうとしてくれています。 それでも選ばなければならないのでしょうか。 二人のうちのどちらかを選び、どちらかを見捨てなければならないのでしょうか。 あまりの苦しさに、氷河王子は立っているのも つらいほどでした。 クールでかっこいい魔法使いカミュが、苦悩する氷河王子に追い討ちをかけてきます。 「さて、どちらを選ぶ? 母の命か、恋人の命か。何の力もない、ただの若造の分際で思い上がるから、こんなことになるのだ。これは自業自得というものだ」 「俺は――」 「さっさと決めろ。こんなことで悩んでいては、到底 一国の王になどなれないぞ。いや、一国の王どころか、普通に生きていくことさえできない。人生というものは、二者択一の連続でできているのだ。朝 ベッドを出るか出ないか、朝食をとるか とらないか、仕事をするか怠けるか。そんなことの連続が、その者の人生を決定づけ、形成していくのだ」 クールでかっこいい魔法使いカミュは、今日は本当にクールでした。 クールに、残酷な二者択一を氷河王子に迫ってきます。 朝 ベッドを出るか出ないかなら、氷河王子にもすぐに決めることができました。 けれど、これは、人の命がかかった選択。 そんな重要な選択は、氷河王子でなくても、簡単に為すことはできないでしょう。 「氷河、悩むことはないよ。苦しまないで。氷河とお后様のためなら、僕は――」 「駄目だっ!」 氷河王子が悩み苦しんでいることに 悩み苦しんでいるような瞬の言葉を、氷河王子は鋭く遮りました。 そして、氷河王子は、すがるような思いで、クールでかっこいい魔法使いカミュに尋ねたのです。 「他に……他に方法はないのか !? 」 クールでかっこいい魔法使いカミュの答えは、やはりクールなものでしたけれど。 「悪足掻きはよせ。この氷の棺は、誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明で、誰よりもおまえを愛している者、もしくは、おまえが誰よりも愛している者の命と引き換えでなければ溶かすことはできない。何度も言わせるな」 「この氷の棺は、誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明で、誰よりも俺を愛してくれている者、 人生は、二者択一の連続です。 けれど、どうしても選ぶことができない分岐点に立たされた時、人は 第三の道を模索します。 もちろん、その行為もまた、『指定された二者択一を行なうか行なわないか』の二者択一の結果なのですけれどね。 氷河王子が第三の道として選んだ答え。 それは、 「わかった。俺は、俺が誰よりも愛している者の命を、母のために捧げる。だが、誰よりも優しくて、誰よりも清らかな心と誰よりも美しく可憐な姿を持ち、誰よりも聡明で、誰よりも俺を愛してくれている者の命は、誰にも渡さないぞ!」 というものでした。 |