「なんだい、おまえたちは」
白銀聖闘士の摩鈴の前に進み出た二人の少年の姿を認めると、彼女は 聖域の南端に立つ望楼の修復作業指揮の手を止め、目をすがめて尋ねてきた。
20歳を過ぎたばかりのうら若き女性だというのに この貫禄は何なのだろうと、ミラクとサダルは少々気後れしてしまったのである。
それは、彼女がこの若さで既に聖域の最古参と呼ばれる人物だからなのかもしれない。
が、おそらくは、それ以上に、自らの持つ力への自負と、責任感によるものなのだろうと、二人の新参者は思った。
先の聖戦で黄金聖闘士をすべて失った聖域は、残った者たちの力で その再建を図らなければならなくなった。
その責任感、義務感が、彼女の中に統率力と貫禄を養わせたのだろう――と。

「僕たちは、聖闘士になるための修行中の――」
恐がってどうするのだと息巻いていたミラクも、彼女の前では なかなか普段通りに振舞うことができなかった。
遠慮がちに名乗りをあげようとしたミラクの声を、摩鈴がせっかちに遮ってくる。
「ああ、星矢と紫龍が教えてる子たちだね。あの二人が先生だなんて、あいつらもまた随分 出世したもんだよ。なんだい? 星矢が遊んでばかりで真面目に特訓してくれないとでもいうのかい? なら、あたしから言っといてやるよ。可愛い弟子たちには もっと厳しい修行をさせてやれってね」
白銀聖闘士の摩鈴は、ミラクの師である天馬座の聖闘士の師でもある。
師に『摩鈴さんには何度も死ぬほどの目に合わされた』という話を聞かされていたミラクは、摩鈴のその言葉に震え上がった。

「いえ。先生は、今でも十分に厳しいです。そうじゃなくて、僕たち、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士のことを知りたくて……魔鈴さんなら知ってるんじゃないかと思って――」
「アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士のこと? それを知ってどうするんだい」
ミラクの望みは、摩鈴には思いがけないことだったらしい。
彼女は、それまで目許に刻んでいた、悪気でいっぱいの笑みを消し去り、真顔になって ミラクとサダルに問い返してきた。
「アンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣を、僕とサダルに授けてもらうことはできないかと思ってるんです」
聖域の禁忌であるアンドロメダ座の聖衣と白鳥座の聖衣。
言及するのは やはりまずかったかと思いはしたが、今更あとには引けない。
真顔になった摩鈴に気後れしつつ、ミラクは思い切って自分たちの望みを口にした。
途端に摩鈴が、ぷっと吹き出す。
彼女は ひとしきり声をあげて笑ってから、まとわりつく羽虫を追い払うような仕草で、その右手を二度三度とミラクたちの前で振ってみせた。

「おまえらがアンドロメダの聖衣とキグナスの聖衣を? 無理無理。おまえら程度のひよっこたちには、あの聖衣は扱いきれないよ」
「で……でも、黄金聖衣でも白銀聖衣でもない、ただの青銅聖衣なんでしょ?」
「そう。ただの青銅聖衣。でも、アテナの血を受けて神聖衣にもなった特別な聖衣だ。それくらいは知ってるんだろ?」
「それは……聞いてるけど……」
「おまえの師匠の聖衣同様、アンドロメダの聖衣とキグナスの聖衣は特別な聖衣なんだよ。なまじな者には扱えない。どうしても聖衣が欲しいのなら、おまえ、手近なところで星矢からペガサスの聖衣をひっぺがして、自分のものにしちまいな。できるもんならね」
そんな無謀なことができるわけがない。
ミラクは、摩鈴の提案――おそらく その10割が冗談と揶揄でできた提案――に むっとして唇を引き結んだ。
代わりに、サダルが、ミラクの師の師に尋ねる。

「摩鈴さんは、その聖衣の持ち主だった聖闘士たちのことを ご存じなんですか」
「瞬と氷河のこと? まあ、全く知らないってこともないけど」
「瞬と氷河――。アンドロメダ座の聖衣の持ち主が瞬で、白鳥座の聖衣の持ち主が氷河ですか? どんな人たちだったんです」
「どんな……って。そうだね。瞬はいい子だったよ。優しくて――無鉄砲な星矢をよく抑えてくれてた。瞬がいなかったら、無茶ばかりしてる星矢の阿呆は、聖戦前に確実に10回は死んでただろうね」
禁忌の聖闘士を語っているにもかかわらず、摩鈴の口調には躊躇も嫌悪の響きもない。
むしろ彼女は禁忌の聖闘士を好意的に語っているようだった。
サダルは摩鈴の言葉の屈託のなさに奇異の念を抱いたのである。
ミラクは、奇異の念を通り越して、反発心を抱いたようだった。

「その瞬って奴、僕より強かったんですか」
挑むような目をして噛みついてくるミラクに、摩鈴は一瞬 ぽかんとした顔になった。
それから、再び盛大に吹き出す。
「体格から察するに、おまえの方がアンドロメダの聖衣狙いなんだろうけど、おまえ、瞬とは似ても似つかず、鼻っ柱の強い子だね。瞬はもっと大人しくて、控えめな子だったよ。どんなに強くなっても、星矢たちより一歩 後ろに引いているような子。日本にね、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ってことわざがあるんだ。瞬は そういう子だったよ。あたしの言ってることの意味、わかってるかい? おまえみたいに自信満々でいるうちは、まだまだ未熟だってこと。聖闘士なんてとんでもない。ましてアンドロメダの聖衣なんて、身の程知らずもいいとこだよ!」
「で……でも、アンドロメダ座の聖闘士はアテナを裏切ったんでしょう!」

裏切り者を褒める摩鈴の気持ちがわからなくて――というより、アテナと地上の平和を守るために聖闘士になりたいと切望する者を叱責する摩鈴の言葉に理不尽を感じて――ミラクはつい 聖域の禁忌に大声で言及してしまっていた。
ほとんど怒声といっていいようなミラクの訴えを聞いた摩鈴が、その顔から表情を消し去り、僅かに眉根を寄せる。
「それは……瞬がハーデスに身体を乗っ取られたことを言っているのかい?」
「え?」
「あれは仕方のないことだったんだ」
「やっぱり裏切ったんだ……!」

アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士の裏切りの話を、ミラクは、実際に戦場に立つことをしなかった兵たちからしか聞いたことがなかった。
聖闘士の資格を持つ者から その話を聞くのは、ミラクは――サダルも――これが初めてだったのである。
噂は真実――二人のアテナの聖闘士が、アテナと聖域を裏切ったという噂は、やはり本当のことだったらしい。
だとしたら、なおさら、なぜ摩鈴が裏切り者を褒めるのか――なぜ彼女は裏切り者の肩を持ち、アテナと聖域に忠誠を誓う自分たちを責めるのかが理解できない。
理に適った答え、得心できる説明があるのなら示してみろという気持ちで、ミラクは摩鈴を睨みつけることになったのである。

そんなミラクに与えられたのは、だが、理に適った答えどころか、是も非もない叱責――ほとんど罵倒といっていいような怒鳴り声だった。
「何も知らないガキが、勝手な憶測で無責任なことを言うんじゃないよ! さあ、仕事の邪魔だから、とっとと行った行った。おまえたちが聖闘士になるのは10年早い! 星矢たちも そう思ってるよ!」

正義とは、善とは、道理とは、そして 力とは何なのか。
摩鈴の罵倒を その身に受けとめながら、ミラクは思ったのである。
摩鈴の罵倒には道理がない。
彼女の怒りは まさに理不尽の極みだと思うのに、そんな彼女に対して、ミラクは いかなる反論も反駁もできなかった。
摩鈴が自分より確実に強いことがわかるから、ミラクはそうすることができなかったのである。
理不尽なことを言い募る摩鈴に 今 反抗しても、間違ったことは言っていないはずの自分の方が(力で)負けることがわかっているから。
自分の方が正しいと思うのに、自分が弱いことを知っているために何も言えず、何もできない悔しさ。
正義が何よりも価値を持つ場であるはずの聖域内で行なわれる この不正義、その不正義に反抗できない自分自身に憤りを覚え、ミラクは きつく唇を噛みしめた。
そんなミラクに、摩鈴が、困ったような笑みを向けてくる。

「余計なことを探ってまわるのはおやめ。聖闘士にふさわしい力が おまえたちに備わったと判断したら、その時には ちゃんと星矢たちが おまえたちに聖衣を与えてくれる。たった2年で驚異的に強くなった子たちがいるって、星矢と紫龍は嬉しそうに言ってたよ。その時を待ちな」
「……」
“その時”の到来が期待できないから――“その時”が来ても与えられる聖衣がなければ何にもならないと思うから――ミラクは焦り、苛立っているのである。
しかし、その苛立ちと不安を訴えても、摩鈴はわかってくれそうにない。
だから、ミラクは無言で摩鈴に頭を下げ、そして、彼女に背を向けるしかなかったのである。






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