連日発揮される、瞬の超人的能力。
瞬が すこやか園に来て1週間が経った頃には、瞬を普通の人間じゃないって認識するに至った高校生たちは、瞬を遠巻きにするようになっていた。
そして、奴等とは反対に、園の中では比較的 大人しい子供たちが、少しずつ瞬の側に近寄っていくようになっていた。
乱暴者たちから遠ざかろうとしたら、まあ、そういうことになるのは自然だし、当然のことだったろうけどね。
弱い人間――特に、力のない子供っていうのは、安全な場所があることを知ると、そこに行くのが習性になるんだ。
つまり、瞬の周囲は安全地帯――ってこと。

瞬は、それまで 園の中で いじめられる側にいた子たちの避難場所になっていた。
高校生たちは、瞬が来ると ぎょっとして、こそこそ逃げ出すようになってたから。
奴等のそんな態度を見てると、子供っていう生き物は、安全な場所を好むくせに、分別のある大人なんかよりずっと 恐いもの知らずなんじゃないかって、僕には思えた。
乱暴者たちは、普通の人間じゃない瞬に近付かない。
先生たちも、表面上は瞬に対する態度を変えたりはしなかったけど、まるで腫れ物を扱うみたいな気持ちで瞬に接しているみたいだった。
なのに、子供たちは正反対。
特に小さな子たちと 知能の発達が遅れてるような子たちは、自分の方から進んで瞬に近付いていった。
それから、女の子たちも。
女ってのは、見た目が綺麗なものが好きだからなのかな。
瞬自身、女みたいな顔をしてるからなのかもしれなかった。

とにかく、瞬の登場で、園の中の人間の居場所が変わったのは事実だ。
瞬を中心にした子供たちと、乱暴者の高校生たちと、先生たち。
3つのグループの中で いちばん人数が多いのは、もちろん瞬を中心にしたグループで、多分、いちばん力があるのも瞬のグループだったろう。
高校生たちの腕力も、先生たちの権威も、瞬は その気になれば簡単に打ち負かすことができただろうから。

僕は、すこやか園の勢力図が そんなふうに綺麗に分かれても、瞬の側には近寄っていかなかった。
瞬に近付いて、ナカヨクしてた方が得だってことはわかってたんだけど、どうしても瞬に近付く気にはなれなかった。
瞬が何でもできることに、僕にできないことまでできるってことに、僕は腹が立っていたんだ。
僕はいつでも、僕以外の人間が――僕を殴るパパやママや、僕をいじめる奴等が――僕より無能で馬鹿で下等な生き物だって思っていたかったのに、瞬はそれを滅茶苦茶にしてくれた。
瞬は、僕のプライドを粉々にしてくれたんだ。

瞬は、いつも一人で ぽつねんとしてる僕を心配そうに見詰めてた。
でも、僕は、意地を張って その目に気付かない振りを続けていた。
続けていたんだけど。
結局、僕も最後には瞬の許に逃げ込むことになった。
それもこれも みんな瞬のせい。
瞬の側にいないことで目立つようになってしまった僕は、いじめる相手がいなくて いらいらしてた高校生たちに目をつけられてしまったんだ。

その日。
高校生たちが一人でいる僕の方を見て 何だか嫌な感じの目配せをしているのに気付いた僕が、最初にしたこと。
それは、今 瞬はどこにいるだろう――って考えることだった。
音を立てずにゆっくりと、部屋の出口の方に移動を始めた僕は、一度 廊下に出ると、脱兎のごとく駆け出した。
午後の この時間、瞬がみんなと一緒にいるはずの遊戯室に向かって。

幸い、瞬はそこにいた。
遊戯室のカーペットの上に座って、瞬は、小学校に入る前の子供たちに絵本を読んでやっていた。
その姿を見付けるや、僕は瞬の背後にまわりこんで、まるで 隠れんぼしてるみたいに、そこにしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
瞬が、僕の方に向き直って 訊いてくる。
なんだか、すごく優しい声で。
僕はびくびくしながら瞬の顔を見上げて――そして、瞬の目を見た途端、僕の意識の中から乱暴者たちのことが綺麗に消えた。

瞬は――他のどんな人とも、周囲の空気が違っていた。
先生たちが、瞬は綺麗だって言ってたけど、それは ほんとだった。
瞬の目はすごく澄んでて、パパやママみたいに意地悪な光が全然ない。
瞬は、絶対に僕をぶったり蹴ったりしない。
絶対に、そんなことをしない。
そうすることができるのに。
そうする力を持っているのに。

『絶対に』って確信できることって、すごいことだと思う。
『絶対』なんて、それこそ絶対にないことだ。
僕はいつも そう思ってたのに。
誰だって、どんなに優しそうに見える人だって、人は些細なことで、簡単に他者への加害者になれるものだって、思ってたのに。
なのに、瞬は絶対にそんなことしないって、僕は信じてしまえた。
ここは安全なんだ、瞬は力にあかせて僕を虐げたりしないんだ――って。
その時になって初めて、僕は みんなの気持ちがわかった。
ここは安全なんだ。
みんなが、そう感じてる――。

僕は、瞬の方に手をのばしたくて、でも、恐くて――瞬が恐いんじゃなく、誰かに守ってもらうことを期待している自分が恐くて――だから僕は動かずにいた。
全身を硬くして、手足を強張らせて、僕は動けずにいた。
そうしたら、瞬が、
「大丈夫だよ」
って言って、僕を ふわっと抱きしめてくれた。
抱きしめてくれたんだ。
それは、パパもママも 先生たちも、この世界にいるどんな人間もしなかったこと――してくれなかったことだ。

人間の身体の温かさに、僕は初めて触れた。
人間の身体の温かさって、とっても不思議で、とっても特別だ。
太陽の光とは違う。
暖房器具が作り出す暖かさとも違う、不思議な温度。
すごく気持ちいい。
あんまり気持ちよくて――ほんとに気持ちよくて――多分、その時、物心つく前からずっと張り詰めていた僕の心が ぷつりと切れた。
そして、僕は、瞬にしがみついて 声をあげずに泣きだしてしまってた。

「まあ、ヒトシくんが」
ちょうど遊戯室に入ってきた佐藤先生が、瞬に抱きついてる僕を見て驚いてたみたいだったけど、その時には僕は、自分が誰にどう思われようと構わないっていう気分になっていて――だから、瞬から離れなかった。






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