園内の子供が全員――最後にひとり残っていた僕までが――瞬の仲間になってしまったせいで、高校生たちは苛立ちを増していったみたいだった。
きっと奴等は、自分より弱い者をいじめることで、自分には力があるんだと思っていたかったんだろう。
そうして、自分のプライドを保っていた。
僕が、僕以外の人間は みんな馬鹿だと見下すことで、自分のプライドを守ろうとしていたみたいに。
奴等の気持ちはわからないでもない。
でも、だから奴等を好きになれるかっていったら、それは無理な話。

どうせ奴等は瞬には敵わないんだから、奴等が瞬に手を出すことはないだろうって、僕は思ってたんだけど、それは少し楽観的にすぎる観測みたいだった。
人間にとって、自分のプライドを守ることは――それがどんなにちっぽけなプライドでも――我が身の安全を賭けてでも為さなければならない重大事だったらしい。

僕たちを脅そうとして すごんでも、誰も奴等を恐がらなくなって、それで奴等は立場をなくしてた。
瞬の超人振りを不気味にも思ってたんだろうけど、それでも奴等は奴等のプライドを守らなければならなかった。
だから奴等はそんなことをしたんだろうと思う。
瞬は恐いから近寄りたくない。
だが、自分たちが瞬より力のあることを、僕たちに示したい。
そのために、奴等は、自分たちの腕力じゃなく、武器に頼った。
武器っていっても、ただの果物ナイフだけど。
本当に瞬を傷付けるだけの度胸が奴等にあったとは思えないから、ただの脅しのつもりだったんだろうけど、瞬がちょっと僕たちとの間に距離を置いた時、奴等はそれを瞬に向かって投げつけた。

のんびりした遊戯室で何が起こったのか、僕は すぐにはわからなかった。
というより、何かが起きたことに気付けなかったんだ。
奴等が投げたナイフは、瞬の身の上に何も起こさなかったから。
奴等が投げたナイフを、瞬は、ひょいと手をのばして空中で掴んでしまったんだ。
“何か”の当事者である高校生たちは、僕以上に、自分たちの目の前で何が起こったのかを理解できなかったみたいだった。
理解できていたら、
「怪我をしたら、危ないよ」
って、気遣わしげに言った瞬に、
「お……おまえ、今の何だよ。今のは――沖縄空手? なんて技だ?」
なんて訊くことはできなかったろうから。

絶対に、奴等は、自分たちが傷害未遂に相当する犯罪を犯したことを自覚していなかった。
ほんとにほんとに馬鹿だ。
馬鹿な奴等の唯一の救いは、その一瞬の出来事で、自分たちが瞬に敵わないって事実を、完全完璧に悟り受け入れたこと。
そして、奴等は、瞬への敵愾心も、一瞬にして忘れてしまったんだ。

「い……今の技、どうやったら使えるようになるんだ?」
「教えてくれよ、今の技」
「すげー。あれができたら、誰だって俺たちにびびるようになるよな!」
身を乗り出して瞬に そんなことを訊いていく 奴等の変わり身の早さというか、悪びれなさに、僕は心底から呆れた。
うん。
確かに奴等には犯意がなかった。
悪いことをしてる自覚もなく、ただただ自分のプライドを守ることしか考えていなかったんだ。

「みんなをびびらせて、それでどうなるの?」
そんな馬鹿者共に、瞬が首をかしげて尋ねていく。
「そりゃあ……喧嘩で負けずに済むし、すこやか園の子だって馬鹿にされずに済むだろ」
「……」
三人の答えを聞いた瞬は、一瞬、馬鹿共に痛ましげな目を向けた。
そして、僕も――奴等が意識せずに ぽろっと洩らした その言葉を聞いて、奴等が無意味やたらに粋がろうとする訳を初めて知った。
奴等は、自分たちが すこやか園の“かわいそうな”子供だってことに引け目を感じていたんだ。
その事実に反発して、虚勢を張って、強がって、自分たちの力を誇示しようとしていた――。

「自分を守るため?」
瞬の質問の本当の意味を、奴等が理解していたとは思えない。
理解せず、奴等は、
「まあ、それもある」
と、瞬に答えた。
しばらくの間、何事かを考える素振りを見せてから――瞬は奴等に ゆっくりと頷いた。
「自分と一緒に、この子たちも守ってくれるって約束してくれたら、ナイフ掴みのコツを教えてあげる」
「ほんとかっ!」

こいつらは、ほんとに馬鹿だ。
たった今 自分たちが瞬に何をしようとしたのかを、綺麗さっぱり忘れている――わかってない。
つまり、本当に悪気がない。
奴等は瞬が口にした条件をあっさり――嬉しそうに、ほとんど喜んで――受け入れたんだ。
「わかった。ここの奴等は仲間だもんな。普通の家の奴等よりは」
って言って。

大馬鹿者だけど、こいつらは素直な人間でもあるんだろう。
瞬の交換条件を呑むと、高校生たちは、瞬が指し示したカーペットの上に三人並んで行儀よく――奴等にしては行儀よく――正座した。
まるで 武芸の達人に弟子入りを許されて緊張してるチンピラみたいに。
そんなふうにかしこまってる三人の前に、瞬もやっぱり正座する。
瞬は三人よりずっと小柄だから、小さな瞬の前で神妙な顔をして かしこまってる高校生たちの姿は、なんだかすごく滑稽だった。
園の小さな子供たちが、いったい何が始まるのかと不思議そうな顔をして、瞬とその三人の弟子たちを ぐるりと取り囲む。
その輪の中に、もちろん僕も紛れ込んだ。

「まず、動体視力を鍛える必要があるの」
「ドウタイシリョクって何だ?」
こいつらはほんとに馬鹿だ。
高校生にもなって、そんなことも知らないなんて。
「動いている物を持続して視覚で識別する能力だよ。飛んでるボールとか、走ってる車とかを見詰め続ける力」
「それって、どうすれば鍛えられるんだ?」
この質問は妥当。
僕も、それは知らない。
「そうだね。動いているものを探すのは大変だから、自分の方が動けばいいの。たとえば、急行の電車とかに乗って、停車しない駅の看板なんかを読めるようにするとか。動体視力の能力があがると、ものがゆっくり――時には止まっているように見えるようになるよ。飛んでくるナイフも」
「へえ〜。それで あんなことができたのか」
三馬鹿は、瞬の言葉に素直に感心したみたいだった。
三平方の定理を図形で説明された中学生みたいに。

「大抵の対戦型のスポーツでは、動体視力が優れていることは、とても有利に働くんだ。対戦相手の攻撃がのろく感じられるから。そこに更に注意深さが加われば、人に傷付けられることは まずなくなるよ。ボクシング、剣道、柔道、フェンシング――そうだ 野球とかにも有益だね」
「ボールが止まって見えたら、ホームラン打ち放題だもんな」
「うん。そうだね」
瞬が三馬鹿の中の一人が言った言葉に、にっこりと微笑む。

ふぅん。
こいつら、理屈は理解できなくても、その理屈が現実にどういう結果を生むのかをイメージすることはできるんだな。
僕は、そのことに、ちょっと驚いた。
そして、あの乱暴者たちが、素直に真剣な目をして瞬のレクチャーを聞いてることに、もっと驚いた。
それは、考えようによっては、別に驚くようなことではなかったろうけど。
目的がはっきりしてて、興味のある事柄には、人は真面目に熱心に向学の念を燃やすものだ。
問題は、多分、奴等の向学心が極端にすぎるものだったこと。
奴等は、その日 早速、瞬に教えてもらった動体視力の特訓に出掛け、そして、警察のお世話になるっていう事件を起こしてしまったんだ。


大馬鹿三人がサイレンを鳴らしてないパトカーに乗せられて すこやか園に戻ってきたのは、その日の深夜――というより、既に翌日になった頃。
門限を4時間過ぎても園に戻ってこない大馬鹿たちを案じてた先生たちに、三馬鹿を送ってきた警官が言うことには、
「なんでも、動体視力の訓練をするために、入場券だけで電車に乗ったそうなんです。ところが、こちらに戻る終電がなくなったことに品川の駅で気付いて、仕方がないので駅のホームのベンチで夜明かしをしようとしていたようなんです」
「はあ……?」

玄関で、すっかり しょぼくれている三人を出迎えた園長先生は、何がどうなって そんなことになったのかが まるでわからないって顔をした。
園長先生は、三馬鹿が瞬の動体視力のレクチャーを受けたことを知らなかったからね。
でも、三人が犯罪者や非行少年としてじゃなく、ただの間抜けな乗り越し客としてパトカーで帰還してきたことだけは理解したらしく、それで安心したみたいだった。
僕はすごく眠くて――瞬が心配して起きてるから、そんな瞬が心配で起きてただけだった僕は、玄関の脇で警官たちの話を聞いていた瞬の服の裾を引っ張ったんだ。
もう心配する必要はないから、ベッドに戻ろうって。

けど、瞬は、大馬鹿三人の深夜の帰還に責任を感じたらしくて。
「すみません。僕のせいです」
って言って、警官たちの前に出ていった。
途端に、三馬鹿を送ってきた二人の警官が揃って、夜のすこやか園の玄関に大声を響かせる。
「あーっ、城戸邸の美少女ーっ !! 」
二人揃って突然、瞬に向かって指差し点呼をしでかしてくれた警官たちに、園長先生はぎょっとした顔になった。
「人違いでは? この子は男の子ですよ」
「あ、そうです、そうです。ただ、僕等は、いつもそう呼んでるので……。あの界隈の有名人というか、内緒のアイドルというか……。なんで、この美少女が ここにいるんですか !? 城戸邸の美少女を こんなに近くで見るのは、本官は今日が初めてですよ。感激です!」
「はあ……」

その警官たちは、瞬が何者なのかを知っていた。
正確には、瞬が この園に来るまで暮らしていた家の所在を知っていた。






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