星矢が夜中の2時過ぎに、冬の夜の庭に瞬の姿を見付けることになったのは、それから更に数日後。
星矢は決して瞬を見張っていたわけではなく(実際、その夜 瞬は10時には自室に入っていた)、星矢が その夜 瞬の姿に気付いたのも、偶然の出来事によるものだった。
たまたまテレビに映っていた古いロボットアニメを観始めたら、切り上げ時がわからなくなり、星矢は その時刻まで眠い目をこすりながら起きていることになってしまったのだ。
が、真冬の庭に瞬の姿を見い出すや、星矢の頭は これ以上ないほど はっきりと覚醒したのである。
音を立てて勢いよく窓を開け、星矢は夜の庭に佇む瞬を怒鳴りつけた。

「瞬! こんな時間にこんなところで何やってるんだ! さっさと寝ろよ! 夢の中の奴等は、おまえに何をすることもできないんだから!」
「星矢……うん……」
瞬が恐れているのは、夢に出てくる者たちに何かされることではなく、夢に出てくる者たちに瞬が何もしてやれないことである。
星矢にも それはわかっていた。
そして、瞬の返事が返事だけで終わるということも。
だから星矢は、瞬を怒鳴りつけるだけでは済まさずに、わざわざ庭まで出て、その腕を掴みあげ、瞬を瞬の部屋にまで引っ張っていったのである。

瞬は部屋着のまま夜着にも着替えておらず、今夜はまだ一度もベッドに入っていないことが明白。
星矢は椅子ではなくベッドに瞬を座らせて、否やを言わせない口調で 瞬に命じた。
「着替えて、すぐ寝ろ。で、8時まで起きてくるな!」
「病人でもないのに、そんなに遅くまで眠ってなんかいられないよ」
「おまえは十分、病人だよ! 夢を見るのが恐いからって、詰まんない本を読みふけるのも なしだぞ。キリスト教の教科書なんてのは絶対駄目!」
「あ……」
星矢にそう言われた瞬の視線が、一瞬 ベッドのヘッドボードの棚に走る。
そこには 大仰な装丁の厚い本が1冊あって、どうやら それが紫龍の言っていたキリスト教の教科書らしかった。
表紙に、『日本ハリストス正教会教団発行 正教要理』の文字が箔押ししてあった。

「氷河は……クリスチャンなんだよね」
瞬が、小さな声で ぽつりと呟く。
その声は ひどく心細げで、星矢は、瞬の悪夢そのものより、その覇気のなさの方に不安を覚えたのである。
「ん? ああ、一応 そうなんだろうな。ロザリオ持ってるし、マーマの信じてた神様だし。……おまえ、もしかしたら、罪だの罰だの小難しいこと考えるためじゃなくて、氷河のために こんな面白くなさそうな本なんか読み出したのか」
「あ……うん。氷河が信じてる神様のこと、知りたいから」
「……」

『汝 殺すなかれ』の文言に心を痛めるために、自虐的に、瞬がその本を手に取ったのではないのなら、それは結構なことである。
そして、瞬が 瞬なりに氷河を好きでいるのも事実のようで、それも星矢には“悪くないこと”に思われた。
氷河が信じているものがどんなものなのかを知りたいという瞬の心は、恋の思いより 健気なものなのかもしれないとも思った。
だが――同時に 星矢は、瞬が氷河を理解しようと努めれば努めるだけ、瞬は実際の氷河から遠ざかっていくような気がしてならなかったのである。
その本に書かれていることが、肉体を含む現世の物質的欲望の充足を否定する文章であるのなら、瞬の健気な思いにもかかわらず、瞬が得るものは 氷河の望みとはかけ離れたものになるのだから。

瞬の健気な思いが、今ばかりは不幸な罪悪に思えてくる。
瞬に その本を読むことを禁じるために、星矢はベッドのヘッドボードにあったそれを、部屋の中央にあるテーブルの上に移動させた。
「とにかく、今夜は このまま何もせずに寝るんだ!」
星矢の厳命に、瞬は素直に頷いたが、その素直さを、星矢は全く信じることができなかった。






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