危険人物として彼等に掴まった僕が、矯正のための しかるべき施設に収容されずに済んだのは、ある男性のおかげだった。
その人は、僕がこの世界に生まれて間もない頃に交通事故から助けてあげた人。
ガスだかガソリンだかを運んでいたトラックが 高速道路で玉突き事故を起こしたんだけど、その事故に巻き込まれた車の一台が炎上して――彼はその車の中から出ることができずにいたんだ。
僕は、その乗用車の ひしゃげた車体から 歪んで開かなくなったドアを引き千切って、彼を燃える車の外に運びだした。
車内には、他に二つの人間の姿があったけど、その二人は 既に事切れていた。
あとで知ったけど、それは彼の奥さんと、中学にあがったばかりの息子さんだった。

事故現場は広範囲に及んでいて、火も出ていたし、救急車は近付けずにいた。
怪我人や病人はその車に運べばいいことを知っていた僕は、彼を抱いたまま、彼が乗っていた車の側から離れた。
「妻は……息子は……」
「あなたの車に乗っていた人たちは もう――」
『二度と動けるようにはならないと判断したので、車内に残してきました』と、僕は彼に言えなかった。
言わずに、現場から離れたところで待機していた救急車の中に彼を運び込んだ。
彼は、左腕に火傷を負っていて、同じ側の脚も――おそらく、膝から下が完全に潰れていた。

「お願いします」
白い制服を着た救急隊員たちが無言で指し示すベッドに彼の身体を横たえて、僕は車の外に出ようとしたんだ。
車内で僕にできることは なさそうだったから。
そんな僕に、彼は悲痛な叫びを投げつけてきた。
「なぜ私を放っておいてくれなかったんだ! なぜ私を死なせてくれなかった!」
僕は、僕を責める彼の言葉より、これだけの重症を負っているにもかかわらず、彼が気を失わないことに驚いた。

僕が 潰れ燃えている車の中に残してきた二人は、彼にとって とても大切な人だったんだろう。
その二人が生きていないなら、自分が生きていても意味がないと思ってしまえるくらい。
その時にはもう僕は、助けてあげた人たちに感謝されないことに慣れてしまっていたから、「ごめんなさい」とだけ告げて、救急車を出た。
もう会うことのない人。
僕は、彼のために何をしてあげることもできない。
そう思ったから。

でも、それから2ヶ月後、僕はまた彼に会うことになった。
僕が集団の大人たちに捕まった翌日、僕が勾留されている施設に、彼は車椅子で僕に面会にやってきたんだ。

「私は君に感謝することはできないが、礼はする。私は、他人に借りを作ることを好まない。あとで法外な謝礼を要求されても困るしな」
「いらないです。お礼なんてもらっても、今の僕には何の役にも立たないですし」
「それでは私の気が済まない。君が受け取らないというのなら、君の家族にでも――」
「家族……いませんから」
僕には家がない。
家族もいない。
自分の名前すら知らない。
なぜ僕には家族も名前もないのか、その理由や経緯すら、僕は知らない。

僕は冷静に事実を告げたつもりだったけど、隠し切れない やるせなさが、僕の声か顔に にじみ出てしまったのかもしれない。
彼は僕を、僕より つらそうな目をして見詰めてきた。

彼は、大学を卒業して某都市銀行に入行し、そこで5、6年働いて資金を貯め、30歳を目前に職を辞し、IT関連の企画開発を行なう会社を興した――そういう人物だった。
行員時代に築いた人脈と知識を活用して、金融関係のプロジェクトを請け負い、成功を重ね、会社を大きくしたらしい。
彼の会社の社員は3、400名程度らしいけど、下受け孫受け会社まで入れると、彼は数万の人間に影響力を持つ会社経営者ということになるそうだった。
その個人資産は数百億。
要するに、若くして成功した、やり手の富豪だ。

彼が僕の後見人として僕を引きとることに大きな問題が生じなかったのは、彼の他に僕の身元引受人が現われなかったせいもあったろうけど、彼が個人としても会社経営者としても莫大な金額を慈善事業に投じ、多くの社会福祉団体の理事を務めていたせいもあったらしい。
それどころか、彼は学生時代に社会福祉士の資格もとっていて――彼は、企業というものは社会に益をもたらすために存在すべきだという理念の持ち主だった。

ともあれ、若くして成功し 巨万の富を築いた彼は、40代になったのをきっかけに(というより、一人息子が反抗期に入ったのをきっかけに)、家庭を顧みず仕事一筋だった それまでのライフスタイルの変更を考えたらしい。
後継者育成を兼ねて、社内の部下に権限委譲をし、遅ればせながらマイホームパパになるための準備を始めた矢先だったんだ。
彼が彼の家族を失ったのは。

もっとも、そんなふうな事情は 随分あとになってから知ったことで――僕が彼の家に引き取られた時、僕にわかっていたことは、彼が僕を自邸に引き取ってくれたから、僕は施設に入らずに済んだのだということだけだった。

僕に『瞬』という名前をくれたのは彼だ。
亡くなった息子さんの名だった。
僕が歳をとらないことに、僕自身より先に気付いたのも彼。
最初から 人間離れした僕の運動能力を知っていた彼は、そのことに気付いても あまり驚かなかったみたいだけど。
火傷を負った左腕に皮膚移植を行ない、失った片足を義足にし――車椅子なしで動けるようになるまで2年以上の時間をかけた彼は、僕の身体の持つ異常な能力と強靭さを羨む――というより、呆れていたみたいだった。

これもあとになってから知ったことだけど、僕が彼の邸に引き取られたのは、ちょうどマスコミの騒ぎが頂点に達しつつあった時だった。
到底普通の人間のそれとは思えない僕の活動(?)の様子がテレビに幾度も流れ、それが侃々諤々の物議をかもしていたらしい。
僕がどこかに身柄を移動されるだけでも騒ぎになることは目に見えていたから、僕は極秘裏に彼の家に運ばれた。
そして、そこで二人の静かな隠遁生活が始まったんだ。

彼のご両親は既に鬼籍に入っていたけど、彼にはそれなりに親族はいるようだった。
けど、僕を自邸に引き取ると同時に、彼は、火傷を負い 片脚を失い 家族を失ったせいで人嫌いになったふうを装って、個人的な人付き合いというものをやめてしまった。
使用人も幾人かはいたけど、そういう人たちに対する彼の態度は至ってビジネスライク。
それまで奥さんがやっていた仕事を他人がやることが、彼は腹立たしく悲しかったのかもしれない。
彼は、会社のことや社会的なことはネットワークシステム経由ですべて済ませていた。
10億20億を超える契約も、彼は自宅のパソコンで書類を見て決裁していた。

それは、奇妙な同居だったろう。
人嫌いの成功者と、孤独な化け物の同居。
彼は、僕に住まいと衣服と食事を与えてくれた。
学校に受け入れてもらえそうにない化け物の僕のために家庭教師を雇い、教育も与えてくれた。
同じ家の中にいて、ほとんど会話もないんだけど、気が向くと僕のところにやって来て、彼は 僕に勉強の進み具合いとか、何か不満はないかとか、そういうことを訊いてくる。
親密とは言い難い関係だったけど、それから10年、まがりなりにも同じ家で暮らしていたんだ。
僕は、彼に――変な言い方だけど――距離を置いた親近感のようなものを感じていた。






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