僕の腕の力なんかでは、氷河の身体を へし折ることはできない。
そのことを確かめることができたら、おかしなことだけど、僕には恐いものがなくなった。
氷河を傷付けてしまうかもしれないっていう恐れが消えた分、僕は、僕が氷河の期待通りの僕じゃなかっただろうことに不安を覚えた。

「僕、人とあんなことしたの初めてだって言ったら信じてくれる?」
だから、僕がいい子でいられなかったことは大目に見てって頼むつもりで、僕はそう言ったんだけど、氷河はそういうことは気にしてなかったのか、苦笑しながら僕に同じことを訊いてきた。
「同じことを俺が言ったら信じるか」
「あの……それは、ちょっと信じられないけど、信じるしかないみたい。僕たちは、他の人と我を忘れて抱き合うことはできない」
「そうだ」

なんだか嬉しい。
僕には氷河だけで、氷河には僕だけだなんて。
僕は嬉しくて、両手で氷河の腕にしがみついた。
氷河は、痛そうに顔を歪めるどころか、くすぐったそうに笑って肩をすくめた。
それを確かめてから、僕たちはやっと 僕たちが何者なのかっていうことを話し始めたんだ。
裸のままだったけど、僕は少しでも氷河の側にいて、氷河に触れていたかったから。
氷河も、それで不満はなさそうだった。

「結局、僕と氷河は同じものを探して、ギリシャに来たんだね」
「俺に天国の気分を味わわせてくれる素晴らしい恋人をだな、つまり」
まさか本気でそんなことを言っているんだとは思えなかったけど、そう言いながら、氷河は その左の手で僕の背中の線をなぞり始めた。
ゆっくりと移動するその手が僕の腰より更に下に行こうとしていることに気付いて、僕はびくりと身体を震わせた。
「あ……氷河……あの、今は、そんなことより……」
氷河にこんなふうに触られていたら、僕、頭がまともに働かない。
会話なんて成立させられない。
でも、はっきり やめてと言うこともできなくて――僕は頬を真っ赤に染めて、もじもじと俯いた。
氷河が そんな僕を下目使いに見て、2、3度 瞬きをしてから、愉快そうに苦笑する。

「おまえは本当に感じやすいな。ああ、そう。俺たちが この国に探しにきたものの話だな。おまえが聖域という場所の情報をどこから仕入れてきたのかは知らないが、聖域というのは、場所ではなく人なのではないかと俺は思うぞ」
「場所ではなく人?」
氷河の手が僕の肩の上に戻る。
それだけでも僕は 本当はすごく気持ちよくて、我を忘れそうになるんだけど、せっかく真面目になってくれた氷河のために、僕は懸命に自分の理性に活を入れた。

「そうだ。俺の聖域はおまえなのじゃないかと思う。おまえに会った時からなんだ。俺の力が弱まり始めたのは。それだけじゃない。怪我も治りにくくなっている。ギリシャに来て おまえに会って、それでなくても俺の力は弱まっていたのに、おまえの中に入り込むほど近付いたんだ。今、俺は最高に力が入らない」
「嘘。最高に力が入らなくて あんなだったのなら、もしギリシャに来る前の氷河と抱き合ってたら、僕でも壊れちゃうよ」
「それは――。今でも俺は、普通の人間に比べたら、体力も精力も 2、3倍はあるだろうが、おまえに会うまでは、本当に俺の力はあの程度のものじゃなかったんだ。ブレーキが利かなくなって暴走を始めた10トントレーラーを片手で止めたこともある。3万リットルの石油満載、スピードは150キロ近く出ていただろう」

スピードが150キロも出ていた10トントレーラーを止めた時、氷河にかかった運動エネルギーはいったいどれほど大きいものだったのか。
僕も、自分をかなりの力持ちと自負していたけど、自分が そんなに大きなエネルギーを受けとめきれるかどうか自信はない。
たった今まで、僕は自分が氷河の身体をへし折ってしまうんじゃないかって、そればかりを心配していたけど、僕は 本当は僕の身体が氷河にへし折られることを心配すべきだったのかもしれない。
「氷河……」

使い方さえ間違わなければ、僕たちの持つ力は決して悪いものではないと思う。
なのに、同じ力を持っている者が他にはいないから、僕たちは普通の人間たちとは異質の化け物なんだ。
「氷河……僕たちは何者なの……」
「熱烈に恋し合う恋人同士だろう」
「氷河! 僕は真面目に――」
「二人で、答えを見付けよう。明日から」
僕が泣きそうな顔になったからかな。
氷河が身体の向きを変え、僕の上に身体を重ねてくる。

「大丈夫だよ」
優しくて心配性の氷河に、僕はそう言ったんだけど、氷河は その言葉の意味を勘違いしたらしく(もしかしたら、わざと勘違いした振りをしたのかもしれないけど)、
「そうか」
って嬉しそうに言うなり、僕の左脚を 右腕で抱えあげ、そのまま僕の中に押し入ってきた。
「ああ……っ!」
僕の肩を包む氷河の手の感触にどきどきして 疼いて――確かに僕は“大丈夫”な状態だったんだけど、でも、いきなりこんなこと。
その瞬間、僕は呼吸のタイミングを間違えて、息が止まりそうになった。
僕の心臓と肺が、突発事故に驚いたみたいに激しく不規則な活動を始める。
なのに、氷河は自分の楽しみに夢中。

「明日からは、スロー、ソフト、ロングを心掛けるようにする。今は無理だ。おまえがいくらでも欲しくて」
「あっ、あっ、あっ、ああ……っ!」
氷河は幾度も抜き差しを繰り返して、僕を揺さぶり続けた。
僕だって、氷河と こんなふうに つながっているのは好きだよ。
すごく気持ちいいし、やっとエサにありつけた大型犬みたいに嬉しそうに僕に のしかかってくる氷河は、とても可愛いと思う。
でも、僕は、嬉しくて気持ちよすぎて、変なことを口走ってしまいそうな僕が恐い。

「氷河……氷河……ああ……あっ……ああ!」
ああ、気持ちいい。痛い。気持ちいい。熱い。
氷河は、神に与えられた運命に唯々として従うことしかできなかったエデンの園の生き物に 愛と罪を教えて、彼等を“人間”にした蛇みたい。
大きくて ぬめぬめしてて、内側から僕を支配する。
ああ、気持ちいい。素敵。
僕はずっと こうして、氷河と一つのままでいたい。
心の底から、僕はそう思った。

でも、まさか本当に ずっと一つにつながったままでいられるわけはなくて――また二人の人間に戻ってから、
「僕、変なこと言わなかった?」
って、氷河に訊いたら、氷河は嬉しそうに笑うばかりで、僕が氷河の下で何を口走ったのか、どうしても教えてくれなかった。






【next】