「明日になったよ。約束を守って」 「わかった。スロー、ソフト、ロングだな。優しくする」 氷河との それは本当に気持ちいいんだけど、どこかで けじめをつけないと、僕たちは そればっかりしていることになりそう。 また僕の脚の間に指を忍び込ませようとする氷河を、僕は固く脚を閉じて断固として拒み通した。 「そうじゃなくて――まず、これまでのことを話して。氷河も突然、10年前、今と同じ姿で この世界に生まれたの?」 『生まれた』と言う言葉が適切なものなのかどうかは わからないけど、他にどんな言葉も思いつけなかったから、僕はその言葉を用いて氷河に尋ねた。 「ああ、そうだ」 氷河は それを中断することに あまり乗り気じゃなかったみたいだけど、でも、僕の意思を尊重することには やぶさかではないらしく、氷河は まもなく僕の探究心を満たす作業に協力的になってくれた。 氷河は、僕と同じように、10年前のある日、今の氷河と同じ姿をして日本のずいぶん北の方の都市に突然現われることになったらしい。 10年前のその時 既に、氷河は義務教育中の子供には見えなかったから、氷河には、僕にとっての“あの人”のような人はいなくて、一人で生きてきた。 ――と、氷河は言った。 「でも一人で生きてきたって言っても、住民票や住所がないと、働くこともできないでしょう」 「法的にはいくらでも抜け穴がある。むしろ その方が見入りのいい仕事が多いんだ。当時は、中古の日本車のロシアへの輸入が、密輸を含めて多かったし、俺はロシア語と日本語の両方を話せたから重宝されたな。正規ルートでも裏ルートでも」 「氷河のことだから、女性に世話してもらっていたのかと思った」 多分、80パーセントが焼きもちでできた邪推。 そんなことを言った僕を叱る権利が氷河にはあったと思うけど、氷河は軽率な焼きもちを口にした僕を責めることはしなかった。 「肩を抱いただけで、相手の肩の骨を砕いてしまうような男は、そういう職業には就けないんだ。地道に、危険・汚い・きついの3K労働にいそしんださ。そんなものも、俺には簡単・快適・高収入の3Kだったが」 氷河は笑って そう言ったけど、すべてを正直に打ち明けて頼ることのできる人も相談できる人もいない孤独な人間が一人で生きることは、つらく苦しいことだったに違いない。 氷河の これまでの10年間が、氷河が言うように楽なものだったはずがない。 「そう……大変だったんだね」 僕が小さな声で そう言うと、氷河は優しい目になって、僕の肩を抱いてくれた。 僕の肩の骨は、もちろん砕けたりなんかしなかった。 「それ以前――僕たちはどこにいたんだろう。僕たちが10年前、自然に生まれた者であるはずがないよね。何らかの人為的な操作によって、僕たちは突然 10年前、この世界に放り出されたんだ」 「人為的操作か。たとえば、俺たちには実はオリジナルの俺たちがいて、俺たちはそのクローンだったりするとか――。いや、俺たちは ある程度成長した姿で この世界に生まれたんだから、クローンというよりはレプリカントと言うべきか」 「レプリカント? でも、クローンでもレプリカントでも、歳をとらないはずはないよね。怪我をしても、すぐに治ってしまうというのも――」 その時、氷河の胸の上に置いていた僕の腕が、僕の注意を引いた。 正確には、腕ではなく、その腕に残る小さな鬱血の跡が。 「氷河……僕の腕、キスの跡が消えてない」 これまでは、痣ができるほど強く どこかに手足をぶつけても、その痣は2、3秒で消えていたのに。 腕力がなくなっても、治癒力回復力までは消えていないようだったのに。 「俺たちが出会って、俺たちの すべての力が弱まっているのは事実だと思う。昨日、おまえに振られたショックで、やけになって、俺は部屋のベランダから庭のプールに飛び込んだんだ。たった10数階の高さから、コンクリートでも鉄でもない、ただの水に。これまでなら怪我もしなかったのに、夕べは水に叩きつけられて、皮膚が裂けた。しかも、ふさがるのに一晩かかった」 「え……」 「俺は 今 最高に力が入らないと言ったろう。おそらく俺たちは――俺が おまえに、おまえが俺に、近付けば近付くほど、力が失われていくんだ」 それは――それは、もしかしたら、僕が氷河を愛すれば愛するほど、僕が氷河を弱くしてしまうということ? 僕が氷河を愛し続けていれば、氷河が僕を愛し続けてくれていれば、いつか僕たちは 普通の人間に戻れるかもしれないということ? 怪我をしたり、病気になることや、歳をとることもできる普通の人間に? 「氷河……! 氷河、僕たち、今なら死ねるんじゃないかな!」 「嬉しそうに言うな。おまえに会う以前は、俺も死を願っていたが、今は生きていたい。おまえと」 「あ……うん、それは、僕も……」 そうだね。 僕も、今は死にたくない。 今は生きていたい。 いつか死ぬことができるのなら、今は生きていたい。氷河と。 永遠でなくてもいい。 今は氷河と生きていたい。 そう願ってしまう自分を、僕はとても不思議だと思った。 超人的な力を持ち、老いることを知らず、自分は不死かもしれないと思っていた時、僕はもっと強くなりたいとも、いつまでも若いままでいたいとも、死にたくないとも思わなかった。 超人的な力をすべて失いつつあるのかもしれない今、昨日まで何も願っていなかった僕と 同じ僕が、氷河と生きていたいと願う。 自分が持っていないものを 人が望み願うのは、もちろん自然なことだろうけど、昨日までの僕と 今日の僕では、今日の僕の方が強いと、僕は感じる。 今日の僕の方が幸せだと、僕は感じる。 “実際に強大な力を持っていること”と“強くなりたいと願うこと”。 “実際に不死であること”と“生きていたいと願うこと”。 前者と後者のいったい どちらの方が強い力を持っているんだろう――。 そんなことを考えながら、氷河の体温の中で、僕は、その夜、生まれて初めてといっていいくらい深い眠りに落ちていった。 |