氷河の母の眠る東シベリア海の浜から内陸に向かって10キロ弱。
氷河の“掘っ立て小屋”のある場所からは8キロほど離れた場所にある小さな町。
その町で最も大きな建物が、仲間の宿泊先として星矢が選んだホテルだった。
町に一軒だけあるホテルは4階建て。
1階にはフロントとロビー、ティーラウンジとバーレストランがあり、2階より上が客室になっていた。

町の人口はせいぜい4、5千人程度だろう。
雪で白く覆われた町のメインストリートには小さな雑貨店や食料品店、衣料品店もあったが、それらの店は営業しているのかどうかさえ怪しいほどの沈黙をたたえている。
唯一、そのホテルだけが、この町で人の出入りを確認できる商業施設といっても過言ではないような町の佇まい。
本来はオーロラ見物の客をターゲットにしたホテルなのだろうが、出入りしているのは町の住人が ほとんどのようだった。
おそらく、この町で まともに稼働しているレストランやバーは このホテル内にあるものだけなのに違いない。
そのホテルは、町の住人たちの集会所 あるいは 溜まり場を兼ねた施設として利用されているようだった。

氷河たちが そのホテルに着いたのは夕方、午後4時過ぎ。
太陽は かろうじて まだ沈んでいなかったが、厚い灰色の雲の向こうにあるせいで、町の通りには既に薄闇のとばりがおりている。
フロントで確認すると、星矢は見事に このホテルで最も遠い二つの部屋――2階の東の端と4階の西端の部屋に予約を入れていた。
そうすることが可能なくらい、ホテルは宿泊客が少ないらしい。
にもかかわらず、1階のレストランやティーラウンジの席は半分近くが埋まっている。
このホテルはどう考えても、旅行者より町の住人を相手にして経営を成り立たせているホテルだった。

「星矢ってば、どうして こんなに離れた部屋をとったんだろ。一緒の部屋の方が便利なのに。一緒の部屋に変えてもらおうか」
今時新鮮なシリンダーキーのタグに印字されているルームナンバーを見て、瞬が溜め息をつく。
警戒心皆無の瞬の眼差しと口調に、警戒心を抱くことになったのは、むしろ氷河の方だった。
「いや、部屋は別々にしておこう」
「どうして?」
「星矢にそうすると約束したんだ。その約束を反故にするのは、星矢の信頼を裏切ることになる」
「それはそうかもしれないけど……」
瞬は、それでも、この不合理と不便に得心がいかないらしい。
瞬は そういう顔をした。

「今日はもう陽が落ちるから、出掛けるのは無理だな。いったん、部屋に行って、荷物を置いて――1時間後にここで落ち合うか。お茶でも飲みながら、明日以降の計画を立てていれば、夕食の時刻になるだろう」
「あ、うん」
人の言うことに逆らって波風を立てることを好まない瞬が、氷河の その提案に(一応)素直に頷く。
それでも瞬は、
「一緒の部屋なら、ルームサービスをとって、プランを練ることもできるのに……」
と呟くことを忘れなかった。

もちろん瞬は、どんな他意もなく、素朴かつ純粋に、星矢の厳命の不合理を訝っているのである。
無邪気といってもいい瞬のその様子を見て、星矢の懸念と判断は 実に先見の明のある妥当・的確なものだったと、氷河は胸中で思ったのだった。






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