さて。
我が国の歴史上 最もユニークな時代、いや、世界史の中でも最もユニークな その時代が、通称“くじ引き時代”と呼ばれていることは、諸君等も知っていることと思う。
くじ引きで ある人間の運命を変える。
その奇抜な制度が 我が国で いつ始まったのかは 定かではない。
国の最初の王を決める際に くじ引きという方法が採られたと記されたパピルスの断片が残されており、それを起源と考える学者がいる。
また、それは建国から百年も経った頃、国民の不満解消のために ある賢い大臣が採用を決めた制度だと記されているパピルスも見付かっている。
どちらも間違った考えではないだろうが、それらの資料の真贋が確実ではないため、歴史学者の間でも意見が割れているというのが、実際のところだ。

しかし、くじ引き制度が終わったのが いつなのかは、はっきりとわかっている。
そのきっかけになった事件の記録が多くの書物に残っているからだ。
それは、今から時代を遡ること、1000年ほど前。
ある春の日のことだった。

そもそも、我が国のくじ引き制度とは、今から1300年ほど前に始まり、300年の長きに渡って実施されていた、当時としては珍しく性差別身分差別のない、全国民参加のイベントだった。
当時、我が国では、3年に一度、全国民に 運命のくじを引く権利と義務が与えられていたんだ。
それが権利であり、義務であるのは、くじによって与えられるものが 幸運と不運の両方だったからだ。
幸運が手に入ることを期待して くじを引く者は、それを権利と感じるだろうし、不運を引き当てることを恐れる者は、それを義務と感じるだろう。
ともかく、そのくじは、全国民が参加するもの。
くじを引くことを辞退することはできなかった。

次に、我が国のくじ引きイベントが、具体的に どのように行なわれたかを、簡単に説明しよう。
まず、我が国で生活を営んでいる者全員に、それが国王であろうと 家を持たない浮浪者であろうと、死にかけた老人であろうと 生まれたばかりの赤ん坊であろうと全員に、それぞれユニークな番号が振り当てられる。
その直後、神殿の神官たちが作為の不可能な方法で番号を2つ選ぶ儀式に取りかかった。

作為の不可能な方法というのは、0から9の数字が書かれた10枚の紙をパンテオン神殿の泉に浮かべ、沈んだ数を選ぶというやり方だ。
最初に沈んだ紙の数字を1桁目の数字とする。
同じく、0から9の数字が書かれた紙を泉に浮かべ、2番目に沈んだ紙の数字を2桁目の数字とする。
同様にして、3桁目、4桁目、5桁目、6桁目、7桁目の数字を決定。
これで、『0000001』から『9999999』までの数字の中から、運命の数が選ばれるというわけだ。
当時の我が国の人口は数百万。
7桁の数字が人口より多くなった場合には、7桁目の数字だけを再度選択することになる。

この儀式を2回 行なって、2つの7桁の数字を選ぶのだ。
一つは是の数、一つは非の数。
是の数は幸運の数、非の数は不運の数――と言っていいだろう。とりあえず。
是の数に当たった者は、その年の春分の日の夜明けから翌日の夜明けまで丸一日の間、どんな行為を為しても罪に問われない権利を与えられる。
非の数に当たった者は、その年の春分の日の夜明けから翌日の夜明けまで丸一日の間、他者に どんな行為を為されても、その罪を問うことができない。
要するに、3年に1日、国内における、絶対的強者と絶対的弱者が選ばれたわけだ。

まもなく17世紀になろうという現代に生きる諸君等は、しかも 進歩的な考えを持つ諸君等は、それを非人道的なこと、理不尽なことと感じるかもしれない。
しかし、一概に そう言ってしまうことはできないと、私は思っている。
考えてもみたまえ。
王が王家に生まれたのは、ただの幸運だ。
そして、貧しい者が貧しい家に生まれたのは、ただの不運。
それは、天が行なったくじ引きのようなものだ。

天が行なった そのくじ引きによって、ある人間の一生が決まるとまでは言わないが、人生のスタート地点が決まってしまうのは事実だろう。
幸福というゴールまでの距離が長いスタート地点から 人生を始めなければならない者もいれば、ゴールのすぐ側から 自らの人生を始めることになる者もいる。
成功というゴールまでに、障害が多い道を歩むことを余儀なくされる者もいれば、ほとんど平坦な道を歩むだけの者もいるだろう。

これは大変な不公平だ。
しかし、それは神が決めたこと。
人間に逆らうことはできない。
違う両親のもとに生まれ直したいと神に願ったところで、神はその願いを聞き入れてはくれない。
一度、この世界に生まれてしまった人間は、自分に与えられた環境・境遇への不満を、神にぶつけることはできない。
そういう時、人間は誰に自らの不満をぶつけることになるか。
その対象は当然、自分より恵まれた境遇にある者ということになる。
たとえば、たまたま王家に生まれたために、才能や功績の有無に関わらず、何不自由ない暮らしをしている一国の王に。
共和制の中でしか生きたことのない諸君等には わかりにくいかもしれないが、王家や貴族等の特権階級というものは、民衆の心の中に、尊敬の念よりも 嫉妬や不公平感といった感情を より強く、より深く植えつけるものなのだ。
王が無能な場合は、それが憎悪になることもある。

そこで考え出されたのが、くじ引きという制度――というのが通説になっている。
考えたのは、無能な王に仕えて危機感を感じていた有能な家臣だろう。
その家臣の名は、どの記録にも残っていないのだがね。
その家臣の目的は、王家の者が享受している幸運を庶民に与えることで、王家に対する国民の不満を抑えることだった――という解釈が一般的だが、それが事実かどうかは わからない。
その件に関しては、いかなる記録も残っていないからね。

くじ引き制度の真の目的はわからない。
しかし、制度が開始されたことは、紛れもない事実だ。
人間の営む社会で、人間が、神のそれに似た くじ引きを行なう。
それが、長い人類の歴史の中でも非常にユニークな、我が国の くじ引き時代の始まりだ。

誰にでも、いつか最高に幸運な者になれる可能性がある。
その幸運に巡り会えば、自分は 自分の不遇だった人生を逆転させることができる。
そう思えることは、不運な人間にとっては大きな希望だ。
そして、希望があれば、人間は、多少の不幸や不遇に耐えることができるものだ。
くじ引きというシステムは、人生における不公平や日常生活における不平不満を 国民に溜め込ませないために、庶民に羨まれる立場にあった者が考案したシステム。
そう考えることには、私も、かなりの妥当性と信憑性を感じるね。






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