我が国の くじ引き制度は、なにしろ300年もの間 連綿と続けられた制度だ。 様々な逸話がある。 ある年、是の数を引き当てた者は、貧しい家の壮年の男だった。 彼が国中で最も幸運な人間になる日、彼は、古い荷車を犬に引かせて王宮に乗り込んでいった。 そして、その宝物殿にあった金貨を荷馬車に積んで我が家に運んだのだそうだ。 男は小さな荷車しか持っていなかったし、一日かけて家と王宮を3往復しかできなかったそうだがね。 なにしろ貧しい男。 そして、当時は、今とは物価が違っていた。 金貨が50枚あれば、一生遊んで暮らせる時代だった。 そんな時代に、彼は、荷車で3台分の金貨を手に入れた。 ちなみに、その時、王宮には、彼が彼の荷馬車で自宅と王宮を1000往復しても運びきれないほどの財宝がうなっていたとか。 ともかく彼は、たった一日で大金持ちになったのだ。 ところが、彼は、彼の是の数の力が無効になった翌日、大挙して彼の家に押し入ってきた強盗たちに、せっかく手に入れた金貨をすべてを奪われてしまったんだ。 『手に入れた金貨をすべて』というのは正確ではないだろう。 彼は、もともと自分のものだった銅貨や ささやかな家具もすべて奪われてしまったのだから。 押し入ってきた者たちの数は多く、強盗たちが どこの誰であったかの特定はできなかったから、男は裁判所に訴え出ることもできず、泣き寝入りするしかなかった。 また、ある年、非の数を引き当てたのは、ある富裕な家の奥方だった。 彼女は、日頃、相当 傲慢で冷酷な女性だったらしく、多くの人間の恨みを買っていたらしい。 運命の その日、彼女は何者かによって撲殺された。 彼女を殺した者は、家族だったかもしれないし、家の外の敵だったかもしれない。 いずれにしても、その殺人者は、自らが犯した罪を償う必要がなかったので、誰も殺人者を探して罰を与えることをしなかった。 ある年、是の数を引き当てた者は10代後半の、乱暴な振舞いの多い少年だった。 毎日 盗みや喧嘩を繰り返し、母親を泣かせてばかりいた少年だ。 母親を泣かせるような少年だ。彼は思慮分別にも欠けていた。 彼は王宮に乗り込んでいって、王を殺し、なんと自らが王座に就いてしまったんだ。 彼は 国王殺害の罪には問われなかったが、翌日、『邪魔だから』という理由で、弑逆された王の息子――つまり、王子に、実にあっさりと殺された。 弑逆された王は享楽好きで国民に愛されている王ではなかったから、少年に人徳があったなら、もしかしたら彼を庇う者も出ていたかもしれないが――彼は、言ってみれば どうしようもないチンピラだったので、その結末も致し方なしというところだったろう。 ある年、非の数を引き当てたのは、多くの人に憎まれていた業突く張りの商人だった。 彼は我が身を守るため、その日、家族にも内緒で山奥の洞窟に隠れていたのだが、その間に、彼がそれまでに蓄えたすべての富を民衆に奪われてしまった。 命は助かったのだから、それでよしとすべきだろうと、我々なら考えるところだが、まもなく彼は自ら命を絶ってしまった。 彼には、富あってこその人生だったのかもしれない。 ある年、是の数を引き当てたのは、20歳を過ぎたばかりの、少々自信過剰なところのある若い男だった。 彼は、その日、王宮に行って、王女を力づくで犯すという暴挙に出た。 『暴挙に出た』というより、『賭けに出た』と言う方が、より正確な表現かもしれない。 その時の王には、王位を継ぐべき王子がいなかった。 王女が 彼女の処女を奪った男を夫として受け入れれば、自分はやがてはこの国の王になれると、その男は踏んだのだろう。 が、残念ながら、彼は賭けに負け、翌日には城から追い出されてしまった。 一国の王女が、教養も品位も備えておらず、若さ以外にこれといって取りえのないの卑劣な男を喜んで夫に迎えるはずがない。 万一、王女がそれも運命と考え、彼を受け入れる気になったとしても、父王や周囲の者たちが彼を許さなかっただろう。 男は、王女の婚約者だった貴族の手の者に殺された。 ある年、非の数を引き当てた者は、生まれて半年も経っていない、貧しい夫婦の赤ん坊だった。 その赤ん坊は、人に奪われるような富もなく、誰かに憎まれてもいなかった。誰かに妬まれてもいなかった。 もちろん、赤ん坊は 誰からも何もされなかった。 非の数に当たってしまったというのに何も失わずに済んだ幸運な子として、その赤ん坊は、皆に愛されて育ったそうだ。 ――そんなことを繰り返し見聞きしているうちに、やがて民衆は悟ることになった。 つまり、是の数を引き当てることは、必ずしも幸運なこととは限らないということをね。 僅か1日で巨万の富や最高の権力を手に入れることができても、それは その日1日だけのもの。 むしろ、一度己が手にしたものを翌日には失う落胆や失望は、一度手にしたものが価値あるものであればあるほど大きい。 失望が絶望に変わり、他殺自殺を問わず、命を落とす者も多かった。 幸運は、必ずしも 人を幸福にするものしは限らないということを、民衆は学習した。 そして、彼等は幸運を幸福にするにはどうすればいいのかということを考えるようになったのだ。 個人の益だけを考えた行動をとると、その幸運を妬まれて手痛い しっぺ返しを食う。 だから、是の数を引き当てた場合には、そのことで他人に妬まれないように正義を行なう方がいい。 公益に適う行ないを行なう方がいい。 ――というようなことをね。 たとえば、国民に恨まれているような悪党で、だが身分で守られているような者を成敗する。 たとえば、巨万の富を手に入れ、それを人々に分配する。 そういう行為を行なって、春分の日以降も、人々に英雄として敬われるようになった者も多くいる。 英雄的行為を行なう気概もなく、我が身の安全を図りたいのであれば、そのための最善の方法は、諸君等も察しているだろうが、是の数に当たっても何もしないことだ。 そしてまた、民衆は学んだ。 非の数を引き当てた時のために、人は 普段から他人に憎まれないように注意深く振舞っていた方がいいということを。 とはいえ、人は自分でも気付かぬうちに、他人を傷付け苦しめてしまうことがある。 逆恨みを受けることもないとは限らない。 だが、多くの人々に善を施し、多くの人々の善き隣人でいれば、自分の人生で最悪の日に、自分を守ってくれる者も多く現われるだろう。 そういったことをね、民衆は学習したのだ。 他人の様々な運命を見聞きすることで。 それもまた、“歴史に学ぶ行為”と言えるかもしれない。 そうはいっても、人はなかなか無欲にはなれないものだし、簡単に聖人君子にはなることもできない。 一攫千金を夢見ることをやめることは難しく、是の数を引き当てた者の中には、富を手に入れ国外逃亡を図る者もいた。 大抵は、その日のうちに国境に辿り着くことができず、悲惨な運命を辿ったのだがね。 それまでの人生が不運で、貧しく、虐げられていた者ほど、『もしかしたら自分はやり遂げられるかもしれない』と強く夢想する傾向があったようだ。 夢想を実行に移し、だが、結局は失ってしまうのだが。 女性が非の数に当たってしまった場合は、老婆や幼児でない限り、犯されるのが常だった。 悪い者はどこにでもいる。 残念ながら我が国も、それは例外ではない。 誰からも恨まれ憎まれている悪党が、非の数に当たった時くらいのものだ。 非の数が人々に不幸をもたらすことがなかったのは。 しかし、そんなことは、まず滅多に起こらない。 人間というものは、大抵が良い点と悪い点を持ち、誰かに愛され、また、誰かに嫌われている存在で、誰からも恨まれ憎まれている人間というものは、なかなか いないものなのだよ。 国内には、くじ引き制度に夢を見る者がいる一方、批判的な者も多くいた。 だが、不満や批判を持っても、王制では、そういった意見を議会にぶつけることはできないのだ。 くじの制度の是非を、全国民に問うようなこともできない。 だから、我等の父祖たちは、期待と不安の中で、できる限り無欲であるよう、できる限り清廉潔白な人間であろうと努めることになった。 我が国の民が総じて我慢強く、賢明で自制的であるのは、この時代が生んだ美徳と考える文化人類学者もいるようだ。 ところで、皮肉なことだが――いや、至極当然のことだが、このくじ引きの制度の採用によって、最も注意深くなったのは王家だった。 是の数に当たった者の8割は、まず王宮に向かったからね。 なにしろ、そこには富と権力があったのだ。 そして、そこでは、王家に生まれるという幸運のくじを引いた者たちが、何不自由のない暮らしを享受している。 国の中で、最も多くの民に羨まれ妬まれ憎まれているのは王族、というわけだ。 国民の労働の成果を、“王族に生まれた幸運”という力によって搾取し、羨みや妬みの原因ともなるものに囲まれて、王族は暮らしている。 3年に1度 巡ってくる日の被害を最小限に抑えるためには、善政を布き、国民の不満を減らし、国民に愛される王でいることが肝要。 王が独裁を行なっていると国民に思われることは、最も危険なことだった。 そういう意味で、くじ引きの制度は、王家や富者への牽制にも役立ったと言えるかもしれない。 まさに、その“是非”を問われながら、我が国のくじ引き制度は300年続いた。 |