氷河の その孤独の日々が終わったのは、春の晴れた日の午後だった。 白や桃色の春の花で埋まっている城戸邸の庭の片隅。 一人の子供が、氷河の側に近付いてきた。 その子供に、氷河は実は 城戸邸に来て すぐに気付いていた。 皆に『瞬』と呼ばれている、まるで女の子のような面差しと印象の持ち主。 城戸邸に集められている子供たちの中には、その言動や容姿等の個性で 特に目立つ者たちがいたが、瞬はその中の一人だった。 その少女めいた姿もさることながら、いつも泣いていることで目立っている子供。 そして、瞬は、城戸邸にいる子供たちの中では、際立って色素が薄い子供だった。 髪の色も瞳の色も、黒というより茶色に近い。 だから、この女の子のような面差しをした子供は、毎日 仲間たちにいじめられ泣いているのだろうと、氷河は思っていた――同情していた。 そして、だからこそ、他の誰でもなく瞬が 自分の側にやってきてくれたのだろうと、氷河は思ったのである。 「あの……あのね、僕、瞬っていうの。僕の言うこと、わかるかな」 瞬は、おずおずと氷河に日本語で尋ねてきた。 母に教えられて、その言葉を知っていた氷河が、瞬に頷く。 「わかる」 氷河の素っ気ないほど短い答えを聞くと、途端に瞬は ぱっと その顔を輝かせた。 「わっ、よかった! 名前は? 何ていうの?」 「氷河」 「氷河……氷河だね!」 黒い髪と黒い瞳を持つ者が“普通の子供”“完璧な人間の子供”だというのなら、瞬はきっと普通の子供ではないのだと、氷河は思ったのである。 嬉しそうに異端児の名を繰り返す瞬の面差しは、人間の子供というより、暖かい春の陽射しを受けて輝く小さな薄桃色の花に似ていた。 その花が、微かに首をかしげながら、氷河に重ねて尋ねてくる。 「氷河は、あの……どうして、いつも一人でいるの? いつも僕たちを睨んでいるのはなぜ? 一人でいるのは詰まらなくない?」 「おまえらが、俺を気味悪がってるみたいだったから。近付かない方がいいんだと思った」 「え?」 それは、どこか何かがおかしい答えだったのだろうか。 氷河の返事を聞くと、瞬はきょとんとした顔になって、そして、不思議なものを見るような目で氷河の顔を見上げてきた。 花なら、人間の姿がどんなものであっても――“普通”と違っていても、異端・異質であっても――気にしないだろう。 そう考えて、氷河は、思い切って瞬に訊いてみたのである。 「俺はどこか変なのか?」 と。 人間の姿がどんなものであっても気にしないのだろう花から、人間の価値観や感性に沿った答えが得られるのだろうかと、少々不安を覚えながら。 小さな花のような瞬は、だが、花とは違って、手足と、感情を映す瞳と、自分の考えを言葉にする唇を持っていた。 その瞬の唇が、 「変? 変って……? そんなことないよ。みんなは きっと言葉が通じないだろうって思い込んで、ちょっと恐がって尻込みしてるだけだよ」 という答えを返してくる。 瞬の口調が あまりに自然で ためらいのないものだったので、氷河はかえって、それは本当に“みんな”の考えに一致していることなのかと疑うことになった。 「おまえは俺が恐くないのか」 「氷河は僕をぶったり叩いたりするの?」 「そんなことはしない」 「だったら、恐くなんかないよ」 「なら、なぜ、他の奴等は――」 「みんなは、氷河の金色の髪とか青い目とかが、あの……ちょっと珍しいから……」 薔薇色の唇が、言葉を淀ませる。 瞬は普通の人間ではなく、半分 花のようなものなのだから――完全に“普通の人間”とはいえないものなのだから――『珍しい』という比較的ソフトな表現をしている――あるいは、そう感じているのだと、氷河は思った。 半分花の瞬でさえ『珍しい』と感じるのなら、完全な人間にとって、やはり自分は 異質で異端なものなのだろうと。 半分花の瞬は明確に そう感じないだけで、普通の完全な人間の子供には、やはり自分の容姿は気味の悪いものなのだ――と。 そう考えれば、自分が母と共に 人目を避け隠れるように暮らしていたことにも説明がつく。 氷河は そう思わないわけにはいかなかったのである。 実際はそうではなかった。 城戸邸に集められた子供たちが 氷河の髪の色や瞳の色を『珍しい』と感じていたのは事実だったろうが、彼等は決して氷河を異端・異質な存在と感じていたわけではなく、まして、氷河を人間ではないものと認識していたわけでもなかった。 城戸邸にいる子供たちが恐れていたのは、本物の金髪の人間ではなく、髪を金色に染めるような人間に多く見られる乱暴な振舞いだった。 それもまた偏見といえば偏見だったろうが、子供たちが恐れていたのは、一般社会に迎合したくないという意思を表明するために髪の色を変えるような人間に多く見られる、他者への反抗心や攻撃性だったのである。 氷河が その事実を知り、理解したのは、彼が城戸邸に来て数ヶ月が経ってから。 そして、だが、数ヶ月という期間は、氷河が『自分は異端の存在なのだ』と思い込むには十分な時間だった。 そして、瞬が毎日 泣いているのは、瞬が異端と普通の中間に位置する容姿の持ち主であるという事実に原因があり、そのせいで瞬は仲間たちにいじめられ、瞬はそのことを悲しみ毎日泣いているのだと思い込んでしまうのにも十分な時間だったのである。 氷河は、自分が異端視されていることよりも、瞬が その仲間たちによって毎日泣かされていることの方を、より一層 理不尽なことだと思った。 瞬は優しい子だったから。 その言葉も、所作も、印象も、もちろん その考え方や心も。 瞬の姿も――普通の姿を持った者たちの目に、瞬がどういうものとして映っているのかは わからなかったが、氷河の目には、瞬は誰よりも可愛らしく綺麗な姿の持ち主に見えていた。 経緯事情はどうあれ、氷河の中に、自分の姿は普通ではないのだという意識が構築されたのは、その時期だった。 とはいえ、氷河は、決して自分を醜い人間だと思っていたわけではない。 そう思ってしまうことは、母を美しいと思っていた自らの心までを否定しなければならないことであり、優しく親切な瞬を醜いと思わなければならないということでもある。 自分自身に対する他人の評価も、事実がどうなのかということも、実は氷河にはどうでもいいことだった。 ただ氷河は、母や瞬を醜いものと思うことはできなかった――それだけは嫌だったのである。 |