姿の異質と、言葉が通じず意思の疎通ができないだろうという誤解のせいで ぎくしゃくしていた氷河と他の仲間たちの出会い。 だが、瞬が橋渡しになって 少しずつ、氷河は彼等と、いわゆる友人・仲間という関係を築いていくことになった。 そして、彼等と親しさを増していく中で、自分や瞬とは異なり、完全に黒髪の星矢や紫龍たちが自分を友人として受け入れてくれるのは、彼等が常識に囚われない柔軟さを持ち、意思の力で差別意識を捨て去ることができる者たちだからなのだという意識が、氷河の心中に深く根をおろしていったのである。 城戸邸に集められた子供たちのほとんどは、相変わらず、氷河を遠巻きにしていたから。 それは、彼等が“普通ではない”氷河の容姿に偏見を抱いていたからというより、むしろ、氷河の目付きの きつさに怯えていたせいだったのだが、氷河が その事実を知ったのは、かなり後になってからのことだった。 たった一人の保護者であった母親を失い、理由も知らされぬまま 見知らぬ場所に放り込まれてしまった氷河にしてみれば、周囲の人間や環境に過敏になり、不信感を抱き、緊張しないわけにはいかなかっただけのこと、そんな状況下で 優しく穏やかな目付きでいるのが困難だっただけのことなのだが、“子供”は そんな事情を斟酌してはくれない。 結果的に、城戸邸における氷河の友人は、いつも尋常でない緊迫感を漂わせている氷河の目付きに耐えることのできる ごく少数に限られることになった。 その少数の友人たちから得た情報によって、氷河はやがて、自分が城戸邸に連れてこられた理由を知ることになったのである。 この城戸邸の当主である城戸光政なる老人が、聖闘士というものになる可能性を有する子供を育成するために、彼の屋敷に多くの子供を引き取っていること。 他に係累のない――つまりは、子と引き離されることを嘆く親のない――健康な子供であるなら、それは誰でもよく、自分は たまたま親を亡くしたばかりの引き取り手のない子供として、彼の目にとまった――彼の情報網に引っかかった孤児の一人であったこと。 聖闘士というものは 常人とは桁違いの戦闘力を身につけた特殊な訓練兵の一種で、言ってみれば、古代ローマの剣闘士のように、戦いを義務づけられた奴隷のようなものであること。 瞬がいつも泣いているのは、仲間たちにいじめられているからではなく、争い事の嫌いな瞬には、聖闘士になれと強いられること自体が悲しく つらいことだからなのだということ。 瞬を泣かせているのは、望まぬ運命を瞬に強いている大人たちであるということ。 そして、聖闘士になるための本格的な修行を行なうために、城戸邸に集められた子供たちは、やがて世界各地に ばらばらに送り込まれることが決定済みであること――。 様々な情報が与えられ、事情が明らかになるたびに、氷河の感情は大きく揺れ動くことになったのである。 望んでもいない運命を強いられることへの憤り。 その運命に逆らう術を持たない 我が身の 遣る瀬なさ、無力感、あるいは嘆き。 瞬を悲しませている大人たちへの怒り。 ちゃんとした“普通”の子供であるにもかかわらず、親がいないというだけのことで理不尽を強いられている自分以外の“普通の子供たち”への同情。 そして、そういった様々の思いは、身勝手な大人たちが望む通りに聖闘士になって力を得、彼等より強くなることでしか消し去ることはできないのだと、最後に氷河は悟ったのである。 悟ったというより、そうとでも考えなければ、氷河は――氷河以外のすべての不運な子供たちも――絶望に囚われずに生きていくことができなかったというべきなのかもしれない。 毎日泣いてばかりいた 花のような瞬でさえ、兄や仲間たちと引き離され、たったひとりで修行地に送り出される時には、その決意に至っていたようだった。 「必ず 生きてもう一度会おうね」 別れの時、瞬は、その瞳を涙でいっぱいにして、兄と仲間たちにそう言った。 花でさえ涙する世界。 自分が普通の子供と違う姿をしているということよりも、瞬の涙にこそ、氷河は憤怒の思いを募らせたのである。 だが、今はまだ一人の非力な子供にすぎない氷河には、瞬の涙を止めてやることはできず、強いられた別れに抗うこともできなかったのだった。 そうして、氷河が送り込まれた白い大地。 そこで長ずるに従い、氷河は、自分は異端でも異質でもないこと、金髪碧眼の人間は決して珍しい存在ではなく、地域によっては、黒髪の人間よりも ありきたりなものだという事実を知ることになったのである。 だが、僅か1年という短い期間に圧倒的な印象と力をもって氷河の中に培われた そのコンプレックスは、“金髪碧眼の人間は決して珍しい存在ではない”という厳然たる事実を知っても、氷河の中から消えることはなかった。 自分の姿は異質なものでも特異なものでもないということが わかってからも――理性では理解できても――氷河は、“自分は違うものだ”という意識を、自分の内から取り除くことができなかったのである。 実際、城戸邸において、氷河の姿だけが他の子供たちと異なっていたのは紛れもない事実だった。 彼等とは違う色でできている異質な子供を、星矢たちが、『自分とは違う』という意識を乗り越えて、仲間として受け入れてくれたこともまた、確かな事実。 瞬だけは、瞬自身が他の子供たちとは少々異なる色合いの子供だったせいか、少なくとも容姿に関しては どんな戸惑いもなく、ごく自然に氷河を受け入れてくれたように感じられたが、星矢たちが自分たちとは異なる姿をした子供を仲間として受け入れるためには、一つの見えない壁を乗り越える必要があったろうと、“普通の子供”たちから離れた場所で、氷河は考えるようになっていた。 ごく自然に受け入れることより、意識して――壁を乗り越えて――異質な他者を仲間として受け入れることの方が、道徳的には価値ある行為なのかもしれないと思う。 『無邪気な子供は決して道徳的ではない』と断じたカントあたりなら、そう言うだろう。 『幸福な人間は道徳的にはなれない。不幸な人間が自身の損益を切り捨て、自身の感情を抑えて、痛みを感じながら他人に行なう親切だけが 道徳的価値のある親切なのだ』と言ったカントなら。 そうしてくれた星矢たちは得難い仲間だとは思う。 それは本当にそう思う。 だが、瞬は、この世の汚れを知らない無邪気な子供ではない。 守ってくれる親はなく、大人たちの理不尽に打ちのめされ、あるいは耐え、瞬自身だけでなく、同じ境遇にある兄や他の仲間たちの不運不幸も 見聞きし、知っている。 瞬は、幸運で幸福な大人たちより、よほど人生の辛酸を舐めてきた“子供”なのだ。 それでも優しさや素直さを失わない瞬は、決して無邪気な子供ではない。 そうではなく――瞬は、強い子供なのだ。 強いから、優しく清らかで、自分と異なるものを自然に受け入れることもできる。 そして、瞬は、氷河に出会い、目付きのきつい異邦人に初めて声をかけた時に強くなったのではなく、氷河に出会う前から、その胸の奥に強さを培い養っていたのだ。 瞬は、その強さゆえに優しすぎ、他人の痛みに傷付く。 幼い子供であるという事実と、瞬の持つ 年齢にふさわしくない強さ。 そのアンバランスが、瞬の瞳に涙を生むのだ――。 仲間たちから引き離され、一人 送り込まれた北の白い大地で、氷河は瞬を思いながら時を過ごした。 瞬と離れて過ごす時間が、氷河に、瞬の価値を考えさせ、瞬は特別な人間だという意識を育み、瞬に向かう氷河の心を強いものにしたのかもしれなかった。 瞬は強い。 瞬の心は強い。 だが、瞬は、その心の強さに比して、あまりにも気が弱く、体力的にも優れているとはいえない。 生きていてくれと、生きて もう一度、強すぎ優しすぎるせいで小さな花のように か弱くも見える 瞬の笑顔に会わせてくれと、一日の最後に祈り 眠りに就くのが、シベリアでの氷河の日課になっていた。 氷河の祈りは聞き届けられた。 氷河の願いを叶えてくれたのが神と呼ばれる存在ではなく、瞬自身の強さだったことはわかっていたのだが、6年分大人になった瞬に再会した時、氷河は我知らず天を仰ぎ、神に感謝してしまったのである。 幼い頃より 一層澄み 清らかさを増した瞳の輝き、いつまでも見詰めていたいと思わせる、優しく温かな その面差し。 まさか、『綺麗な大人に育ってくれてありがとう』と、瞬に感謝の言葉を捧げるわけにもいかなかったから。 |