「君は、聖域が なぜ聖域と呼ばれているのか、全く理解していないようだな。聖域は、女神アテナの おわします神聖な場所なのだぞ。こんな不祥事は未曾有のこと。前代未聞で、空前にして絶後のことだ」 「冥闘士108人全員の聖域への侵入を許してしまった方が、まだましだ。いや、聖域がハーデスの手に落ち、蹂躙されてしまった方が はるかにましだ」 「報告は聞いていたのだが、まさか これほどとは――。人々の生活音のない場所でのこと、実際より過大に報告されているのだとばかり思っていたのに――」 鉄壁の防御を誇る瞬を焦らし陥落させる行為が、まさか これほど楽しいことだったとは。 昨夜 二人で成し遂げた偉業(?)に満足しきって、その日、氷河は朝を寝過ごしてしまった。 早朝に敵襲があったとか、それこそ朝一でアテナの呼び出しがあったというのでもない限り、定められた起床時刻などというものは 聖域の聖闘士にはないのだが、その日 氷河が目覚めたのは、朝と呼ばれる時間が明確に終わってしまってからのことだった。 隣りに瞬の温もりがないことを不満に思い、瞬の姿を探して 立ち寄った教皇の間。 本来 教皇が座しているべき玉座に人の影はなかったが、代わりに玉座の前の広間には 黄金聖闘士が勢揃いしていた。 そして、彼等は、昨日より高圧的に、しかも一方的に、瞬を詰責していた。 「虫も殺さぬような顔をして、君は本当に とんでもない問題児だ。星矢など、足元にも及ばない。君に比べたら、星矢など 年中ぴーぴー騒いでいる可愛いヒヨコのようなものだ」 「アテナの御座所で この不祥事。このままでは、君等は聖域から追放されてしまうぞ。君はそれでいいのか」 瞬は、今日は『ごめんなさい』を言う気力もない様子で、ただただ項垂れていた。 防御の陣も張らず、黄金聖闘士たちの攻撃に我が身をさらしている。 黄金聖闘士たちが瞬の何を責めているのかは わからなかったのだが、『君等は聖域から追放されてしまう』と言うからには、それは瞬ひとりだけの問題ではないのだろう。 おそらく、それは、アンドロメダ座の聖闘士と白鳥座の聖闘士 二人に関わること。 二人の恋に関わることなのだろう。 だというのに、黄金聖闘士たちは白鳥座の聖闘士を無視して、瞬だけを責めている。 氷河にしてみれば、それは、決して反撃しないだろう大人しい者を生け贄に選んで 虐げ いびる“集団いじめ”と呼ばれる行為以外の何ものでもなかった。 アテナの聖闘士の中で最も高い位に位置し 最強を誇っている黄金聖闘士たちが、寄ってたかって弱い者いじめ(瞬が“弱い者”かどうかという問題はさておいて)を為しているという事実は、氷河には信じ難いことではあった。 だが、彼の目の前で繰り広げられている現実は、どれほど好意的に解釈しても、黄金聖闘士たちによる青銅聖闘士いじめ。 氷河には、そうとしか思えなかったのである。 「貴様等、いいかげんにしろっ! 瞬が大人しいのを いいことに、言いたい放題の やりたい放題。黄金聖闘士の名が泣くぞ! 聖域が俺たちの恋を認めないというのなら、俺は聖衣を聖域に返上してやる! 俺たちは好き合っているんだ。地上の平和も安寧も知ったことか! 瞬は俺の命だ! いや、命より大切なものだ! 瞬が平和が欲しいと言うから、俺は戦っているんだ。俺は、瞬を排斥するような聖域のために戦っているんじゃない!」 集団いじめの場に、怒髪天を突いて突然飛び込んできた氷河に、黄金聖闘士たちは(一応)(それなりに)驚いたようだった。 彼等は、さすがに 集団いじめの場を教師に見付かった中学生のように その場から逃げ出すようなことはしなかったが。 とはいえ彼等は、居直って、今度は氷河をいじめのターゲットに変更したわけでもない。 彼等は、教皇の間に乱入してきた白鳥座の聖闘士に、一瞬 ぎょっとしたような目を向け、それから、一斉に 氷河の剣幕に疲れたような溜め息を洩らした。 「腹が立つほど元気なガキだな。こいつは、自分が何をしたのか わかってるのか」 という誰かのぼやきと舌打ちが(誰のものなのかは わかっていたが)、黄金聖闘士たちの中から洩れ聞こえてくる。 が、それは 単なる雑音であって、黄金聖闘士の公式発言として認められるものではなかったらしく、彼の仲間たちに あっさりと黙殺された。 いじめられっ子を庇う正義の味方よろしく、瞬と黄金聖闘士たちの間に割り込んでいった氷河に対して、最初に公式に(?)言葉を発したのは某双子座の黄金聖闘士だった。 未だ善悪の狭間で迷っているわけではないのだろうが、氷河に向けられた彼の表情には、濃い苦悩の色がたたえられていた。――というより、それは抑え難い頭痛をこらえているような顔だった。 「それが わかっているから、我々とて、こうして この不祥事の解決策を模索しているのではないか。少し冷静になりたまえ」 「俺と瞬とのことを不祥事と言うのなら、貴様等の倫理観は中世ヨーロッパの暗黒時代の人間のそれだ。21世紀とまではいいわないが、せめてルネサンス期まで進歩発展した方がいい。貴様等の言う解決策が、俺と瞬を引き裂くための方策のことなら、そんなことは考えるだけ無駄だから、それぞれの宮に戻って昼寝をすることを勧める。『下手の考え、休むに似たり』というが、馬鹿者に馬鹿なことを考えられるより、寝ていてもらった方が、周囲に面倒が及ばない分 はるかにましだからな。愛だの希望だの正義だの平和だの、立派なお題目を掲げて、やっていることは 結局はただの集団いじめ。聖域なんてものは、さっさと解体してしまった方が よほど地上の平和と安寧のためになる。黄金聖闘士なんて、要するに、頭の固い時代錯誤の糞ジジイばかりじゃないか!」 「そっちこそ、言いたいことを言ってくれるじゃねーか。この糞ガキ、少しは自分の立場を わきまえろよ!」 さきほど議事録には残せない ぼやきをぼやいた某黄金聖闘士が、またしても公式発言とは認められそうにない恫喝を口にする。 彼の反応は、氷河の想定内のことだった。 ある意味、彼は非常に素直で、反応も直情的でストレート、実にわかりやすい。 だが、彼以外の黄金聖闘士たちは、彼とは大いに様相を異にしていた。 聖闘士最高位の黄金聖闘士たちが、最も下位に位置する青銅聖闘士に悪し様に ののしられたというのに、彼等は、氷河への制裁に動く兆候も、腹を立てた様子も、不快を覚えた気配すら見せなかった。 氷河の剣幕と怒声に、彼等はただ一様に疲労の色を濃くしただけだったのである。 異様な疲労感と、その疲労感がもたらす沈黙で満ちている教皇の間。 ややあってから、その沈黙を破ったのは、氷河の師である水瓶座の黄金聖闘士だった。 彼は、見るからに情けなさそうな面持ちをして、氷河ではなく、彼の弟子の背後に立つ瞬に 疲れきっているような声で告げたのである。 「アンドロメダ。君が氷河に事実を知らせまいとするのは、氷河に堅忍を強いたくないとか、その意気を殺ぎたくないとか、まあ、いろいろな考えがあってのことなのだろうとは思う。だが、これ以上 この教皇殿で起こっていることを氷河に隠し続けるのは、氷河のためにならないだろう。それどころか、君のためにも、聖域のためにもならない。私の不肖の弟子のために 君に手間と面倒をかけさせるのは本当に申し訳なく思うが、氷河に事実を話してやってくれないか。こういうことは、言ってみれば第三者にすぎない我々が知らせていいことではないと、私は思う」 いじめっ子の一人だったはずの水瓶座の黄金聖闘士が、妙にへりくだった様子で いじめられっ子の青銅聖闘士に 何やら頼み事をしている。 その丁寧で礼節に適った態度を見て、氷河は、黄金聖闘士の中にも古臭い階級制度に囚われることなく、青銅聖闘士の人権と尊厳を認め重んじることができる者もいるのだと、我が師(の師)カミュは 他の悪い仲間の勢いに流されかけていただけだったのだと、心を安んじたのだった。 ここは師の顔を立てて、“教皇殿で起こっていること”とやらを聞いてやるしかないだろう。 そう考えて、氷河は、これまで自分の背後に庇っていた瞬の方に向き直ったのである。 瞬は――瞬は、なぜか その頬を真っ赤に染めていた。 |