アルビオレ先生が俺のいる施設にやってくるのは、半年に1度くらいのことだった。
先生は、普段はアンドロメダ島という島で聖闘士の育成に務めていたんだ。
だから、アルビオレ先生・・
俺の夢は、いつかアンドロメダ島に渡って、アルビオレ先生の許で修行して聖闘士になること。
アンドロメダ島にはアンドロメダ座の聖衣があって、その聖衣を身に着ける資格を得たい者が何人も アルビオレ先生の許で修行してるって話だった。

いや、俺は、聖闘士になりたいなんて高望みはしてなかったな。
ただ、アルビオレ先生みたいに強くて優しい大人になりたかった。
それで、アルビオレ先生みたいに、施設の仲間の身を守れれば、それで十分。
そりゃあ、アルビオレ先生と同じ聖闘士になれたら最高だけど。
俺がそう言うと、アルビオレ先生は嬉しそうに笑って、頷いてくれた。
「誰かを守るために――自分以外の誰かのために強くなる。それは素晴らしい人生の目的だ。自分は たった一人しかいないが、自分以外の人間は無数にいる。だから、君の生きる目的は、何があっても決して失われることはない。素晴らしいよ、エルヴァン」

俺は、別に、俺以外の全人類を守ろうとか、そんな大層なことを考えてたわけじゃなく、同じ施設にいる俺と同じ境遇の子供たちを賊から守りたい――程度のことしか考えてなかったんだけど、先生に褒められると、俺は すごく誇らしい気持ちになった。
照れながら胸を張った俺を、アルビオレ先生が優しい目で見詰めてくれて、でも、先生の温かい目は すぐに曇ってしまった。
そして、低い声で呟く。
「あの子も君のように何か 確とした目的があればよかったのだが……」
「あの子?」
鸚鵡返しに尋ねた俺に、アルビオレ先生は縦にとも横にともなく首を振って、俺の背の高さを確認するみたいに、俺の頭を撫でてくれた。

「先日、私の島に、君よりもっと幼い子が送られてきたんだ。聖闘士になるための修行は、本当は ある程度 身体と彼我の意識ができてから始めた方がいいんだが。聖闘士は、心身の両方が調和をもって強くあらねばならないものだから、せめて16歳になってから――が望ましいのだが……」
「俺より小さい子が?」
その時、俺は11歳になっていただろうか。
そんな子がいるのなら、俺だって今すぐアンドロメダ島に行きたいと、俺はアルビオレ先生にねだったんだ。
でも、アルビオレ先生は 今度ははっきりと横に首を振った。

「瞬は特別なんだ。私の許に望んで来たわけではないし、本心では 聖闘士になりたいと思っているわけでもない。たった一人の実の兄と引き離されて 私の島に送られてきて、毎日泣いてばかりいる。早すぎる――幼すぎるんだ。あの子の精神は、親代わりだった兄に依存したままで、まだ一つの精神として独立しきれていないのに――」
「毎日 泣いて――?」
その話を聞いた時、俺は その子をかわいそうだと思ったんだ。
突然 親をなくして、見知らぬ子供しかいない施設に引き取られ、毎日泣いてばかりいる子供を、俺は何人も見てきてたから。
瞬という名の その子供に、俺は素直に同情した。
そう。
俺は、最初のうちは、会ったこともない“泣き虫の瞬”に好意すら抱いていたんだ。
でも、アルビオレ先生は、俺のいる施設に来るたび その子を褒めるようになって、瞬に対する俺の気持ちは 少しずつ変わっていった。

「瞬には才能がある。聖闘士になる才能というより、優れて強い人間になる才能だ。優しくて、争い事が嫌いで、仲間と戦うと必ず負けるのに、戦いの場以外では 信じられないほどの力を発揮する。瞬は強い。本当は強いんだ」
「負けるのに強いってどういうこと」
そんな“強い”があるものだろうか。
俺には よくわからなかった。
だって、強いっていうのは――人は、勝つから強いんだろう?
それ以外の強さなんて、俺は知らなかった。
首をかしげた俺に、アルビオレ先生は、瞬の強さがどんなものなのか教えてくれた。
多分、それを知ることが俺のためになると考えて。

「先日、大きな嵐があったろう。あの時、私の弟子の一人が、嵐を甘く見て波にさらわれるということがあったんだ。知らせを受けて、私は浜に急行したんだが、私がそこに着いた時には、瞬が既に沖に流されてかけていた仲間を浜に引き上げていた。他の子供たちは皆、仲間をさらった波の力に恐れをなして、波打ち際に近付くこともできずにいたのに」
「え……」
俺より年下の瞬は、浜に駆けつけたアルビオレ先生に、
『先生を待っていたら、間に合わないと思ったんです。危ないことをして すみませんでした』
って、自分のしたことを誇りもせずに謝ってきたんだそうだ。
先生が、
『嵐が恐くはなかったのか』
って訊いたら、
『風や波は、僕が何をしようと傷付いたり悲しんだりしないから』
と答えたとか。

「瞬より年上で身体の大きな子もいたのに――いや、私の島には瞬より年上の子しかいないのだが、瞬は人を傷付けるために自分の力を発揮することができない。だが、人を守り救うためになら、恐ろしいほどの力と勇気を自然に生む。瞬は強い。優しすぎ、弱すぎるが、確かに強いんだ」
「……」
アルビオレ先生が手放しで褒める瞬に、その時 俺は嫉妬した。
本当は俺が、アルビオレ先生に そんなふうに褒められたかったから。
俺がアルビオレ先生のいちばんの弟子になるんだって決めてたのに、その場所を瞬に奪われてしまうような気がして不安になったから。

俺は、少しでも早く大きくなって、アルビオレ先生の許に行きたかった。
一日一日、時間の過ぎるのが遅く感じられて、苛立ちが募った。
俺より年下で、島に来た頃には泣いてばかりいた泣き虫なんかより、俺の方がずっとアルビオレ先生が誇りに思うような弟子になれるはずだって、俺は根拠もなく思い込んでいたんだ。
だから、あと半年で16になれるっていう頃に、施設にやってきたアルビオレ先生に、
「先日、瞬がアンドロメダの聖衣を持って日本に帰国した。瞬なら、十分やっていけるだろうが、寂しくなるな……」
って言われた時には、俺はものすごいショックを受けて、そして落胆した。

俺は16歳になったらアンドロメダ島に渡り、アルビオレ先生の許で修行して、そして アンドロメダ座の聖衣を俺のものにするって決めていたんだ。
それがアルビオレ先生に認められ、アルビオレ先生が誇りに思うような弟子になることだって思ってた。
なのに、アンドロメダ座の聖衣を他の奴に――泣き虫の瞬なんかに奪われてしまったなんて。
瞬がアンドロメダ島に送られてきた時、無理を言って俺もアルビオレ先生に弟子入りさせてもらってたら こんなことにはならなかったかもしれないと思うと、俺は あの時 我儘になれなかった俺自身に滅茶苦茶 腹が立った。

「じゃあ、俺はもうアンドロメダ島には行けないのか?」
それが、俺の不安。
俺は多分、半分自失してアルビオレ先生に尋ねたと思う。
もう俺の夢は失われてしまったんだと思い込んで。
でも、アルビオレ先生は首を横に振った。
「そんなことはないよ。修行を積んで、聖闘士になれるだけの力が備わったら、聖域に行って、アテナから ふさわしい聖衣を授けられることもある。聖衣を手に入れるには、その実力もさることながら、巡り会わせも重要だから、必ずとは言えないが」
「そ……そうなんだ!」

先生の言葉を聞いて、俺は一気に元気を取り戻した。
俺の望みは聖闘士になることじゃなく、アルビオレ先生の弟子になって、先生の許で修行することだったから。
アルビオレ先生の弟子になれるのなら、邪魔者の瞬がアンドロメダ島にいないのは かえって好都合かもしれない。
失望のあとにやってきた希望。
その日、俺は笑顔でアルビオレ先生と別れたんだ。
「次に来た時には、俺をアンドロメダ島に連れていってくださいね! 俺、頑張るから!」
って、アルビオレ先生と約束して。

でも、その日はこなかった。
その日がくる前に、アルビオレ先生は亡くなり、アンドロメダ島は この地上から消滅してしまったんだ。
なぜそんなことになったのか、島から 命からがら逃げてきた先生の弟子の一人が教えてくれた。
アンドロメダ座の聖闘士が聖域を裏切ったせいで、聖域の教皇の指示を受けた刺客がアンドロメダ島に送られてきたんだって。
それも、黄金聖闘士が二人も。
アルビオレ先生は、島にいた弟子たちを庇って戦い、壮絶な最期を遂げたんだそうだ。

そんなことがあるだろうか。
そんなことがあっていいんだろうか。
あの優しくて強かったアルビオレ先生が――。
どうして そんなことがあり得るんだ?
アルビオレ先生が いったい何をした?
問いかけても答えの返ってこない問いかけを 自分の中で繰り返し、俺は泣き叫んだ。
泣いて、ものに当り散らして、運命に毒づいて、また泣いて――その繰り返し。

アルビオレ先生の死を知った時、多分 俺は一度死んだんだ。
俺は生きる目的を失った。
生きるための希望を失った。
俺は、アルビオレ先生みたいになりたくて、アルビオレ先生に褒めてもらいたくて、『おまえこそが、私の最高の弟子だ』と言ってもらいたくて、それだけを心の支えに、どんなに貧しい中でも、どんな不幸にも不運にも不公平にも理不尽にも耐えていたんだ。
なのに アルビオレ先生がいなくなってしまったら、俺は この先 いったい何を支えに生きていけばいいんだ?
アルビオレ先生は、俺の理想、俺の夢、俺の希望のすべてだったのに、そのアルビオレ先生が もう この世界に生きていないなんて……!

アンドロメダ座の聖闘士が、アルビオレ先生を殺したんだと、俺は自然に思った。
俺の憎しみは、アルビオレ先生に直接 手を下した奴等には向かなかった。
アンドロメダ座の聖闘士が聖域に逆らったりさえしなければ、聖域の教皇だって、あの強くて優しくて誠実だったアルビオレ先生を排除しようなんて考えなかったはず。
何もかもアンドロメダ座の聖闘士が――瞬が悪いんだと、俺は決めつけた。
そして、必ず 瞬を俺の手で倒し、アルビオレ先生の仇を討つんだと決意した。
そうでなければ、アルビオレ先生が気の毒すぎる――悲しすぎるじゃないか。

そうして、その時から――俺の命を支えるものは、アンドロメダ座の聖闘士への憎しみに変わったんだ。
仇討ちを決意しても、俺にできることは何一つなかったけど。
俺はアンドロメダ座の聖闘士がどこにいるのかさえ知らなかったから。
でも、それからまもなくして、島の生き残りの一人が、聖域にアテナが降臨したっていう情報を 俺のところに届けてくれたんだ。
聖域は変わったって。
アルビオレ先生を倒した教皇率いる旧勢力が一掃され、正統なアテナが聖域の統治を開始したと。
そして、降臨したアテナにアンドロメダ座の聖闘士が従ってるって。

瞬が聖域にいる!
その話を聞いていても立ってもいられなくなり、俺は故郷をあとにした。
アッサブから紅海を北上する貨物船に荷物運びとして潜り込み、スエズ運河を通って地中海に出、そこから観光船の掃除係に雇ってもらってギリシャに渡り――俺は聖域に入った。






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