聖域に入ったといっても、本当に『入った』だけだ。
俺は聖闘士になるための修行を積んでいたわけでもないし、聖域に知り合いがいるわけでもない。
常時内乱状態のエチオピアを生き抜いてきた度胸と勘で、雑兵 兼 労務者として聖域に雇ってもらえたというだけのことだ。
当然 アンドロメダ座の聖闘士に会えるわけもなく、ウエイトトレーニングという名目の石運びや水運びをしながら、聖域の一角に身を置いているだけ。
アンドロメダ座の聖闘士は 普段は日本にいて、時々 聖域にやってきてるみたいだったけど、『アルビオレ先生の仇討ちを!』と意気込んで聖域くんだりまでやってきたのに、いざ聖域に入ってみると、俺はアンドロメダ座の聖闘士に会うのが恐くなったんだ。
何ていうか、その顔を見てみたいっていう気持ちと、会いたくないって気持ちが せめぎ合って、結局 怖気おじける気持ちが勝ってしまう――みたいな。
アテナに従って聖域に入った青銅聖闘士たちは、最強の戦士である黄金聖闘士たちをも倒してしまったって話を聞いたせいもあったかもしれない。

一度 石切り場で落石事故が起こって、作業員がその下敷きになりかけたことがあったんだけど、その時、目にもとまらぬ速さで現場にやってきた女聖闘士が 10トンはあろうかという巨石を片手で受けとめてみせた。
頭上10センチのところにある巨石に驚き 足がすくんで動けずにいる作業員たちの身体を安全圏まで引きずって移動させながら、こんなことができる白銀聖闘士より はるかに強い黄金聖闘士を倒した青銅聖闘士たちっていうのは どんなに強いんだろうと、俺は恐くなった――というより、不気味に感じるようになったんだ。
俺が倒そうとしている、俺より年下の泣き虫の瞬。
その力がどれほどのものなのか、想像することもできなくて。

長い空位期間のあと、ついに降臨したアテナのもとで再建を果たそうとしている聖域は 活気にあふれていた。
聖域を覆っていた暗雲が綺麗に消え去って、それまでは項垂れているばかりだった花々が、明るい陽光を受け、青空の下で一斉に花を咲かせようとしてるみたいに。
アルビオレ先生はもういないのに、生き残った奴等は そんな人がいたことを忘れ、新しい時代、新しい聖域を作ろうとしているんだ。
それは いいことで、正しいことなんだろう。
死んだ人が生き返ることがないように、生きている人間は自分の命を生き続けなきゃならないんだから。
でも、俺は、明るく活気にあふれた聖域が悲しかった。

アンドロメダ座の聖闘士と共にアテナ降臨に尽力したペガサス――天馬座の聖闘士が 俺のところにやってきたのは、死んでしまった者と生き続けている者たちの間で、生きるも死ぬもならず、俺がふらふらしていた時。
ペカサスは俺より1つ2つ年下らしいけど、目が見事にまん丸いせいか、俺より3、4歳は年下に見える、子供みたいな聖闘士だった。
「頭の上に重さ10トンの大石があるのに、腰を抜かしてる阿呆共を 平気なツラして助けてやってた奴がいるって、魔鈴さんが呆れててさぁ。見どころがあるから、目をかけてやれって言われて来たんだ。あんたが、気鬱顔のエルヴァン?」
アテナのお気に入りって聞いてたけど、天馬座の聖闘士――星矢――は全然驕ったところのない奴だった。
そして、真夏の太陽みたいな笑顔を俺に向けてきた。

星矢が瞬の仲間だってことは知ってたから、俺は、星矢に最初に声をかけられた時には ものすごく緊張して身構えてたんだ。
でも、何ていうか、星矢は人をリラックスさせる天才で、俺の緊張になんか気付いてもいないみたいに ずけずけとものを言って、大きな声をあげて笑って――俺は、つい 星矢のペースに巻き込まれてしまった。
なんたって、見た目は年下の腕白坊主だしな。
星矢の前で緊張を保つとか、瞬との連帯責任で星矢まで憎むとか、そんなことは不可能だった。
それに――確かに 見た目は年下の腕白坊主だけど、星矢は強かったから。
普段は小柄な身体の中に圧縮され抑え込まれているような星矢の小宇宙が、ふとした弾みに外に洩れ出ることがあって、それは信じられないほど強大なものだった。
どうしたら そんな強大な小宇宙を養えるんだって俺が訊いたら、星矢は、
「敵と戦って、何度も こてんぱんにやられてるうちに 自然に身についたんだよ」
と答えてきた。
もう駄目かもしれないと思うほど 徹底的に打ちのめされ倒され、そのたび必死の思いで立ち上がることを繰り返していたら、いつのまにか身についていたと。

俺より年下の歴戦の勇士。
「でも、俺の戦い方って、ちっとも かっこよくないんだぜ」
明るく素直な目で、自分の強さに少しも驕らず屈託なく そう言ってのける星矢の小宇宙の強大。
俺は、星矢に、親しみと共に尊敬の念を抱くようになっていった。
相手が年下の子供だろうと何だろうと、星矢は尊敬するに値する小宇宙と力を持った聖闘士だったから。

星矢が俺に目をかけて・・・・・くれるようになって しばらく経った頃、歴戦の勇士と平気で ため口をきくようになっていた俺は、思い切って星矢に訊いてみたんだ。
「アンドロメダ座の聖闘士を知ってるか?」
と。
「瞬? 知ってるも何も、瞬は俺の幼馴染みだし、アテナを聖域に迎え入れさせるために一緒に戦った仲間だし――うん、大切な仲間だよ」
星矢は俺に そう言って、それから まじまじと俺の顔を見て、最後に くしゃりと その顔を歪ませた。

「なんだよ。おまえも瞬に いかれてる口なのか? 言っとくけど、瞬はあれでも れっきとした男だから、馬鹿な熱はあげるなよ。途轍もなく強力なライバルもいるし、常識的一般的な男は まず奴には太刀打ちできないから。悪いことは言わねーから、惚れるのなら もっと普通の大人しめの女の子にしとけ。瞬は駄目」
いったい星矢は何を言ってるんだ?
俺が瞬にいかれてる?
アルビオレ先生を殺した残酷な恩知らずの瞬に?
たとえ冗談でも、他愛のない誤解でも、それは俺には 笑って聞き流せる冗談や誤解じゃなかった。

「な……何を言ってるんだ! そんなんじゃない! そんなわけないだろう!」
俺は多分 ものすごい形相で星矢を怒鳴りつけ――星矢は、そんな俺にひどく驚いたようだった。
あのまん丸い目を更に丸くして、眉を吊り上げている俺を見詰めてくる。
「そんなに向きにならなくても――。瞬のあの顔に騙されて、ろくでもないこと考えてる奴は腐るほどいるし、別に そんなに頑張って隠さなくても、そーゆーの普通だぜ、普通」
「違うと言ってるだろ! 冗談じゃない。なんで俺が瞬のことなんか――アンドロメダの聖闘士のことなんか――」
「なら、なんで、瞬のこと、そんなに気にするんだよ」
「それは――」
アルビオレ先生の仇だから――なんて、まさか本当のことを言えるはずがない。
口ごもって――俺は結局、星矢に何も答えられなかった。
星矢が そんな俺を見て溜め息をついたのは、俺が本気で瞬に“いかれてる”と思ったからだったのか、ただの冗談に真顔で食ってかかる俺に呆れたせいだったのか。
ともかく、星矢は、俺の前で盛大な溜め息をついた。

「ま、おまえにも いろいろ事情があるんだろうし、言いにくいことなら言わなくてもいいけどさ。でも、無駄だぞ。いくら可愛くても、瞬は駄目」
「可愛い? 『可愛い』じゃなく、『強い』だろ」
「そりゃ、アテナを守って、何度も死線をかいくぐって生き延びてきたわけだから、強いことは強いけど――。でも、やっぱり瞬は、『強い』より『可愛い』だな。で、『可愛い』より『優しい』。いや、強いから優しいのか。あの優しそうな顔からは想像もできないほどの力を持ってて、でも、誰かを守るためじゃなきゃ なかなか その力を発揮できないんだ。瞬らしいっていえば、確かに そこが瞬らしいとこなんだけど、優しいのも結構 困りもんでさぁ……」

優しいのも困りものと言いながら、星矢が瞬のその優しさを得難い美質と思っていることは明白。
瞬を褒める言葉なんて聞きたくなかったから、俺は ぷいと横を向いた。
そんな俺を見て、星矢が楽しそうに笑う。
「前から思ってたけど、おまえって、気鬱性なんかじゃなく、ものすごく直情径行の ひねくれもんだよな。まっすぐなのか曲がってるのか わかんないっていうか、その両方っていうか――。うん、意外と面白いかもな。瞬が目当てなら紹介してやるぞ」
「いらんっ!」
「なに、おまえ、照れてんの?」
「違う!」

だから、どうしてそんな誤解ができるんだ。
瞬は れっきとした男だと言ったのは星矢自身なのに。
そして、瞬はアルビオレ先生の仇、憎むべき仇なのに。
「ほんと、素直じゃねーなー。気が向いたら、いつでも言えよ。このペガサス星矢様が、喜んで おまえと瞬のお見合いの場をセッティングしてやるから」
何がお見合いの場だ。
星矢の、どう見ても、俺の取り乱しようを面白がっている笑顔を見て、俺は腹が立ってきた。
そして――俺は、屈託のない この歴戦の勇士を尊敬してもいたから、星矢の戯れ言が――何ていうか、切なくも感じられた。

アルビオレ先生だけでなく、星矢まで。
俺が尊敬し、できれば 俺も彼等に尊敬される人間になりたいと思う人たちはみんな、瞬を好きで、瞬を認め、瞬を褒める。
どうして そうなのかと、俺は、まだ見ぬアンドロメダ座の聖闘士への憎しみを新たにした。






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