おばちゃんは天使の正体を俺に教えてくれなさそうだったけど、その正体はすぐにわかるだろうと、俺は たかをくくっていたんだ。
パン焼き小屋の場所を知ってるくらいなんだから、天使は この聖域で暮らしてるんだろうし、あれほどの美少女は いやでも目立つ。
一度見たら、誰だって忘れないだろう。
おばちゃんも天使が誰なのかは知ってるみたいだったから、彼女は特に姿を隠しているわけでもないんだろう。
そこいらへんを歩いてる奴を掴まえて、『天使がどこにいるか知らないか』と尋ねたら、答えてくれる奴はいくらでもいるだろうと、俺は信じていた。
実際には、事は そう簡単には運ばなかったけど。
「天使って、おまえ、ねぼけてんのか?」
「そんな美少女がいたら、男たちが放っておくわけないだろう。ここには、上から下まで、男勝りの強い女しかいねーよ」
聖域の奴等の答えは おおむね そんなもので、誰もあの天使のことを知らなかった。

見付からない天使。
アテナ神殿の奥深くに 人前に姿を現わすことを禁じられている特別な巫女でもいるんだろうかと、俺はそんなことまで考えた。
そんな人間が、あんな格好で聖域を歩きまわっているはずはないんだけど。
すぐに見付かるだろうと踏んでいただけに、彼女の正体を掴めないまま半日もの時間が過ぎていくと、俺はひどく焦り始めた。
もし彼女に二度と会えなかったらと思うと、いても立ってもいられなくなる。
いったい何が俺をこんなにも駆り立てるのか、それは俺自身にもわからなかった。
こんなふうに俺の心が ただ一人の人に向かうのは アルビオレ先生が生きていた頃以来で――そう思って気付いた。

彼女は、アルビオレ先生に似ている。
姿は――姿は、あの高慢ちきなキグナスの方が はるかに似てるんだが、俺を見詰める瞳の温かさが。
天使の瞳の中の、際限がないように感じられる優しさ、その優しさを作っているもの。
それが アルビオレ先生がたたえていた優しい感じに瓜二つだった。
アルビオレ先生は大人の男性で、貧しい中 苦労して聖闘士になった人だ。
いつも 地上に存在する すべての恵まれない子供たちの幸福を願っているような人だった。
そんなアルビオレ先生に比べたら ずっと若くて、まだ子供と言っても通りそうな歳頃の彼女が、アルビオレ先生と同じことを考え願っているはずはないけど、でも、彼女の目はアルビオレ先生の目にそっくりで――。

彼女は 確かに似ていたんだ。
俺の人生の道しるべ。
俺に夢と希望を教え 与えてくれた、優しく強かった あの人に。
あの天使の眼差しは、アルビオレ先生のそれに酷似していた。
まるで、アルビオレ先生が、空しい心を抱えて ふらついてる俺を心配して、あの天使の姿を借りて地上におりてきてくれたんじゃないかと思うくらい。
だから――彼女に もう一度会いたいという俺の願いは、日を追うごとに強く大きく激しくなっていった。


俺が アルビオレ先生に似た天使に会って数日が経った頃、星矢が闘技場に隣接されてる特訓場に来た。
星矢は 天使のことを思って ぼうっとしている俺のやる気のなさに気付き、そんな俺を責めてくるかと思ったんだが、星矢は俺を責めるどころか、逆に俺に謝ってきた。
「氷河の奴が――キグナスが、おまえにヤキ入れに来たんだって? 悪かったな。あいつは瞬絡みのこととなると冷静でいられなくなる奴でさ。なんか、おまえが瞬の顔も見たことがないって知って、上機嫌で戻ってきたから、喧嘩とかにはならなかったみたいだけど」
瞬?
キグナス?
ああ、そういえば、そんな奴等もいたな。
でも、それが何だっていうんだ。

「星矢。髪の毛は薄茶色で、俺より2、3歳 年下の女の子を知らないか?」
あれほど こだわっていた瞬を、“そんな奴もいた”程度にしか思えなくなっている自分に驚きもしないで、俺は星矢に尋ねた。
星矢が“女の子”なんてものに興味を持っているとは思えなかったが、一人の人間としても 彼女は特別な存在に違いないから、会ったことさえあるなら、星矢でも気にとめないわけにはいかないだろうと思ったから。
星矢の答えは、予想通り、実に期待薄の代物だったが。

「なんだよ、やぶからぼうに。女の子? それだけで、わかるかよ」
「すごく綺麗で、優しくて、天使みたいな目をした女の子なんだ。あんなに澄んだ目、俺は生まれて初めて見た」
「綺麗で優しくて澄んだ目?」
星矢が、急に ぎょっとした顔になって俺を見る。
多分――“女の子”なんてものに興味のない星矢にも わかったんだろう。
俺が――ああ、もう認めるしかない。俺があの天使に恋をしていることを。

「んな女の子、知らねーなー」
真面目に 過酷な修行に耐えているはずの俺が、“綺麗な女の子”なんかに うつつをぬかしていること。
それは星矢には愉快なことじゃなかったんだろう。
そんな女の子は知らない。
そう言い残して、星矢は そそくさと特訓場を出ていってしまった。






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