本当は――瞬が悪いんじゃないってことを、俺は知っていた。最初から。
アルビオレ先生も、アテナ降臨以前の聖域に疑問を持っていた。
だから 聖域からの呼び出しには もう何年も応じていないと、先生は言っていた。
そして、今の聖域――アテナ降臨後の聖域の明るさ、自由、のびやかさ。
今の聖域は以前の聖域とは違うと、誰もが皆、口を揃えて言う。
今の聖域は、アルビオレ先生を殺した以前の聖域とは違うんだ。
その聖域を作ったのは女神アテナと、彼女に従って 黄金聖闘士たちと戦った瞬や星矢たちだ。
アルビオレ先生の仇討ちというのなら、瞬こそが それを成し遂げたんだ。
俺がしようとしていたのは、単なる逆恨みの実践。
俺は、アルビオレ先生に愛され期待されていた瞬に嫉妬していただけ。
本当は わかっていたんだ、俺だって。
でも、その事実を受け入れてしまったら、俺はアルビオレ先生のために何もできないことになるじゃないか。
何もできなかったことになるじゃないか。
俺に希望を与えてくれた あの人に、俺は『ありがとう』の一言さえ言えなかった――。


アテナ神殿の前というか、教皇殿の後ろというか、2つの聖殿をつなぐ石の通路上の即席の審問場。
そこで、俺の天使は――瞬は――俺の恨み言 泣き言を黙って聞いていた。
キグナスや星矢や、それから龍座の聖闘士が、瞬と 瞬を襲撃して返り討ちに合った哀れな雑兵を 複雑そうな顔をして見詰めている。
俺の話を聞き終えると、瞬は俺に、
「ごめんなさい」
と言った。
だが、いったい瞬は俺に謝らなければならないような何をした?
アルビオレ先生の命を奪ったのは、以前の聖域で 瞬じゃない。
俺から生きる目的と希望を奪ったのも瞬じゃない。
瞬はただ――俺が愛されたかった人に、俺より愛されただけ。
そんなことで瞬に謝られてしまったら、俺が 一層みじめになるだけだ。

『俺に謝ったりするな』と、俺は瞬に目で訴えてしまったのかもしれない。
「彼と二人きりにしてくれる?」
と、瞬が仲間たちに求め、
「いやだ」
と、キグナスが答える。
『いやだ』と言うキグナスを動かすことは不可能だということを知っているらしい星矢が、
「俺たちもここにいていいか」
と、瞬ではなく俺に訊いてきた。
瞬が俺と二人きりになりたいと言ったのは、俺の立場をおもんぱかってのことだったんだろう。
他人の目や耳を気にしなくていいところで、俺に言いたいことを言わせるため。
俺が無言で星矢に頷くと、瞬は瞬の仲間たちを遠ざけることを断念したようだった。

「あなたは 先生の仇をとるために聖域にきたの?」
「他に何をすればいいのか わからなかった。先生がいなくなって、俺は 生きる目的をなくした」
「僕は あなたから 生きる目的を奪っておきながら、自分だけ のうのうと、自分の夢を叶えるために自分の人生を生きていたというわけなの……」
瞬は、自分が俺に非道なことをしたように言うが、そうすることの他に瞬に何ができたというんだ。
瞬は、俺の存在自体を知らなかったのに。
それに、俺は多分、瞬が想像しているほど悲惨で哀れな人間だったわけじゃない。
実際、俺は、あの綺麗で優しい天使に会ってから、瞬のことを忘れていた。
俺は、澄んだ瞳の天使のことばかり考えていた。

俺はわかっていたんだ。
アテナのため、聖域のため、地上の平和のため、何よりアルビオレ先生のために、俺はアルビオレ先生の仇を討っちゃいけないんだと。
それは許されないこと、してはならないことなんだと。
わかっていたから、俺の心は、アルビオレ先生の仇討ちを忘れていることに罪悪感を感じることもなく、別の何かを――あの天使を――求めていた。

「そうすることで あなたが あなたの生きる目的を取り戻すことができるのなら、僕はあなたに倒されてあげたいけど、あなたはきっと――」
俺はきっと、瞬を倒しても、俺の生きる目的を取り戻すことはできない。
そんなことをしても、俺が得るものは後悔だけだ。
後悔と、今以上の空しさだけ。
「もういい……もういいんだ。俺はどうしたって、もう……」
俺はもうどうしたって、俺の生きる目的を取り戻すことはできない。
アルビオレ先生に教えを受け、アルビオレ先生が自慢に思えるような弟子になり、アルビオレ先生に褒めてもらうっていう俺の夢は、もう永遠に叶わない夢になってしまったんだ。
「もう、アルビオレ先生は帰ってこないから……」
認めたくない事実を言葉にした途端、俺の目からは涙が零れ落ちた。

ああ、そうだ。
俺の夢は もう永遠に叶わない。
俺はただ、アルビオレ先生に―― 一点の曇りもなく明るい笑顔を浮かべたアルビオレ先生に、『君は私の自慢の弟子だ』と褒めてもらいたかっただけなのに。
なのに、先生は もうどこにもいないんだ。

俺はきっと、これから前向きに・・・・ 自分の夢を諦めるための努力をしなきゃならないんだろう。
それ以外に、俺にできることはないんだ。
俺が そう思った時だった。
俺はアルビオレ先生に抱きしめられていた。
そんな幸せな錯覚に囚われた。
錯覚だってことには、すぐに気付いたんだが。

俺を抱きしめてくれた腕は細くて、俺を抱きしめてくれた人の胸は俺の胸より低いところにあった。
傍から見たら、それは、瞬が俺にしがみついてるようにしか見えなかっただろう。
俺が瞬の抱擁をアルビオレ先生のそれと錯覚したのは多分、アルビオレ先生が その身にまとっていた温かい小宇宙と同じ小宇宙で、瞬が俺を包んでくれたからだった。






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