「自分で自分の身を守れるようになりたいんです」
それが、シュンが剣術を身につけたいと願う理由のようだった。
「でも、今はとにかく、外で自由に思い切り身体を動かせるのが嬉しくて……。パリの館に閉じこもっていた時には、こんなに飛んだり跳ねたりすることもできなかったから……」
「そうか」
確固たる目的があり、しかも そのための努力を楽しいと感じていられるのである。
シュンの剣術の上達は早かった。
もともと勘がよく、身が軽くて敏捷性にも優れている。
力の不足を技術で補う術も、シュンは瞬く間に身につけた。
油断をしているとヒョウガも剣を飛ばされそうになるほどで、こんなことなら 夫の沽券を保つために もっと鍛錬を積んでおくべきだったと、ヒョウガは後悔したのである。

ヒョウガがそんなことをぼやくと、シュンは真顔で、
「僕が剣の練習を楽しいと感じるのは、教えてくれるのがヒョウガだからで、ヒョウガと一緒にいられるからだと思います」
と、彼の剣の指南役をおだててくる。
シュン自身はヒョウガをおだてるなどという意識は全くなく、素直に率直に自分の思いを告げているだけだということがわかるので、ヒョウガは嬉しいような こそばゆいような気分になるのだった。
王子であれ王女であれ、これほど可愛らしく才のある相手に『一緒にいられて嬉しい』と言われて 悪い気はしない。
「それはよかった。俺に剣を仕込んでくれたのは叔父上なんだが、叔父上は、何というか――生真面目で厳格で、俺はいつも どうすれば剣の練習をさぼれるかと、そればかりを考えていたんだ」
「では、僕は、ヒョウガだけでなくアヴリーヌ伯にも感謝しなければなりませんね。伯がヒョウガを厳しくご指導くださったおかげで、僕は今 こんなに楽しい」
「……」

シュンに そう言われて、ヒョウガは胸を衝かれる思いを味わうことになったのである。
幼い頃、ヒョウガは、剣も馬術も学問も 厳格な叔父に命じられて しぶしぶ身につけた。
それらのことを学びたくでも学べない者がいることなど考えたこともなかったし、叔父も それらのことは貴族の子弟の義務だと言って、ヒョウガに学ばせた。
ヒョウガは、そういったことを義務として学ぶことのできる人間を恵まれた人間だと考えたこともなかった。
だが、それは、実は非常に恵まれたことだったのだ。
「剣を教えることで、今こうして おまえを楽しませてやれているんだから、俺も叔父上には感謝しなければならないようだな」
今度 叔父が来たら、彼に感謝を伝えておこうと、いつになく殊勝な気持ちで、ヒョウガは思った。

「日が高くなってきた。もう一度 手合わせをしたら、今日は終わりにしよう」
「はい。僕、そろそろヒョウガに勝てるようになりたいな」
夫の面目を保つためにも、その事態は避けたい。
そんなことを思いながら、ヒョウガは再び剣を構えた。
力では完全に負けているシュンが、その身の軽さを活かして巧みな攻撃を仕掛けてくる。
格好ばかりの近衛兵には真似ができないほど、シュンの剣さばきは速い。
これは本当に負けることになるかもしれないと感じ、ヒョウガが本気になりかけた時だった。
ヒョウガが手にしているものでもシュンが手にしているものでもない剣の切っ先が、二人の間に割り込んできたのは。

「なにっ」
ヒョウガが慌てて、彼の剣で飛んできた短剣を払いのける。
ほぼ同じタイミングで、シュンは素早く後方に飛びすさった。
シュンが並の剣士だったなら――並の人間程度の敏捷性しか持ち合わせていなかったなら――それは、確実にシュンの喉に突き刺さっていただろう。
ヒョウガが反射的に短剣の飛んできた方向に視線を走らせる。
そこに黒い人影があった。
城中では見かけぬ男。
その男は、シュンを――静止していない、むしろ軽快な運動中のシュンを――的確に狙っていた。
考えるまでもなく、かなりの使い手。
どう考えても、人の命を奪うことに関して 素人ではない。
パリから――宮廷から 遠く離れたこんなところにまで、人妻になったシュンを狙って暗殺者がやってくることなど考えもせず警戒を怠っていた自分自身に、ヒョウガは短く舌打ちをした。

「シュン、おまえは城の中に戻っていろ!」
用意していた馬に飛び乗って城の門を駆け抜けていく男を、ヒョウガはすぐに追いかけた。
厩に行って馬を引いてくる時間分 遅れをとったが、城の周囲が不審人物が身を隠す場所のない平坦な田園地帯だったことは、ヒョウガに幸いした。
暗殺者を、ヒョウガは見失いようがなかったのだ。
しかも、周辺の畑で働いている者たちは皆、ヒョウガの領民。
「その馬を止めさせろ!」
さすがに武器を持って立ち向かうような農民はいなかったが、農民には農民の戦い方がある。
あまり幅があるとはいえない農道を、摘んだ葡萄を運ぶための二輪車でふさがれ、脇の畑に馬を踏み入れざるを得なくなった暗殺者は、葡萄棚の間ですぐに動きがとれなくなった。
男は結局、領主に忠実な農民たちの手で取り押さえられてしまったのである。






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