サン・ルーの城には罪人を留置しておけるような場所がなかったので、ヒョウガは その男を城の敷地内にある葡萄酒の保管蔵に引きずっていった。
大きな樽が並ぶ蔵の中は 陽光が入らない設計になっていて、中の空気はひんやりしている。
作業場に僅かにある陽だまりで、ヒョウガはシュンと共に男の顔を確かめたが、それは二人には初めて見る顔で、彼は身分を示すようなものも何一つ身につけていなかった。
だが、彼が誰の命によって、こんな のどかな農村までやってきたのか、そして卑劣な行為に及んだのか、ヒョウガにはわかっていたのである。
シュンの存在を知っていて、シュンの命を奪うことで益を得る人間は、現在のフランス王国には ただ一人しかいなかった。

「貴様は、王妃の手の者か。シュンが乗った馬の手綱に切れ目を入れておいたのも貴様か」
「王妃様が?」
ヒョウガが口にした黒幕の名を聞いて、シュンがつらそうに眉根を寄せる。
見知らぬ男は、ヒョウガの詰問に何も答えなかった――肯定も否定もしなかった。
剣を持ったヒョウガに上から見下ろされ、忌々しそうに唇を歪めると、彼はヒョウガではなくシュンを睨んできた。
「俺は――あんたが、本当に そこの優男の妻になった証拠を手に入れられたら、何もしなくていいと言われていたんだ。それで、俺には1000リーブルの大金が手に入ることになる。そうなれば こんな楽な仕事はないと思っていた。なのに、あんたを見張ってる俺の前で、あんたは男がするようなことばっかりしやがって――」
まるで悪いのはシュンの方だと言わんばかりの口調で毒づく男の肩を、ヒョウガは足で蹴り飛ばした。
シュンが、まるで自分が肩を蹴り飛ばされでもしたかのように、身をすくめる。
責任転嫁の はなはだしい暗殺者を更に痛めつけようとするヒョウガの腕を、シュンは慌てて引きとどめた。

「僕は……ずっとパリの館の中でじっとしているしかなかったから、自由が嬉しくて、ここでの生活が嬉しくて、少し はしゃぎすぎただけです。心配しなくても、僕は王子ではありません」
そう言いながら、シュンはヒョウガに寄り添ってきた。
ヒョウガの胸に もたれかかり、泣きそうな声で男に訴える。
「僕は夫を愛しているし、今とても幸せです、これ以上のものは何も望まない。ここでずっと夫と暮らしていることが僕の望みです。宮廷になんか行かない。行きたくもない。あの方に そう伝えてくださいませんか」
「伝えて……? 俺を逃がす気か」
「シュン……!」

いくら何でも、仮にもフランス王国の王子の命を狙った者を、このまま解放するわけにはいかない。
そんなことをしても、この男はまた1000リーブル欲しさに シュンの命を奪いに戻ってくるだけである。
ヒョウガはシュンにそう言おうとした。
ヒョウガの言おうとしたことを察したらしいシュンが、大きく二度、首を横に振る。
「僕が男子でないとわかれば、宮廷からもパリからも離れて 人の妻になった娘のことなど、あの方も放っておいてくれるでしょう? 僕が夫との平穏な生活以外に何も求めなければ、きっと。僕がヒョウガの妻になった証拠が必要だというのなら、あなたに僕の母の形見のハンカチをあげます。母の名と国王陛下のイニシャルが刺繍してあって、多分、あの方には それがどういうものなのか わかるはず。それを僕たちの寝室から持ってきたものだと言えば、あの方だって あなたの言葉を信じてくれるでしょう」
「……」
「僕の言う通りにして。でないとヒョウガが――」
「俺がおまえを殺してやる」
「……」

男は、当然のことながら、シュンに恨みはなく、できれば面倒な仕事はせずに謝礼だけが欲しかったものらしい。
その上、シュンの隣りに立つ男が 妻の命を狙った暗殺者を殺したがっていることが 嫌でも感じ取れる。
シュンの提案に頷く以外、彼に生き延びる道はなかった。






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