「政略結婚なんて御免だ!」 世界の北の果てにあるヒュペルボレイオスでは、秋という季節は冬の訪れを知らせる静かな前奏曲のようなものだった。 その静かな前奏曲を、ヒョウガの声が、氷より鋭く引き裂く。 「アンドロメダ姫は、大層 美しい姫だという噂です」 『激しやすい王子を よく抑えるように』と、ヒュペルボレイオス国王じきじきの命によって抜擢されたヒョウガの侍従は、その使命にふさわしい穏やかな声で、ヒュペルボレイオスの王子に、答えになっていない答えを返した。 ヒョウガは、それがどうしたと言わんばかりの態度で、詰まらぬことを言ってくる侍従を――というより、彼の発言を――鼻で笑った。 「美しい? 俺の母よりもか?」 それは、女性の美しさに言及する時 ヒョウガが必ず発する質問で、侍従の答えも毎回同じだった。 「亡き王妃様は絶世の美女でしたから、おそらく それには劣るでしょうが」 聞き慣れた答えを、ヒョウガは軽く聞き流した。 聞き慣れた答えだが、もし違う答えが返ってくるようなことがあったら激昂するに違いない自分を知っているだけに、ヒョウガは侍従の芸のなさを責めることはできなかったのである。 「滅多に人前に出ないお姫様の美しさなんて、針小棒大で語られるものだ。そんな下世話な噂に興じる輩は、誰も本物を見たことがないんだからな。だいいち、美しければ愛せるというものでもないだろう」 「ですが、両国の和平の証として、王子とアンドロメダ姫の婚姻は必ず実現されなければならない約束なのです」 ヒョウガより3つ年上の侍従の言葉は、優等生の模範解答。 いつもはもう少し皮肉めいたことを口にする彼が、今日に限って完全な模範解答を提出してくるのは、今日の解答用紙の提出先がいつもと違っているからだった。 「エティオピアと喧嘩を始めたのは、今から4代も前の国王だ。俺は会ったこともないし、当然、口をきいたこともない。それ以前に、こんな無益な戦争を始めた大馬鹿国王など、俺の父祖とは思いたくない。だというのに、そんな爺さんの尻拭いを、なぜ俺がしなければならないんだ!」 感情のまま怒鳴りたいから、侍従に向かって言っているのであって、ヒョウガがその怒声を本当に聞かせたい相手は、他にいた。 侍従の今日の模範解答の提出先でもある彼の叔父――つまり、エティオピアのアンドロメダ姫がこの国に向かって故国の港を発った知らせを、わざわざ甥の私室にまで運んできたヒュペルボレイオス王国の現国王に。 それまで黙って、甥と その侍従のやりとりを聞いていた国王が、やっと おもむろに口を開く。 「私は、おまえに、おまえが会ったこともない先祖の責任を取れと言っているのではない。現在のエティオピアとヒュペルボレイオスの間に平和を築くために、現在のヒュペルボレイオスの王子としての義務を果たせと言っているのだ」 「政略結婚をしなければ平和は成らないというのか」 「エティオピア国王は、彼の一人娘を送ってくる。エティオピアは それほど和平を望んでいる。おそらく長く続いた戦のために、エティオピアの国は疲弊し、国民の間の不平分子を抑えることも困難になってきているのだろうな」 「答えになっていないぞ」 ヒョウガが不機嫌そうに口を挟むと、ヒュペルボレイオスの王は 短気な甥のために 嘆かわしげな嘆息を作った。 「国のどちらかが滅ぶまで戦い続けることは得策ではない。しかし、どちらも降伏しないで戦を終わらせようとしたら、双方の面目が立つようにしなければならない。この戦には我が国に分がある。我が国の領土はエティオピアの10倍、人口は3倍。戦いを続ければ、滅ぶのはエティオピアの方だ。だから、エティオピアは我が国に一粒種の姫を送ることもしなければならない。向こうがそれほどのことをするんだ。我々も多少はエティオピアの顔を立ててやらなければならないだろう。エティオピアの王女の子が我が国の王になる。それで、エティオピアの我が国に対する発言力が少しばかり増す。我々がエティオピアの顔を立てるためにできることは、せいぜいそれくらいのものだがな」 「子ができるとは限らん」 「それでもいいのだ。政略結婚というものは可能性にかけるものだ。アルゴスの国の例を知らんのか? 近隣の小国に王女や王子を送り込み、今では それらの国の王はすべて、アルゴス王家の血筋の者。かの国は アルゴス連邦とでもいうべき一大勢力になっている。いずれ、各国はアルゴスに併合されるだろう。そういう夢をエティオピアに見せてやるのだ。今回の政略結婚でエティオピアにとっての最上の筋書きは、送り込んだ王女が世継ぎの王子を儲け、おまえが早死にする。その上で寡婦となった姫とその王子を外戚として操る――といったところだろう。そうなる可能性が皆無とはいえない。でなければ、王の兄弟、その子弟が幾人もいるとはいえ、エティオピア国王が その一粒種を他国に嫁がせることなど――」 「好きになれず、寝る気にもなれなかったら」 いちいち言葉尻を捉えて突っかかってくる甥に、ヒュペルボレイオス国王が さすがに呆れた顔になる。 彼は甥の説得を諦め、それでなくても無駄に攻撃的になり いきり立っている甥を挑発し始めた。 「それでも構わん。そなたは女嫌いで有名のようだからな。実はただのマザコンにすぎないのに。もっとも、あちらは自信満々らしいぞ。アンドロメダ姫ほど美しい姫を妻に迎えたら、どんな女嫌いも宗旨替えをすることになるだろうと、エティオピア国王は豪語しているらしい」 「なに……?」 『耐え忍べ、運命を受け入れろ』といさめられるのは嫌いだが、煽られて戦闘態勢を整えることは嫌いではない。 怪我人の出ない戦いは、ヒョウガは嫌いではなかった。 宗旨替えなどしてたまるかと、エティオピア王家の傲慢に腹を立てる。 和平のため、民のためと、口では綺麗事を言いながら、これは欲得づくの博打ではないか。 不愉快なことは、耐えるより、戦って撃退したい。 ヒョウガは、叔父の挑発に乗り、自身の当面の敵を、自分の妻になるために遠征してくる一人の王女と定めた。 「とにかく、これは、一国の王子であるおまえが果たさなければならない義務なのだ。おまえが我儘を通せば、せっかく成ろうとしている和平が決裂し、戦が再開される。その戦は、以前より激しいものになるだろう。それがどういうことか、わかるか。多くの兵が死ぬということだ」 「わかっている……!」 ヒョウガは――ヒョウガも――怪我人どころか死人の出る戦いは好きではなかった。 死傷するのが自分以外の人間で、その原因が自分にあるような戦いは 特に。 |