「王女は、俺に好かれるために、わざわざ男の格好をしてきたそうだ。自分の脚を堂々と人目にさらす女というものを、俺は初めて見たぞ。素晴らしく形のいい綺麗な脚だったが、あれも俺を骨抜きにするための工作なのかもしれん」 自室に戻ると、ヒョウガは、侍従の手を借りずに自分の手で、何のために身に着けているのか 自分でもよくわかっていないマントの留め具を外した。 城内は温度も湿度も調整され、防寒具は必要ではない。 鉄や金の採掘場でもないから、降ってくる砂や飛んでくる石を防ぐ必要もない。 身に着けているものの目的が はっきりしているアンドロメダ姫の方が、自分より よほど合理的な人間なのではないかと、そんなことを思いながら。 ヒョウガが外したマントを受け取った侍従が、どう見ても この事態を楽しんでいる――少なくとも、多大な関心を抱いている――顔をヒョウガに向けてくる。 他に心に決めた女性がいるわけでもないのだから、アンドロメダ姫と 「なかなか大胆な戦法できましたね。絹や宝石で飾り立てなくても、その美しさは隠しようがないと、自信があってのことなのか」 「確かに隠しようはなかったな。姿は咲いたばかりの白い花のように可憐で、瞳は 誰にも見られたことがない泉のように澄んでいて――」 自分が“敵”を褒めようとしていることに気付き、ヒョウガは慌てて その先の言葉を口にするのをやめた。 ちらりと侍従の顔を一瞥してから、取り繕うように不機嫌な自分を作る。 「だが、全く口のきき方を知らん。エティオピアの宮廷は、いったいどういうところなんだ。あんな無礼な口をきく女が この世に存在するなんて、俺は考えたこともなかったぞ!」 「どんな無礼なことを言われたのです」 「――恐そうだと言われた」 思い出しただけで腹が立つ。 エティオピアの王女は、ヒュペルボレイオスの王子が 誰のせいで“恐そう”な顔になっていたのかを全くわかっていないようだった。 それがわかっていたら、『恐そう』などという言葉は出てこないはずである。 忌々しげに唇を歪めたヒョウガに、侍従はあくまでも笑顔の応対を続けた。 「それは無礼ではなく、正直というものでしょう。察するに、王子は、たった一人で異国に嫁いできた お気の毒な姫君をいじめたのでは?」 「……」 ずけずけと言いたいことを言う男である。 しかし、ヒョウガは、言いたいことを言う侍従を叱りつけることはできなかった。 彼が察したことが図星だったから。 アンドロメダ姫に『恐い』と言われて、実はヒョウガは傷付いていたのである。 アンドロメダ姫は、ヒュペルボレイオスの王子を本当に恐がって、びくびく震え怯えていた。 あまりに気安いのも、あまりに高慢なのも不愉快だが、あそこまで あからさまに怯えられては、いい気がしない。 アンドロメダ姫が 自ら望んで“恐そう”な王子の許にやってきたのではないこと、二つの国の和平のために我が身を捧げる覚悟で――つまりは自分の心を殺して――この遠い異国にやってきたのだということを思い知らされて 罪悪感に囚われる――ではないか。 ヒョウガが罪悪感に囚われていることを、侍従は察しているようだった。 口許に刻んでいた笑みを消し去り、いかにも それが自分の仕事だというかのように真面目な顔で、ヒョウガに告げてくる。 「エティオピア王家からの申し出では、王女は家族以外の男性と接したことが ほとんどないので、最初のうちは王子と一緒にいる時間をなるべく減らしてほしいとのことです。当面の間、寝所はもちろん、できれば食事も別々に。少しずつ慣らしていって徐々に一緒の時間を増やすようにしてほしいとか。かなり深窓育ちの姫君のようですよ」 「慣れる気がないんじゃないのか? ヒュペルボレイオスの者との接触を避け、エティオピア風を通そうとしているのでは――」 「それはどうか……。王女につけた侍女の話では、王子のことを かなり恐がっているようです。エティオピアから付いてきた者たちも、今日の対面が済めば帰国するわけですし、寂しくて不安なのでしょう」 「そのまま泣き暮らして、エティオピアに帰ると言い出してくれると助かるんだが」 そう望む気持ちは嘘ではない。 だが、そんなことになったら、自分は自分の冷酷に嫌気が差すだろうと思う気持ちも 嘘ではない。 ヒョウガは、自分が そのどちらを より強く望んでいるのか、自分でもよくわからなかったのである。 ヒョウガが想像していたアンドロメダ姫と、彼が実際に会ったアンドロメダ姫は、その様子が あまりに違っていたので。 「王子は欲がありませんね。謁見の間から退出する姫を ちらりと垣間見ましたが、あんな美少女を妻にできるとなったら、大抵の男は自分の幸運に狂喜しますよ。しかも、間違いなく処女だ」 「よくわかるな」 「処女でない女は、王子を見て恐がったりしませんから。大抵は、期待で目を爛々と輝かせます」 「いったい何を期待しているのかは考えたくもないが、ぞっとしない話だ」 そういう女よりは、そよ風にすら身を震わせているような可憐なアンドロメダ姫の方がずっといい。 そう思ってしまってから、ヒョウガは、そう思ってしまった自分自身に舌打ちをした。 |