「つい、つられて笑いそうになってしまった」 そんなことができるかと、すぐに顔を引き締めたが、今は心のままに笑ってしまえばよかったと悔やむ気持ちの方が強い。 意に沿わぬ政略結婚の相手に『シュン』と呼ばれ、素晴らしく素直に嬉しそうな笑顔を見せてくれたアンドロメダ姫に、自分は何と心無い態度をとってしまったのかと、ヒョウガは後悔していた。 が、その後悔も、アンドロメダ姫の笑顔を思い出すだけで、すぐに薄れ和らいでしまう。 次にアンドロメダ姫に会った時 虚心に謝れば、姫はきっと 詰まらぬ意地を張った愚かな王子を優しく許してくれるに違いない。 許してもらえなかったら、許してもらえるまで何度でも謝るのだと、ヒョウガは心に決めた。 ヒュペルボレイオスの王子が何度も人に頭を下げるくらいのことは、特段の重大事でも何でもない。 アンドロメダ姫に心無い男と思われ、悲しい目で見詰められることに比べれば。 アンドロメダ姫に明るい笑顔を見せてもらうためならば。 ヒョウガは、心からそう思った。 「シュンと俺が本当の夫婦になったら――」 「シュン?」 初めて聞く名を訝って、侍従が僅かに首を横に傾ける。 自分が彼に今日の出来事を何も説明せずにいたことを思い出して、ヒョウガは自分の粗忽に内心で苦笑した。 アンドロメダ姫を『シュン』と呼び、アンドロメダ姫に『ヒョウガ』と呼ばれた。 ただ それだけのことに、自分の足と心は大地から浮き上がってしまっていたらしい。 ――そう思って。 「ああ、王女様が そう言ったんだ。男の格好をしている時はシュンと呼んでほしいと」 「それはそれは。二人だけの秘密の呼び名、私に教えていいのですか」 「……忘れろ」 もちろん、それは二人だけの大事な秘密である。 忘れることを、ヒョウガは侍従に命じ、侍従は笑って、 「はい」 と頷いた。 シュンの名を忘れた侍従に、ヒョウガは改めて、そして真顔で尋ねてみたのである。 「シュンと俺が真実の夫婦になったら、何か不都合が生じるか」 と。 「いいこと尽くめでしょう」 「そうだな」 「王子、では――」 ヒョウガは別に 侍従を喜ばせるために、彼にそんなことを訊いたのではなかった。 侍従が あからさまに嬉しそうに瞳を輝かせるのを見て、少し きまりの悪い気分になる。 「いや、俺は単に、国民が納める税で暮らしている者としての使命と責任感に目覚めただけで――」 「大変、喜ばしいことです。姫付きの侍女たちも喜ぶことでしょう。これでやっと、夫妻の寝室が稼働する」 「いや、それは――そう、その前にまず、シュンの意向を確かめなければ」 「そんなことは不要でしょう。姫付きの侍女たちが言っていました。王女様は、昨日はずっと、王子と話せたことを喜んだり、変なことを言ってしまったのではないかと気に病んだりばかりして うわの空。今日は今日で、庭に出てみるよう水を向けてみたら、そわそわしながら庭に出ていって、ずっと王子の お出ましを待っていたと」 「そうなのか? シュンは、そんなことは一言も――」 「奥ゆかしくて恥ずかしがりやの姫のようですから」 「ああ、そうだ。シュンは、大人しくて控え目で、おどおどしているように見えることさえあるのに、時々 思いがけないことを言い出して、俺を驚かせる。何より、あの目が素晴らしい。いつも何か物言いたげに切なく潤んでいて――」 ヒョウガは本当は もっと、いつまでもシュンのことを語り続けていたかったのである。 だが、3つ歳上なだけの侍従が、6歳の息子の初恋話を聞く父親のような顔で 自分を微笑ましげに見詰めているのに気付き、慌てて唇を引き結んだ。 「俺はヒュペルボレイオスの王子だ。とにかく、俺は俺の義務を遂行する」 ヒョウガは懸命に険しい顔を作って宣言したのだが、侍従は いつまでも若い父親のように にこにこ笑い続けていた。 |