シュンの様子が尋常のものでないと、ヒョウガは気付いていたのだろう。
そして、事をエティオピアとヒュペルボレイオスという国同士の問題にしたくなかったから、誰にも命じず、彼自身がシュンの動向を見張っていたのだ。
だから彼は、ヒュペルボレイオスの王子の許から逃亡を図ったエティオピアの王女を捕えても 兵を呼ばず、無言でシュンの腕を掴んで彼の部屋に連れていったに違いなかった。

「俺がそんなに嫌いなのか? 他に好きな男でもいるのか」
ヒョウガの声が怒りに震えているのは当然のことだったろう。
シュンのしたことは、大国ヒュペルボレイオスの王子の誇りを激しく傷付けることだったのだから。
だが、彼は、シュンに、『エティオピアの王女としての義務を果たせ』とも『ヒュペルボレイオスの王子の顔に泥を塗るな』とも言わなかった。
ただ、
「側にいることにも耐えられないほど、おまえは俺が嫌いなのか」
と尋ねてくるだけで。
これは国と国のことではなく、おまえと俺のことだと、暗にヒョウガは言っている――言ってくれている。
だから、シュンは、エティオピアの王女アンドロメダとしてではなく、ただのシュンとして、彼に真実を告げなければならないと思ったのである。
シュンとして、真実をヒョウガに告白し、彼の許しを乞うしかないと。
「ごめんなさい。そうじゃないの。僕……僕は男なんです」
「なに?」

夜の庭に城を出ていこうとしているシュンの姿を見付けてしまった時から――シュンの逃亡の理由を、ヒョウガはヒョウガでヒョウガなりに考えていたのである。
もちろん、最も可能性の高い逃亡理由は『義務として夫婦の関係を維持することもできないほど、エティオピアの王女がヒュペルボレイオスの王子を嫌っている』というものだった。
そして、仮にも国民の納める税で暮らす王家の一員として生まれた王女が その義務を果たせない理由として考えられる いちばんの理由は『他に好きな男がいる』なのだろうと。
だが、ヒョウガは――もしかしたら それは自分一人の勝手な思い込みだったのかもしれないが、一瞬でもシュンの好意を感じたことがあったヒョウガは――それ以外の、他の理由を模索せずにはいられなかったのである。

もしかしたらシュンはヒュペルボレイオスの王子の暗殺を指示されていて、その務めを果たしたくないから逃げ出そうとしたのではないか。
もしかしたら この政略結婚はヒュペルボレイオスを油断させるためのエティオピアの罠で、シュンは敵国内に潜んでいる故国の兵の帰還を命じるために、城を出ようとしたのではないか――。
ヒュペルボレイオスの王子に対するシュンの好意を前提にしたシュンの逃亡理由を、ヒョウガは懸命に探し続けていた。
だが、そんなヒョウガでも、さすがに その理由だけは思いつけずにいたのである。
思いつけるわけがない。
今 ヒョウガの目の前で力なく項垂れているシュンの姿は、どこからどういう目で見ても、可憐な美少女以外の何物でもなかったのだ。

「アンドロメダ姫が男?」
「そうじゃなくて……僕はアンドロメダ姫じゃないの。本物のアンドロメダ姫は 今、エティオピアのお城で病の床に伏せっています」
「……」
可憐な美少女にしか見えないシュンは、しかし、真顔でヒョウガに語ってきた。
シュン自身の身の上。
漁師たちの困窮を見るに見かねて嘆願書を出したことで都から追放になった兄のこと。
その兄を捜し許してもらうことを条件に、シュンがアンドロメダ姫の身代わりを引き受けたこと。
今は病に伏せっているアンドロメダ姫が快癒したら、誰にも知られずに、シュンは本物のアンドロメダと入れ替わるつもりでいたこと――。

エティオピアはあくまで両国の和平を望んでいるのだと、シュンは繰り返し力説してきたが、そんなことはヒョウガにとっては“どうでもいいこと”だった。
ヒョウガが知りたいことは ただ一つ。
シュンが自分を好きでいてくれるのかどうか。
ただ その一事だけだったのだ。

「アンドロメダ姫は俺を知らない。当然、俺を好きではないだろう。俺はおまえが好きだ。おまえは俺を――」
「言えないの。どんなに好きでも、僕にはヒョウガが好きって言えない」
顔を伏せたまま、シュンが切なげに首を左右に振る。
今のシュンに『言っているじゃないか』と突っ込んだら、泣かれてしまいそうだったので、ヒョウガは懸命に そうしたい衝動をこらえたのである。
だが、とにかくシュンは、自分を好きでいてくれるようだった。
そのことさえ確かめることができたなら、ヒョウガは他に欲しいものはなかった。
もとい、他に欲しい情報はなかった。
シュンが自分を好きでいてくれるなら、あとは自分たちが幸福になる方法を考えればいい。
ヒョウガはそう思っていたし、実際にそうするつもりだった。

「おまえが、この城を出ていく必要はない。おまえは このまま この国に――俺の許に とどまれ。エティオピアには、折りを見て、俺から その旨を伝える。あっちも喜ぶだろう。大切な姫を遠い国にやらなくてよくなるんだから」
「ヒョウガ……」
「おまえの兄も俺が捜してやる。おまえはずっと この国にいるんだ。ずっと俺の側にいる」
「そんなこと、できるわけが――」

できるわけがないではないか。
エティオピアの王女でない者がヒュペルボレイオスの王子と愛し合っても、それは国と国を結びつけることにはならない――そんな結びつきは国同士の和平の根拠にはなり得ないのだ。
一介の真珠採りにすぎない自分には人質としての価値もないし、女性でない自分には両王家の血を引く子どもを儲けることもできないのだから。

だが、ヒョウガは、その“できないこと”を通すつもりのようだった。
「本気で戦えば、エティオピアはヒュペルボレイオスに勝つことはできない。国力が違う。それはエティオピアもわかっているはずだ」
というのが、ヒョウガの自信の根拠。
彼は、
「もし、それが許されないなら、俺は民の税で暮らす生活を捨てる。おまえと一緒に この城を出て、税を納める側の人間になる」
とまで言った――言ってくれた。

「ヒョウガ……でも……」
「おまえなしでは、俺は幸福になれない。他のことはどうでもいいくらい、俺は おまえが欲しいんだ」
言うなり、ヒョウガはシュンを抱きしめた。
そして、その唇を唇で ふさぐ。
シュンが抵抗しないのを確かめて、彼はシュンの身体を抱き上げ、彼の寝台に運んだ。
シュンは身体を固くしていたが、それでもヒョウガがしようとしていることをやめさせようとすることはしなかった――できなかった。
シュンは――シュンも――ヒョウガと同じ気持ちでいたから。






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