伝言






こんな事態が現出するのは、一時とはいえ、自分が死者の国の王に この身を乗っ取られていたことがあるからなのだろうか――。
そう、瞬は思ったのである。
でなければ、ほとんど面識のないアンドロメダ座の聖闘士の前に、彼が姿を現わすはずがない。
彼には、他に会いたい人がいるはずなのだ。
それとも――。
瞬は また考えた。
彼は彼の弟子を過酷な戦いの中に引き戻したアンドロメダ座の聖闘士を恨んで化けて出てきたのだろうか――と。

だが、瞬は、自分の中に生まれた第二の推察を、早々に放棄した。
そんなことがあるはずがない。
彼はアテナのため、地上の平和と安寧を守るために戦うことを至上義務としていた黄金聖闘士。
むしろ、アテナのため、地上の平和と安寧を守るために戦うことを人生の目的そのものとする黄金聖闘士だった人物なのだ。
彼は、善良で節を重んじる人間。
そして、悪気なく・・・・傲慢な男。
彼の言動を人づてに聞いて、瞬が思い描いていた彼の人物像は そういうものだった。

今日が明日になったばかり。
いわゆる 丑三つ時には少し早い時刻。
瞬がそろそろベッドに入ろうかと思い、読んでいた本のページを閉じた時に、彼は ふいに瞬の前に現れた。
実体のない、幻影のような姿に、生前 彼のものだった金色の衣をまとって。
だが、なぜここなのか――なぜ彼はアンドロメダ座の聖闘士の前に現われたのか――が、瞬にはわからなかったのである。
水瓶座の黄金聖闘士は、白鳥座の聖闘士の師。
彼が会いたい人も、彼が守りたい人も、彼が言葉を交わしたい人も――それはアンドロメダ座の聖闘士ではないはずだったから。

『こんばんは』も『お久しぶりです』も無意味な挨拶に思える。
そもそも死者にとって、時間とは時刻とは どういうものなのか。
おそらくは、朝も夜もない世界、1日も100年も大きな違いのない世界に、今 彼は存在(?)している(はず)。
そう考えて、瞬は、再会の挨拶を省略し、単刀直入に 自らの疑念を彼に投げかけたのである。
「……どうして僕のところに?」
(元)水瓶座の黄金聖闘士は、瞬の その質問に答えを返すことはしなかった。
逆に、瞬に尋ねてくる。

「私は死んだ身。いわば幽霊だ。君は私が恐くはないのか」
「冥界で戦った僕に、死者も生者も大した差はありません。対峙する者を恐いと感じるかどうかは、その人の生死ではなく、心のありようで決まるものでしょう」
「もっともだ。君は馬鹿ではないようだな。大変 結構」
そう言って カミュが頷く。
彼はアンドロメダ座の聖闘士を褒めたつもりでいたのかもしれなかったが、瞬は彼の言葉を あまり嬉しく感じることはできなかった。
彼の口調が、アンドロメダ座の聖闘士を“馬鹿”と決めつけていた者のそれだった――少なくとも、利口とは思っていなかった者のそれだった――ので。

賢い人間と思われたいわけではなかったし、人にそう思われることの弊害も知っている。
だが、水瓶座の黄金聖闘士は、彼が目下と思っている者の言葉に耳を貸さなかったせいで 自らを滅ぼすという愚行を為した男。
しかも、その愚行に、彼の弟子を巻き込もうとした男。
瞬は――瞬こそが、彼を利口な人間だとは思っていなかったのだ。

「部屋を お間違えでは? 氷河の部屋は、この部屋の右隣りです」
「間違えてはいない。私は君の部屋に来たのだ、アンドロメダ」
「なぜです」
「私は氷河には会うことができないから」
「どうしてです。あなたに会えたら、氷河はきっと喜びますよ。多分。悲しい思いもするかもしれませんが」
声と言葉が突き放すように よそよそしくなるのは、自分が寛大な人間ではないからなのだろうか――?
瞬は、カミュの生前、ほとんど彼と言葉を交わしたことがなかったことに 安堵の念を抱いていた。
おかげで、アンドロメダ座の聖闘士の声がいつもより・・・・・冷たいことに、カミュは気付かない。

瞬の 胸中にある思いになど気付いた様子もなく、カミュが瞬の問うたことに答えてくる。
とはいえ、その答えは“答え”と言えるほど はっきりしたものではなく、瞬は彼の“答え”に満足することも得心することもできなかったのだが。
「それが誰なのか――アテナに封印されたハーデスではないと思うのだが、今の私は 決して破ることのできない一つの決まり事に縛られている。『生者の世界に姿を現わしてもいい。だが、生者の世界の者に、本当に伝えたいことを伝えてはならぬ』というルールだ。本当に伝えたいことを伝えることができないのなら、私が氷河に会っても無駄だし無意味だ」
「本当に伝えたいことを伝えられない? どうしてです」
「わからぬ。もしかすると、それは生者と死者を分けるために必要なルールなのかもしれないな。生者と死者が気安く腹を割って話ができてしまっては、まずいということなのかもしれない。私は死んだ者、氷河は生きているのだから」

水瓶座の黄金聖闘士が氷河に伝えたいこと――死してなお伝えたいと思うこと。
それが詰まらぬことであるはずがない。
大切なことのはず――氷河の益になることのはず。
おかげで瞬は、彼に『あなたは死んだ人なのだから、この世界から消えて』とは言えなくなってしまったのである。

「あなたが氷河に本当に伝えたいことは、僕に伝えたいことではないですよね? あなたが氷河に伝えたいことは、氷河ではなく僕にだったら伝えられるんですか? だから僕のところにいらしたの? 僕にそれを話して、そして、それを氷河に伝えさせようとして?」
「いや、ここに来てわかった。私が本当に伝えたいことを生きている者に言葉で伝えることはできない。生きている者には、言葉ではないもので感じとってもらうしかない。私は死んだ者。私は 本当は――どういう形ででも生者と接触を持ってはいけないのだろう」
「僕は生きています」
「君は特別だ」
「……」

『特別』というのは、アンドロメダ座の聖闘士が 一時は冥界の王だったことを指しているのだろう。
氷河が語る話から想像していた通り、彼は悪気のない善良な人物であるらしかった。
悪気なく、人の心の傷に触れてくる。
悪気のない彼の言葉に、瞬は その瞼を伏せた。
一時は冥界の王だったせいで、アンドロメダ座の聖闘士は仲間たちを危地に追いやった。
確かにそれは特別なことである。
特別に不名誉で、あってはならぬこと。
悪気のないカミュの言葉によって その不名誉を思い出した瞬は、おかげで、自分にはカミュを疎んじる権利はないのだということに思い至ることになったのだった。
水瓶座の黄金聖闘士が氷河の命を奪おうとしたのなら、自分も彼と同じ。
苦い気持ちで、瞬は そう思った。

「では、こういうことですか。あなたには、氷河に本当に伝えたいことがある。けれど、生者と死者を分けるルールに阻まれて、あなたは それを言葉にすることはできない。あなたは かろうじて僕に接触することだけはできるから、僕は、あなたが言葉にできない“本当に伝えたいこと”を突きとめて、それを氷河に伝えなければならない」
「……」
瞬は 自分の理解が間違っていないことの確認を求めたのだが、カミュは瞬に『その通りだ』と言うことも『そうではない』と言うこともしなかった。
否定しないことで、彼は肯定してつもりだったのかもしれない。
否とも応とも言わないまま、彼は唐突に話題を変えてきた。






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